洛南の地 京都府八幡市八幡女郎花にある茶室「松花堂」は
寛永14年(1637)瀧本坊から泉坊へ退隠した松花堂昭乗が営んだ方丈の草庵
草庵とは田舎風の素朴な材料「丸太 竹 土壁」などで造られた茶室のこと
松花堂は明治初期の神仏分離で移築されたので茅葦屋根宝形造りの
小さな草庵で 二畳敷を主体にして竈(かまど)や水屋があり
床や仏壇 炉を袋棚が設えてある茶室
昭乗の作意としては一般の茶室の通式に当てはまらない形式だそうですが
「茶を点て、仏に備え、人にも施し、我も飲む」(南方録)と云う
茶湯の根本精神をこれほど忠実に踏まえた茶室は他にないそうです
松花堂昭乗は詩歌 書画にならび易学狂歌にわたって才をもつ文人数奇者で
寛永三筆のひとりで 遠州にならんで茶湯芸術の完成に貢献した人と云える人物
寛永の三筆とは本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)近衛信伊(このえのぶただ)「松花堂昭乗」
(原色茶道大辞典より)
四つ目垣と赤い実はサネカズラ
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