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宇治上神社
『宇治上神社は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)で採択された世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約に基づき、「古都京都の文化財」のひとつとして世界遺産リスト に登録されました。このことは、人類全体の利益のために保護する価値のある文化遺産とし て、とくに優れて普遍的価値をもっていることを国際的に認められたことになります。
宇治上神社の創建は古くさかのぼりますが、平安時代に平等院が建立されるとその鎮守社となり、その後、近在住民の崇敬を集めて、社殿が維持されてきました。
本殿は、正面一間の流造の内殿3棟を並立させ、それを流造の覆屋で覆った特殊な形式となっています。建立年代については、募股の意匠及び組物などの細部の特徴から平安時代の後期に造営されたものとみられ、現存する神社本殿としては最古の建築です。
また拝殿は鎌倉時代の初めに建てられたもので、現存する最古の拝殿です。意匠的には切妻造の母屋の左右に庇をつけた形であり、屋根はその部分が縋破風となっていることなど住宅風となっている点に特色がみられます。
神のための本殿に対し、人の使う拝殿には住宅建築の様式が採用されることが多く、ここ では、拝殿が初めて建てられた頃の住宅建築の様式である寝殿造の軽快な手法が、鎌倉時代の再建にも受け継がれたと考えられます。
本殿の後方は広大な森林が広がっており、こうした環境は緩衝地帯の一部となっています。
登録年月日 平成6年(1994)12月15日決定、17日登録
宇治市』 (掲示板より)
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宇治神社の北側に少し歩くと、大きな鳥居が構えており、その奥に宇治上神社がある。ここ数年私は初詣にこの宇治上神社へ訪れており、その様子はブログにも掲載している。由緒 格式のある神社であり、やはり新年には大勢の人が参拝に訪れる。本殿が横長の形式であり、長い列を作る必要がなく長い本殿のどの場所で参拝しても構わない。例年、本殿前が混雑しないように神社の関係者がハンドマイクで、並ぶ必要がありません、本殿前のどこからでも参拝できます、と案内している。一方の宇治神社の方は本殿前が狭い階段なので、ずいぶん長い列ができて宇治川沿いの散策道まで列は伸びている。
平安時代中期に編纂された「延喜式神名帳」に「山城郡宇治二座」とあり、これが宇治上神社と宇治神社の二社に比定されている。他説もあるがほぼこれで落ち着いているようだ。 創建は詳細については不明だが、延喜式の編纂より以前となるということで、平安初期、あるいは奈良時代にまで遡るのかもしれない。その頃はおそらく小さな祠があるくらいのものでなかったかと考えられる。この神社が大きく注目されるのは、平安後期に宇治川の対岸に「平等院」が建設された結果、その鎮守社になったことによる。この結果二つの神社は一体のものとして扱われ、通常は上社・下社とも呼ばれていたようだ。
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宇治上神社の本殿は使用されている木材の科学的調査から、平安時代のものが使われており、建築年代はほぼ明らかにされた。現存する日本最古の神社建築であり、また形式も独特のものである。外見は横長の住宅のような覆屋があり、内殿に三つの社殿がある。それぞれが独自の祭神を祀っており、「菟道稚郎子」「応神天皇」「仁徳天皇」となる。この三者は親子及び血縁関係にある。外見上は非常に手入れが行き届いており、とても千年経っているとは思えないほど美しい。これはもう奇跡的としか言いようがない。また内殿の三社も覆屋の格子状の枠に近づいて見てみたが、それぞれやはりとても千年近く経っているとは考えられないほど綺麗なものだ。本来なら本殿の建物があり、それを守るかのように覆屋が建てられているケースが多いが、ここは内殿全体を横長の覆屋で覆っており、しかも内殿と一体化している様式となる。従って内殿はほとんど見えないに等しいが、覆屋全体が本殿として扱われているので、この横長の建築物のどこからでも参拝ができるということになる。日本で一番古い現存する神社建築として「国宝」に指定されている。
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本殿の前には拝殿があり、これは鎌倉時代の建設でやはり現存する拝殿建築物としては、日本最古のものとなる。これも使用されている木材の科学的分析から年代がほぼ特定されており、本殿同様「国宝」に指定されている。拝殿には住宅としての役割もあり、寝殿造りの様式が部分的に見られるという。こちらも外見上は非常によく整備されていて、とても900年近く経っているとは信じられないほどだ。
更に本殿の右側には摂社があり、そのうち春日社は鎌倉時代の建設で、国の重要文化財に指定されている。こうして見ると宇治上神社というのは、建築物が当時のまま現存する日本一古い神社として、極めて貴重なものであり一見の価値は十二分にある。もちろん神社そのものの古さという意味では、もっと古いものも各地にあるだろうが、当時の木造建築物が今まで 奇跡的に残っているという意味においては、やはりすごいことだと言わざるを得ない。
今回は桜をテーマに撮影に訪れたが、やはり知る人ぞ知るの神社であり結構人々がやってきている。境内では正月だけでなく年間通して、ご朱印、お守りなどなどが受付されており、また販売されており商売っけのたくましい神社でもある。桜は鳥居と入り口の間に咲いていて、境内には一切ない。比較的大きな木であり桜の花も高い位置から多くの花を咲かせていた。こうしてみると、あえて境内には桜は必要がないなとも思える。苔むした石段などがあり、全体的に古代の様相を呈しており、極めて趣があってこのままでも十分満足感に浸れる場所だと思えた。しかし比較的狭い方となる境内に対して、が普段でも多いので、賑やかで静かな雰囲気にはなかなか浸りにくいのも事実だ。
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