切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

食道癌の手術が終わってから半年

2018-05-02 23:19:46 | 日記



1. 手術後の経過と現状
入院中の様子については既にブログにアップしている。
入院前と入院後では体重は5キロ減少した。その後、家での生活が始まり半年経った今現在、さらに5キロ減少して、合計で入院前から10キロの減少となる。中年太りのお腹がすっかり凹んで個人的には良かったと思うが、主治医に言わせると非常に良くないと言うことで、体重は入院前の状態になるべく近づけるようにとの指示が出ている。
家に戻って病院の指示を受けて必ずやっているのが、就寝時の姿勢。食道の下位と胃の上部を一緒に切り取っているので、残った食道に開けられた穴に突っ込んで、胃液や食物が逆流しないように施されている。本来ならば食道と胃の接合部に、逆流を防ぐ弁のようなものがあるらしいが、その部分を切り取っているので逆流しやすい状況になっている。
そもそもこの逆流というのが食道癌の遠因となっていると言うことのようだ。
そして寝るときに水平に寝ていると、逆流しやすくなるので、背中の中央部から頭にかけて10度以上の上昇角度をつけて寝ると言う形になる。布団の下にいろいろなものを敷いて角度がつけられるようにして寝ている。
既に入院中には高級ベッドが、自由にそのような形を作ることができていたので、体は慣れていた。また就寝中に寝返りを打つと、左側面が下になる場合に逆流しやすくなるので、寝返りは右側にしかできない。したがって左側には別の枕をブロックにして、寝返りができないようにしている。


次に大きな問題は食事。
手術後食道の出口の部分は直径約2センチしかないので、次から次へと食べることができない。よく噛んで細切れにして、ゆっくり時間をかけて食べないと、食道の出口の部分に詰まってしまう。詰まった感覚はダイレクトに感じるので、それがさらに嘔吐感につながっていく。
胃そのものもある程度切り取っているので、容量が小さくなっており、やはり食べる量が少なくなっている。トータルではおそらく、手術前の7割ぐらいだろうと思う。当然その分、ゆっくりゆっくり体重が減ってきている。
また食材のほうもかなり制限があって、当初は繊維質の多い野菜は不可だった。つまり胃に負担がかかるもの等いろんなものが不可とされた。今でも野菜は少ししか食べられない。
朝食はもともとが牛乳やヨーグルト、小さなパンとバナナと言うことで問題はないが、昼食は独居爺のため外食。普通のレストランや牛丼店などに入ると、分量少なめのメニューを選ばざるを得ない。セットメニューでは必ず、ご飯は小選ぶ。今日も餃子の王将で、酢豚とご飯の小を注文したが、ゆっくりゆっくりよく噛んで食べて、何とか完食。この辺が限界となる。
理想的なのはコンビニで、パンやおむすびなどを買って、昼に3分の2ほど食べて、3時ごろに残りの3分の1を食べると言うのが、病院からの指示。カメラを持ってあちこち撮影に回っているが、こういうときには必ずこの方法で食べているので、その限りにおいては、まだ食べるのが楽だ。
半年も経ったので、食べると言うことそのものがもっと楽になるものだと勝手に考えていたが、どうもそうはならないようだ。これがこの先もずっと続くのかと思うと正直なところ、暗澹たる気分にもなってしまう。
夕食はスーパーで買ってきた惣菜など、出来合いのものを中心にして食べている。その日の気分によってご飯はあったりなかったり、場合に寄ってはおかずだけで済ますこともある。分量的には手術前の6割位だ。量を増やすとその後の就寝中に逆流が起こる可能性が高いので、少なめにしている。


次に体調だが、抗がん剤による副作用については、この後の項目で言うことにして、全体的には自分でもそれなりに元気な方だと思う。
朝起きて朝食。5㎞のウォーキング。新聞読んでネット記事読んで、後雑務を行ってすぐお昼になる。天気良ければカメラ持って、あちこちのお寺や神社に撮影に出かける。行き先によってはきつい上り下りもあり、年老いた体に鞭打って歩いているが、さすがに全体的なパワーは明らかに落ちている。
これはウォーキングでも言える。手術前は5㎞の距離を50数分で、これもアップダウンの結構あるコースを歩き通したが、手術後は60分はかかる。スピード上げようと思っても、足も体もついていけない。出勤中のおばさんたちにも抜かれる有様だ。
あと困っているのが、睡眠時間はそれなりにとっても、昼間ずっと眠気があることだ。眠気が取れないのがなぜだか自分でもよくわからない。こーゆーわけで、今のところいくつか困っている事はあるものの、一通り体も動かせるし、良しとしなければならないだろう。

2. 心境
昨年の8月に初めて胃カメラを飲んで、その際組織の一部を切り取られた。その様子を目の前のモニターで見ていたが、その時点からひょっとして、と言う思いは持っていた。9月になって結果が出たので、通院し医師からの話を聞く。そこで食道癌の宣告を受けた。
日本人には珍しいパレット腺癌と呼ばれるもので、欧米人には多いと言う。最近日本人でも急増しており、医学会でも注目されていると言う事だった。それなりの大きな手術になると言うことで、京都市内の日赤病院を紹介され通院することとなる。
癌と言う宣告に対しては、あらかじめ可能性があると思っていたので、直接言われた時にも、特にショックを受けたり落ち込むと言う事はなかった。もし自分が現役で仕事をしている年齢であれば違っただろうが、既に退職しており、それなりに歳もとっていて、おまけに孤独な一人暮らしとあって、まぁいつかは死ぬ。それが早いか遅いかの違いだけだと言う思いは以前から持っていたので、癌と聞かされても、医者に言われるがまま、なるようにしかならない、とある意味、他人事のような受け止めで、その後の行動をしたと言う感じだ。

手術の前日になっても、手術中に死亡するリスクもあると聞かされていて、それはそれで意識のないまま死ぬのでしょうがないか、との思いだったし、翌日の手術の直前まで、特に不安は感じなかった。自分で歩いて手術室へ行き、予備麻酔後、手術台に横になって、そのあと麻酔となった。その段階でも特にこれといって不安等はなかった。

看護師さんの話によれば、癌宣告を受けた時点で気持ちが落ち込んで、場合によっては、うつ病になってしまうケースもよくあるとのことだ。まだ死にたくないとか怖いとか言う思いは、おそらくこの世に、まだまだ捨てられれない未練があるからだろう。家族や財産や友人関係だったり、そういったものに恵まれた人ほど、未練はたっぷりあるんだろうと思う。
不幸なことに俺は、未練となるものがないに等しい。そういった意味で最初から、まぁしょうがないか、なるようになるしかない、ケセラセラ等と言う諦観の思いが前面に出ていて、落ち着いた形で手術を乗り越え、受けることができたんだと思える。
退院して家に戻ると、また誰もいない独居生活に戻る。当然のことながら1ヵ月に1度位の通院と言う形で、これからの長い闘病生活が続くことになる。そんな中で考えるのは、再発転移がどうなんだろうと言うことだ。
今月もうすぐ大掛かりな検査がある。そこで半年後の状況がわかるだろう。また時間のある時、なんとなくネットで、公的な医療機関の癌に関する資料を見てみると、食道癌のステージ2の場合、5年後生存率は約50%。いくつかの医療機関の資料を見たが、どれもほぼ同じような数字だった。胃癌や大腸癌などに比べて死亡率はかなり高い。つまり5年以内に2人に1人は死んでいると言う計算だ。

多分自分は死んでいる方に入ると思うので、少しずつ身辺整理と終活の取り組みを始めていこうかと考えている。親族は何分にも東京なので、そう頻繁に来ることができない。死んだ後、なんだかんだといろんなものが残されていると面倒だろうし、不要なものはどんどん処分していきたいと考えている。
ひょっとして10年後も生きてるかもしれないけど、仮にそうだとしても、年齢的には元気に自分の足で歩いて、活動できているかどうかの保証は何もないし、やはり5年後には死ぬものだ、と考えて行動しておいた方が何かと好都合だろうと思う。まぁこれが1年以内に再発して、余命宣告を受ければ終活も間に合わないし、仕方がないと言うことで済ますかもしれないけど、自分では既に覚悟はできているつもりだ。

世の中では2人に1人が癌にかかると言う時代、と言われている。確かにそうなんだろう。癌といっても、部位によって致死率も随分違う。助かって長生きする人もいれば、余命宣告を受けてそのまま亡くなってしまう人もいる。またせっかく手術が成功しても、その後の術後の食事生活に失敗して、誤嚥性肺炎で死亡するケースもよくあるらしい。
なんだかんだといつの間にか、癌に関わるいろんな情報を集めてしまっていた。もうこれ以上情報を知ったところで、何がどうなるわけでもないので、最近では全くそういったものは見ていない。

ただテレビなんかでは健康バラエティー番組で、時々取り上げられるしいが、特に見る事はしない。腹立たしいのは以前のブログでも書いたが、どこかの保険会社のTVコマーシャルか何かで、「今は癌は働きながら治す時代」などと言う、実際に癌患者の実態を無視した、いい加減な言い方をすることに対して激しい憤りを持った。
実際にこのコマーシャルによって、癌闘病中の会社員が上司から、もっと働けるだろ、と言われた実例も起こっていると言う。冗談じゃない。経験してない奴らに、その辛さが分かるはずもないし、働きながら治すなどと生言うことを、軽々しく言うべきではない。個々のケースとしてそういうことが可能な人がいるかもしれないが、大半はそんなレベルのものでは無いのだということを踏まえて、次のテーマ。

3. 抗がん剤治療
当然のごとく、抗がん剤治療が始まった。病院で看護師さんから副作用の冊子を使っていろんな説明を受けたが、ありとあらゆる多様な副作用があり、これらが全部発症したらとてもじゃないけど命がもたないんではないかと思うほどだった。

もちろん副作用そのものは人によって異なり、また程度も違ってくる。あまり出ない人もいれば、重い症状に苦しむ人もいる。俺の場合は最もスタンダードな比較的副作用の軽い錠剤を飲むことになった。一緒に飲む胃腸薬など、他の薬は別にして、抗がん剤そのものは1日2回、朝と晩に3錠ずつ飲む。これを2週間続けて、次の1週間は服薬休止期間になる。こうして3週間を1サイクルとして繰り返すこととなる。

家に戻ってから早速ルールに従って飲み始めたが、服用開始数日で早くも副作用が現れた。一番強く現れたのは、体全体のだるさ、しんどさ。午前中はともかく、午後になると特にこれといったことをしなくても、激しい疲労感で夕方には2時間程度横にならざるを得ないような状態になった。休止期間になると明らかにマシになる。服用期間が始まるとまたしんどさに襲われる。
さらにしばらくすると、手や足の指先第一関節から上が黒ずんでくる。特に何かの影響があるわけでは無い。さらに食欲減退。いわゆる空腹感と言うのをほとんど感じない。そして一番怖いのが口内炎。

俺の場合には一度だけ1カ所できて、その後おさまってそれ以降はできていない。人によっては口の中全体が口内炎だらけになり、激しい痛みで食事がとれなくなり、結果的に胃瘻をせざるをえない人もいるようだ。
最初はこの副作用も少しずつ慣れてくるものだと思っていたが、全くそんな事はなく、通院時に主治医にそのことを告げると、1回あたりの抗がん剤を2錠に減らすことにした。これで服用期間のしんどさもかなり改善された。たった一錠の違いでこんなにも違うものかと思わされた。
しかしやはり日によっては、1日中体がだるくてしんどく、動くのが辛い日もある。まぁとにかくこれは人によって大きな差があるので、あくまでも自分の場合のケースだ。
主治医と話していると、抗がん剤治療で重い症状になって苦しんでいる人が、かなり通院してくると言っていた。そういう話を聞かされると、自分はまだまだましな方なんだなと思うし、そう思うことによって、自分自身の様々なモチベーションを保とうとしている。
この抗がん剤治療が1年位で終わるのか、5年続くのか、全く未定だ。2週間後に詳細な検査があるので、その辺でひょっとして、何らかの見通しが出されるのかもしれないが、あまり期待感を持たずに5年続くのは当然だと思うことにしている。


とりあえず手術から半年経ったと言うことで、あくまでも自分自身の記録としてブログに書き留めておいたと言うことで、もしこれを読んで不安に思うとか悲観するとか、そういった必要は全くないと思う。
主治医も言っていたが、癌治療は日進月歩で、術式や抗がん療法などもどんどん進展していると言う。自分の場合は腹腔鏡手術の方式で行った。主治医はその分野のかなりなプロフェッショナルの医師だったようだ。
まだまだ思うこと、考える事は多々あるが、さらに長くなるのも何なので、この辺で止めておく。
コメント (1)
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