これで同期の独身者レースも残りわずか(4人)?。
※画素数は落としてあります
東京のウェディング・レストランにて(シェフはミシュラン2つ星だって)。
天気もよく、すばらしい結婚式だった。
屋外結婚式は天候が心配だが、よくぞ思い切ったものだ。
しっかし、役人は予算と権限を守るためなら死ぬほど闘うのに、
なぜ結婚するのかね。
結婚したら予算も権限もカミさんにとられるのに。
… という一般論はさておき、Tよ、おめでとう!!
最後のスピーチ、良かったぞ。
苦労はかけても不幸にはしないように。よろしく。
公務員Ⅰ種試験の一次試験結果発表日。
選抜試験なので、誰かが受かれば誰かが落ちる。
全員が受かることはあり得ない。
成功からは自信が生まれ、失敗からは教訓が得られる。
受かった人は、ダメだった人の分もがんばって欲しい。
ダメだった人、『人生は絶対値』である。
たとえ失敗だったとしてもチェレンジしなかったよりはまし。
「やっときゃよかった」という後悔より、「やらなきゃよかった」という後悔の方が小さい。
そして、この失敗には、後から考えると必ず何かプラスの意味があるはず。
(実は民間企業で成功した、このまま最後まで合格していたら世の中を甘く見ていた、今ここで劣等感を抱いたために逆に一生成長できた、など)
それに気がつけるかどうか。
まさにこれからの心構えにかかっている。
今日は公共政策入門の講義。
東北大生の公共政策への関心を高めるため、全学部の1年生を対象に、前期(4~7月)の金曜5限(16:10~17:50)に公共政策について講義をするもの。講師陣は、公共政策大学院の講師陣が毎週交替で行う。今週・来週は、自分が担当することになっている。受講している学生は80~90人。
確かに広報効果はあるようで(?)、今年の経済産業政策Ⅱの授業でも、「公共政策入門とってました」という学生が何人もいた。
(注:公共政策入門で興味をそそられ、経済産業政策の授業を選んでくれたのかもしれないが、もともと公共政策に興味がある学生が両方の授業を取っているだけかもしれない。因果関係は検証できていない。)
今日は人数が手頃なので「地域活性化問題」につきグループ・ディスカッションをやってみた。アンケートは「授業でディスカッションをしたのははじめて」「楽しかった」と好評。教師の話を聞くより、お互いで話し合った方が楽しいというのも複雑な心境だが、高等教育ではグループディスカッションは不可欠である。コミュニケーション能力がつくし、他人の意見を聞くのは非常に勉強になる。吉田松陰の教育も、塾生同士の議論を重視している。
以下学生のコメントより抜粋。
「地域の活性化という言葉はよく聞くが、その実現のためにこれほど多くの課題があることを痛感した。一見単純に見えることでも、たくさんの困難があるということを知ることができた。」
「地元への愛を持つことが大切だと感じました。その愛というのは、人とのふれあいから始まると思います。地域の交流が希薄になっている現代においては難しいことですが、もっと地元の人同士の出会いがあればいいと思います。今日の授業を聞いて、自分の地元に帰り、祭りとかに参加したくなりました。」
「United Children (← ぜひインターネットでHP開いてみてください。浜松で始まった団体は今、全国に広がっています。)という団体で高校3年間活動していたときも、今日考えたようなことを考えたりしていました。ワークショップなど会議方法、地域や日本、世界に興味をもって自分たちで考えるということの楽しさも学ぶことができました。今日の講義で、改めて、このような活動の楽しさを実感し、地域について改めて興味をもてたので、これからも意識を持ち続け、また、全国の中高生にも意識を持ってもらえるようにこれから活動していけたらと思います。(明日、17日は、いわき市の中高生相手にワークショップしてきます。)」<o:p></o:p>
大学は、何を、いかに教育すべきか。
何を教育成果とすべきか。
外様ではあるが、今後も親藩・譜代の諸先生方と議論していきたい。
ワークショップCの授業。
今週は「日中国交正常化交渉」のシミュレーション。
“その時歴史が動いた”で言えば、それは昭和47年9月29日。
田中角栄が総理になって3ヶ月経たない間の電撃的な国交回復だった。
歴史における個人の役割は、ヘーゲルやランケ、プレハーノフ、ヴェーバーらがさんざん議論しているのでおくとして(個人的にはヘーゲルよりランケが好きだが。あとミシュレやアリエスなんかも。)、考察で必要なのはモデルである。
1.日本側が日中国交正常化を求めたのはなぜか
(1)正常化に向かわせる要因(引力:F)
(2)正常化に反対する要因(摩擦係数:μ)
(3)交渉上の要求と障害(突合残差と柔軟性: |y -f (x) - e | )
2.中国側が中日国交正常化を求めたのはなぜか
(1)正常化に向かわせる要因
(2)正常化に反対する要因
(3)交渉上の要求と障害
それぞれの力学を明らかにしないとシミュレーションにはならない。
ワークショップでは、
1.(1)三木派との約束の履行、経済界の圧力、世論
(2)外務省
(3)賠償問題
2.(1)対ソ戦略
(2)特になし(国内世論は封じ込め)
(3)台湾問題
との議論がなされた。
だが、本当にそうか。
国内世論には、中国との国交回復は望むものの、慎重にという声が少なくなかった。自民党長老にも親台湾派が多かったし、新政権が外交で「点数稼ぎ」をするにはあまりにリスクが高い。
外交官に言わせれば外交は交渉事であり、拙速より慎重に扱うべきとされる。
田中角栄の訪中は人気取りで、後代に禍根を残したと非難する声もある。
だが、政治のリーダーシップなくして、外交官に任せておいて、何年後に国交が正常化できたというのか。
政治は結果責任である。田中角栄は自らリスクを取って相手の胸中に飛び込んだ。当然自分が責任を取るつもりである。問題解決のための決断をし、結果責任をとるのが政治家である。
いったい、外交の失敗で辞任した大使が何人いるのか。湾岸戦争の時に状況を読み違え、イラクにいなかったのはどこの大使か、クウェートにいかなったのはどこの大使か。ロシアで、ゴルバチョフがクーデターで拉致された時に休暇をとっていたのはどこの大使か。太平洋戦争時に開戦通告が間に合わず、日米間の歴史上最大の禍根を残した野村・来栖両大使はクビになったのか? 井口参事官、奥村一等書記官は戦後事務次官になっているではないか。
後生の人間が後知恵で歴史を批判するのは易い。
だがそれはプロ野球の結果を解説者が「あそこでああしておけば」と言うのと同じで科学とはいえない。
肝心なことは、当時の情勢・情報を基に行われた判断を検証し、なぜそのような動きが発生したのか、当時の判断は妥当だったのか否か、仮に妥当でなかったならどうすれば過ちを防げたのかを、当時の資料からモデルを構築し、再現・分析することである。モデルなき分析は、ただのレトリックにすぎない。
(注)言うまでもなく個々の官僚、個々の外交官には極めて優秀な人が多い。
問題は、それが組織となったときに、組織の中と外に二重規範(double standard)が働くことである。
青年とはいったい何歳までか?
答 : 39歳まで。
理由 : JICAの青年海外協力隊の応募資格が39歳までだから。
… 法的には青年の定義は「十五歳以上三十歳(都道府県知事が、当該都道府県の農業の実情に照らし特に必要があると認めるときは、四十歳以下で都道府県知事が定める年齢)未満とする」となっている。
※青年等の就農促進のための資金の貸付け等に関する特別措置法
施行規則第一条
でも、もう協力隊にも応募できないし。
青年会議所も40歳で卒業だし。
農協青年部では40代でも青年部だけど、自分は農業やってないし。
というわけで、脱青年。
おめでとう。
… 誰も祝ってくれない出張中のスコットランドにて。
あ、メールもらいました。ありがとう!
Dream Mail さん、Yahoo! メールさん、その他メール配信サービスの皆さん。
すっげぇ嬉しい。