きらせん

仙台のきらめき










東北大学公共政策大学院准教授
佐分利 応貴

 「闇と光」

2008-05-12 23:41:34 | Weblog
  刮目すれば、世界は病巣に覆われている。
  もし見えていないとすれば、それは目を覆っているからに過ぎない。

  闇は深い。
  光はあれども、容易に掻き消されてしまう。
  
  人々は、目の前の小さな幸せを追い求め、守り、世界から目を背ける。
  「お許し下さい。彼らは何も知らないのです。」


  W.リップマンは言う。
  「人間は、一つの進化から生まれたもので、生き延びていくのに間に合うだけの現実の一部をようやく支配し、時の秤にかければほんのつかの間でしかない洞察と幸福しかつかみとることができない。」
  「彼らは縄で杭につながれている犬のように、自分の属する社交仲間の規則と信条に従って、定められた半径内の知人たちの間で動いている。」


  リップマンの言葉に学生が答える。
  「目の前にある小さな幸せを「時の秤」にかけてしまうこと自体が、とても貧しく、悲しいことだと思う。客観的に見れば、価値のないことであっても、当事者にとっては何事にも代え難い価値があるのかもしれない。」
  「“想像力”の問題。頭ごなしに否定したり、批難することで世界はどんどん貧しくなる。どんなに素晴らしい理論や発明だって、最初の一歩は本当に小さなもの。世界の端っこにつかまって、その端っこがどんなにつかの間の幸福であっても、自分が自信をもって「幸せだ」と言えるのなら、それでいいと思う。ただ、一つの端っこに安住するのではなく、色んな端っこをつかまえたいと思う。世界の大きさに対して悲観的になるのではなく、前向きに。」


  こうしたコメントをしてくれる学生達を担当できて、本当に幸せに感じる。
  残りわずかな教員人生、悔いの無いように取り組みたい。