きらせん

仙台のきらめき










東北大学公共政策大学院准教授
佐分利 応貴

 「歴史における個人の役割」

2008-05-13 22:47:53 | Weblog

  ワークショップCの授業。
  今週は「日中国交正常化交渉」のシミュレーション。

  “その時歴史が動いた”で言えば、それは昭和47年9月29日。
  田中角栄が総理になって3ヶ月経たない間の電撃的な国交回復だった。

  歴史における個人の役割は、ヘーゲルやランケ、プレハーノフ、ヴェーバーらがさんざん議論しているのでおくとして(個人的にはヘーゲルよりランケが好きだが。あとミシュレやアリエスなんかも。)、考察で必要なのはモデルである。

1.日本側が日中国交正常化を求めたのはなぜか
 (1)正常化に向かわせる要因(引力:F)
 (2)正常化に反対する要因(摩擦係数:μ)
 (3)交渉上の要求と障害(突合残差と柔軟性: |y -f (x) - e | )

2.中国側が中日国交正常化を求めたのはなぜか
 (1)正常化に向かわせる要因
 (2)正常化に反対する要因
 (3)交渉上の要求と障害

  それぞれの力学を明らかにしないとシミュレーションにはならない。
  ワークショップでは、
1.(1)三木派との約束の履行、経済界の圧力、世論
  (2)外務省
  (3)賠償問題
2.(1)対ソ戦略
  (2)特になし(国内世論は封じ込め)
  (3)台湾問題
  との議論がなされた。

  だが、本当にそうか。
  国内世論には、中国との国交回復は望むものの、慎重にという声が少なくなかった。自民党長老にも親台湾派が多かったし、新政権が外交で「点数稼ぎ」をするにはあまりにリスクが高い。
  
  外交官に言わせれば外交は交渉事であり、拙速より慎重に扱うべきとされる。
  田中角栄の訪中は人気取りで、後代に禍根を残したと非難する声もある。

  だが、政治のリーダーシップなくして、外交官に任せておいて、何年後に国交が正常化できたというのか。
  政治は結果責任である。田中角栄は自らリスクを取って相手の胸中に飛び込んだ。当然自分が責任を取るつもりである。問題解決のための決断をし、結果責任をとるのが政治家である。
  いったい、外交の失敗で辞任した大使が何人いるのか。湾岸戦争の時に状況を読み違え、イラクにいなかったのはどこの大使か、クウェートにいかなったのはどこの大使か。ロシアで、ゴルバチョフがクーデターで拉致された時に休暇をとっていたのはどこの大使か。太平洋戦争時に開戦通告が間に合わず、日米間の歴史上最大の禍根を残した野村・来栖両大使はクビになったのか? 井口参事官、奥村一等書記官は戦後事務次官になっているではないか。

  後生の人間が後知恵で歴史を批判するのは易い。
  だがそれはプロ野球の結果を解説者が「あそこでああしておけば」と言うのと同じで科学とはいえない。

  肝心なことは、当時の情勢・情報を基に行われた判断を検証し、なぜそのような動きが発生したのか、当時の判断は妥当だったのか否か、仮に妥当でなかったならどうすれば過ちを防げたのかを、当時の資料からモデルを構築し、再現・分析することである。モデルなき分析は、ただのレトリックにすぎない。


  (注)言うまでもなく個々の官僚、個々の外交官には極めて優秀な人が多い。
   問題は、それが組織となったときに、組織の中と外に二重規範(double standard)が働くことである。