テケの日記帳

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戦艦武蔵 火を噴く46センチ砲 射撃中の写真発見

2015年05月07日 00時59分44秒 | 近代史の真実
戦艦武蔵が射撃中の写真が見つかりました。

世界最大の46センチ砲を撃つ写真が見つかったのは初めて

そうなんだ!( ゜Д゜)

当時、軍の最高機密だったのと戦争末期と終戦で文書が焼かれたから、大発見だね。

それにしても、物凄い砲煙!

搭乗してた方たちは我々が思う以上の苦難だったと想像しますww(●´ω`●)


ちょっと、ウィキペディアを見てみました。⇒大和型戦艦/ウィキペディア

>戦艦の主砲発砲時のブラスト圧は、甲板上の人間や搭載航空機などに甚大な被害を与えるため、対策が実施された。大和型戦艦の46㎝主砲は特に凄まじく、長門型戦艦の毎平方㎝あたり3.5kg(砲口から15m離。2門斉射)に対し、毎平方㎝あたり7.0kgである[234]。航空機破壊が0.5-0.8kg、人間が意識朦朧となるレベルが1.16だった[234]。実験では航空機が破壊されるほどで、試算の結果、主砲発射の衝撃波は甲板上のどこにいても[要出典]人体に致命傷を与える圧力と判明した[235]。大和型が艦載艇と艦載機を艦内に収容出来るように格納庫を配置したのはこの為である。計画時より爆風対策で艦載艇と航空機の格納庫を設けた例は、大和型だけである[236]。
実際に武蔵の公試時に、モルモットを入れた籠を複数配置して主砲発射を行ったところ、爆風で半数以上の籠は跡形も無く吹き飛ばされており、残った籠の中のモルモットも爆圧により形を留めぬほどになっているなど、無事であったものは殆どなかった。従って、主砲発射時には甲板上で体を露出している者(主に増設の機銃及び高角砲の要員)に対して主砲射撃指揮所から操作するブザーを鳴らすことで退避警告をしていた。1回目で甲板乗員は艦内に退避、2回目の長音の鳴り終わりと同時に発砲するという手段を執っていた。ただし、艦橋最上部防空指揮所の監視兵は退避しなかった。「武蔵」の射撃訓練に立ち会った左近允尚敏(海軍大尉、航海士)は、艦橋トップにいて主砲爆風を体感し、帽子を吹き飛ばされるところだったと回想している[237]。また公試運転で主砲爆風実験に立会った兵員は「檻に入れた犬・猿が全部死んだ。ただ主砲が右舷を向いて発砲した時に左舷甲板にいれば平気だった」と述べている[238]。トラック泊地での演習では、爆風に晒される兵は最初に耳に綿をつめ、その上に耳栓をして、さらに飛行帽子をすっぽりかぶって両耳を覆い、鉄兜をかぶって防御した[239]。


物凄い爆風と爆音だったことがわかります。。


これらは、全体のほんの一部であり、我々はもっと戦時中の苦労を知る必要があると思いました。

テケの祖父は海軍でトラック島で突撃したあとは消息なしとなっていますww

少し関連する過去記事(#^.^#)⇒「あたりまえ」井村和清さんの詩に感動! 32歳の若さでこの世を去った作者の魂の叫び(´;ω;`)

テケが思うに、戦争体験した方たちはどちらかというと思い出したくない悲惨な話です。

それを後世のために無理して語ってくれている方の話は知っておく努力は必要だと思います。

単に戦争はいけないじゃなく、どれだけ悲惨なことが行われたか・・・ですねww

その悲惨さを学ぶことが戦争の抑止力になると思います。

やはり、事実の多くは戦勝国としてマッカーサーにより隠されたり、書物が焼却されたらしいですが、どんな事実が起こっていたかを正確に知りたいと思うこの頃です。。。

これは、テケの生涯のライフワークにしていきたいと思っています。


ただ、現在の世界を見る限り、単純な話、弱いものは力でねじ伏せようと平気で考えている国は存在していますね。

どんな理想論を言っても、愛する人・家族などを守るためには強い防衛力は絶対に必要だと思います。


どんなときにも乱暴者は弱い人を狙います。

永世中立国のスイスは、強力な軍隊を持っていることが抑止力になっています。。。


まだまだ、勉強不足ですが、平和について考えていきたいと思います。(●´ω`●)


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戦艦武蔵:火を噴く46センチ砲 射撃中の写真発見毎日新聞 2015年05月06日 12時00分(最終更新 05月06日 16時31分)


戦艦「武蔵」が主砲を発射した瞬間を捉えた写真=永橋爲茂さんの遺族提供

 第二次世界大戦で日本海軍連合艦隊の旗艦を務めた巨大戦艦「武蔵」が主砲を発射した瞬間を捉えた写真を、同艦幹部の遺族が保管していることが分かった。姉妹艦「大和」を含め、世界最大の46センチ砲を撃つ写真が見つかったのは初めて。専門家は「『大和』型の詳細を伝える貴重な資料」と話している。

 写真は横10・5センチ、縦7・5センチの白黒で、発砲する様子を艦尾側から撮影。「武蔵」は最大幅が40メートル弱あるが砲煙はその倍近くに及び、射程約40キロの砲の威力を示す。撮影場所や時期は不明。

 保管していたのは、1942年8月5日の「武蔵」完成と同時に、主砲の射撃を指揮する砲術長に就任した永橋爲茂(ためしげ)大佐の遺族。映像制作会社「セレブロ」(東京都)の本多敬さん(72)が、海軍の歴史を紹介するDVDを制作する過程で発見した。

 永橋さんの遺族によると「父は『武蔵の写真』と言っていた。主砲発射の爆風の強さを調べる実験でウサギやアヒルを甲板に置くと、内臓が飛び出したとも聞いた」という。

 海軍史研究家で、広島県呉市にある呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)の戸高一成(とだかかずしげ)館長は「間違いなく『大和』型で、発見の経緯からみて『武蔵』だろう。落ち着いた撮影状況に見え、完成直後の射撃訓練ではないか。航空機が主力になった太平洋戦争で敵艦に主砲を撃つ機会がなかった『武蔵』の実像が分かる」と話す。写真はこの夏、同ミュージアムで公開する予定だ。

 「武蔵」は44年10月の「レイテ沖海戦」に参加。米軍の空襲を受けてフィリピン中部シブヤン海に沈み、乗員約2400人のうち約1000人が死んだ。今年3月、米国の資産家が無人潜水機器で撮った海底の「武蔵」の映像を公開し、話題になった。【鶴谷真】

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