blog日和。

小さい頃に言った「将来」はもうすぐそこにある。
僕はその将来のためにもう少しがんばれるのかなぁ・・・。

恐怖の自覚。

2015年01月27日 05時32分51秒 | Weblog
僕は昔から、時たまに感じるもの全てが遠く感じることがある。

自分の足なんて気が遠くなるくらいの距離を感じるし、胸や腹も遠い。さらには耳など顔に近い部分も、自分の顔面に触れる手さえも遠く感じるようになる。

感覚を持つ自分の身体のどこを感じても遠く、自分はどこにいるのか、自分は一体どこにあるのか。己の核というか、自分を自分たらしめている部分がどこにあるのだろうかわからなくなってしまう。

大抵この現象が起こるときはくだらないことで悩んでいたり、面倒事に巻き込まれているときである。今回は前者である。
触れ合う人々は実に人間らしく、鈍くとも輝かしい人間性を放ち生きているのに、自分はどうしてこんなにも白々しく薄っぺらく生きてしまっているのだろうかと、不安に思う。

実は、去年の年末というか、今年の年始…とにかくそのあたりにちょっとしたゴタゴタがあった。今考えてみても(その時も分かってはいたが)自分の弱弱しく臆病で卑怯な性質満点な行動のせいで、何人かの友人と疎遠になってしまったのである。

昔懐かしの色恋沙汰メンツである。
ざっくり言うと、高校からの仲良し男女4人グループ。
僕はそのグループの片方の女性と付き合い別れ、もう一人の男はもう片方の女性を好きになりフラれ、それなりの時間が経った後に別の女性と付き合いまたそれなりの時間が経ち別れ、けっきょく一人身の4人組に戻ったわけである(時系列バラバラ)。
僕はそんな数少ない友人達につまらない意地を張り、突っぱねてしまった。

理由は2つあると思う。

高校の時から少し感じていたズレは確かにあった。当時はあまり気にしていなかったが、少しずつそのズレに対する違和感は大きくなり、長い間気づかないふりをしていた。しかし、ここ一年くらいで何となく見て見ぬふりが出来なくなってしまった。
僕には「女の友達」はいるが「女友達」はいないと考えている。
僕が言う女の友達というのは友達というカテゴリの中で性別が女の人間である。一方、女友達は女友達そのもので、友達ではないのである。上手く説明できないが、論理性よりも感情でそう理解している。そして件のグループは僕の考える「友達」の集まりで、決して2対2(いわゆる2・2)なんかではないと思っていた。特に僕と元彼女にとって僕らは元恋人同士であり、そうでなければならないと思っていた。
なので、このグループで小旅行をした時も男の「俺ら今リア充してね?」という言葉には全く同意が出来なかった。
この交友関係に対する価値観は一般的なものと比べて稚拙であり、夢見がちなんだと思う。だがそうなものはそうなのだ。

そしておそらく一番の理由。
僕は全く自分に自信がなく、自分の弱みや本音の本音を他人に見せることを極端に怖がる(まさにここ最近に自覚した)。
上記の考えをしている点や、僕が元彼女を僕の考える友達として見られていないことに気付き、そしてそれが自分で納得出来ていない点とを伝えることもなくただ意地を張り続けた。

そして結果はもうあれだ、あれである。もう駄目になってしまったと思う。
なんせ、僕に言動の理由を説明する勇気がないのだから。とても怖いのである。

僕はこれまで腹を割って自分のことを話したことがあっただろうか?
自分のことを理解して貰う努力をしたことがあっただろうか?
いや、ねーな。

僕と接してくれる人たちに何かを提供することが出来ただろうか?
僕はいつも聞き手。人を歓ばせたりすることはなかった。
だからこその劣等感なんだろう。


この一か月くらい勉強やらで考えを埋めていた。
暇になるとアニメや本のメディアに逃げていた。

ふと物が遠くなる現象が発生しなければ、僕はずっと自分から目を逸らしていたのかもしれない。そしてこれからもまた逸らす。

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