生石高原・紀伊の風

紀州和歌山の季節と自然のフォトページ

孟宗竹と黒竹

2008-01-29 | 季節は今







  「モウソウチク」 孟宗竹

 和歌山市の東端、紀の川市に隣接する山東(さんどう)地区は古くから筍(たけのこ)の産地で、現在も生産されてます。

 木とは異なる竹の成長過程は、筍から約3ヶ月以降は稈が太くはならず、枝を出しながら上へ上へと伸びるためお辞儀をしたようになります。そのエネルギーを地下の筍に向けるため、山東地区の竹林では竹の上部分の稈を切って高さを揃えてます。

 この地区の竹林はとてもよく管理され、わき道を歩くのには打ってつけなのですが、県下の山間部には放置され、なすがままの竹林がよく目に付きます。落葉樹などを駆逐し、休耕田にまで侵入する厄介者(竹害)です。一度そうなると復元は相当困難だと言われてます。早い段階で手を打たなければ・・・ 
  


          
           「ハチク」 淡竹

 孟宗竹の名は、年老いた母のため寒中に筍をほりに行ったとの、古代中国の孝行息子の「孟宗さん」にちなんでの名称です。

 この時期の竹林はとても冷たく感じます。北風に揺らぐ葉の音も相乗効果で尚一層寒く感じさせます。救いといえば「やぶ蚊」が一匹も来ないことでしょうか。



  
    「ビワ」 枇杷 バラ科、常緑樹

 和歌山県海南市の下津地区(旧下津町)はミカンと共にビワの生産が盛んです。
花枝にいくつも花を着けるため、摘蕾や摘果をしたうえ紙袋を被せて、大きくて美味しい果物となるよう、手間をかけて育て上げます。

 温暖な気候に生育し、花は12月初旬から今の時期まで咲きますが、何しろ地味でその上茶色の枯葉のような表皮に小さい白い花を幾つもつけます。鑑賞向きではないようです。またビワの葉は古代中国では万能の薬効があるとの事で、病人が並ぶと言われ気味悪がって嫌われた事もあるそうです。

 「桃栗三年、柿八年、枇杷は九年で生りかねる」と言われるように実を付けるのは相当の年月(13年と云われる)を必要とするようです。そう言えば、山には実の付けない枇杷の木を良く見かけます。





  「クロチク」 黒竹、(紫竹)

 黒竹は中国原産で、淡竹(はちく)の一種です。建築装飾材、造園、工芸品などに使われます。孟宗竹のようには大きくはなりません。

 県中部(中紀)、日高町の原谷地区は全国一の黒竹の生産地となってます。明治初期に植林されたという事ですが、この地区の山に入ると「竹は黒」が当たり前と錯覚するほど黒竹だらけ!特産品と言うのもうなずけます。

 筍(たけのこ)から2~3年は「青竹」で、それから徐々に「黒茶」に変色します。年月の経た黒竹はそれこそ真っ黒です。山から切り出された黒竹は、綺麗に磨き、真っ直ぐに成型した上、切り揃えて出荷されます。



         





  

 俳句の世界では「竹の秋」が春の季語で、「竹の春」は秋の季語だそうです。それはとても理にかなった表現で、「竹の秋」(春)はそろそろ筍(たけのこ)を作る時期で、竹の精力は根に向けられるため葉も精彩なく黄ばみ、木々の秋の様子からの表現なのだそうです。

 竹もしくは竹林の美しい状態は「秋から初冬」にかけての間で、子供(筍)を産んだあと元気を取り戻した竹が、青々とする様が「竹の春」の表現となりました。





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4 コメント

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感動 (アオキのヤセ)
2008-01-29 21:51:43
日曜日にヤツト設定出来ました。
じつくり拝見致しました。
スバラシイ!の連発で感動しました。
今日も自然と見せてもらいました。
これから毎週楽しみにお待ちしております。
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お世話になってます (ヤセさん へ)
2008-01-30 17:27:57
ヤセ先輩、こんばんは

月末でお会社のお忙しい時に、身に余るコメントを頂きまして、ありがとうございます。

この所寒い日が続いてます。お酒で温まるのも良いですが、お体を動かされて温まるのも、宜しいかと思います。どうかご自愛なさって下さい。

本日はありがとうございました。お時間があれば、また覗いて下さい。


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 (tenkai-komachi)
2008-01-31 00:41:48
竹のすべてをすばらしい写真とともに勉強させていただきました。

黒竹の竹林って見たことがありませんでした。

春のきざしを楽しめるはいつごろでしょう?
三椏の花を思い出しました。

また ご案内おねがいいたします。
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補陀洛渡海 (こまち さんへ)
2008-01-31 17:26:29
こまちさん こんばんは

先日 那智勝浦の補陀洛山寺に行ってきました。ご承知のように、小舟に乗って観音浄土をめざしす「補陀洛渡海」したお坊さんを奉ってるお寺です。あいにく途中で雨嵐のツイてない日となりました。
明日 am3時起きで、また行かなければなりません。

しかし 生き仏になると言って簡単に死を選ぶ宗教には首をかしげます。まァ現代人には通用しませんが…?

それにしても世界遺産と言われてますが、電柱、看板、他いろいろと「見た目」の配慮の無さにはあきれました。
あれでは残念ながらリピーターは無いと思います。前の大辺路もそうでしたが、ちょっと自慢はできませんね。

帰りに時間があれば、日高川流域の早春を探してみたいと思ってます。お楽しみに!

ありがとうございました。
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