中央集権が確立しもう大きな古墳が造営されなくなった7世紀という古墳時代晩期に現れた上円下方墳。

一番の謎は、中央からの様々な拘束があった時代にこんなにも大きな古墳をぶったてられたこと。すなわち被葬者は誰?ということ。。
同じ7世紀、武蔵府中熊野神社古墳からそんなに遠くない場所に武蔵国府が建設されたという。古代武蔵国の首都。
今の大國魂神社さまの周辺だったようだ。
京王・府中駅からケヤキ並木を行けば大國魂神社さま。



府中市立ふるさと府中歴史館もある。



大國魂神社さまの横に国史跡武蔵国府跡の一部が復元されている。






地方の役所とはいえ今とはコンセプトが違う。権力の象徴である建物は当然のことながら都風。
人足は地元だっただろうが施工管理等は都から技術者等が来たことは想像に難くない。
箱だけでなく中身も都から行政官等が来たことは想像に難くない。


もしかして・・・
府中熊野神社古墳の被葬者は、地元の豪族ではなく中央から来た誰かだったのだろうか?
頓死してしまって、かと言って普通には葬れないほどの身分の誰かだったのであろうか??
なぞなぞ・・・


あれ?キミは関孝行氏の作品でないの(^^♪
