どこって、四谷於岩稲荷田宮神社さまと陽運寺さま。
この道を歩くのは10年ぶりくらいかな?


四谷於岩稲荷田宮神社さま。


なんでわざわざ四谷と付けるかと言えば中央区の新川にもある。明治になって市川左団次から毎度四谷まで出かけて行くのは大変だから新富座のそばに移せないかと打診され、隅田川の畔にあった田宮家の敷地内に移転したのが新川の於岩稲荷神社さま。同体の於岩稲荷さま。
そう。
東海道四谷怪談をかける時には上演前にここのお岩さまにご挨拶せねば色々と不都合が起こると言われ、関係者は必ず詣でるのだ。
寛永13年に田宮岩が没し岩が信仰していた屋敷社がお岩稲荷と呼ばれるようになったという。
その後、享保2年にお岩稲荷を勧請し於岩稲荷社になったという。
清々しい境内。



ここの宮司さまは面白いお方のようだな(^^♪


拝殿の中にお供えされたお酒がずらりと並ぶのは10年前と同じだったけど、歌舞伎関係の名前が見当たらないのは、最近は四谷怪談を上演することがなくなったのかな?

四谷於岩稲荷田宮神社さまのお向かいは陽運寺さま。
なんか改修したのかな?

山門はそのまま。

こちらの境内も清々しい。



お岩さまが使ったという井戸。

このお寺さまは、縁切り寺として有名。
以前は、確かにそのご利益絶大という気に満ちていたけど、こちらと限らずどこの縁切りさまもそうだけど、今は悪縁を切ることは良縁につながると言うことで縁結び。
確かに良縁が来そうだ(^^♪


ここで興覚めではあるけど。。
お岩さんと東海道四谷怪談はあんまり関係ないのである。
田宮岩は実在の女性。徳川家御家人・田宮又左衛門の娘。徳川家御家人といっても貧乏所帯だった田宮家を夫・田宮伊右衛門とともに盛り返した有徳のご婦人。もちろん夫婦仲は睦まじく伊右衛門も真面目な人だった。
それが岩死没後200年もたってから、東海道四谷怪談の脚本を鶴屋南北が書き上演され大ヒットとなったのである。
公明正大清廉潔白を好む一方でゴシップエログロナンセンスを好むのは、江戸時代の人々も同じ。人はそういうものなのかもしれない。
そこのところは、中沢新一氏とか色んな方々が色々と論じておられるけど。
ま。
於岩稲荷の紋は陰陽曲玉。
そうして。
陽運寺さまの風鈴がチリンと鳴るとなんだかそこには・・・
