今二階堂に鎮座されるのは鎌倉宮さま。
大塔宮護良親王さまを祀る神社さま。



日本史に著しく疎く、この護良親王さまというお方のことも全く存じ上げなかった。
それが、かながわ名木100選でたずねた先がたまたま親王さまとご縁があったようで、そこの奥様からお話をうかがった。
うかがってもチンプンカンプンであったが、せっかく奥様が親切に色々と計らってくださったから、護良親王さまの首塚の上に建つという戸塚の王子神社さまに寄って帰宅した。
その後、今度はかながわの古道50選で歩いているうちにいつの間にか王子神社さまの前にいた。奇しくも前回と同じ日であった!
そういう類のお話は全く興味のない私であったが、さすがになんだかゾワリとして、その後のついでに鎌倉宮さまをたずねた。
今回は永福寺跡が目的であったが、バスを降りて境内を横切るような感じで歩くであるから、ついでに鎌倉宮さまを詣でた。





お墓は?行ったことありません。だったらお寄りになってみたらいかがですかな?遠いんですか?テニスコートのところ橋渡ってすぐですよ!ここ(鎌倉宮)から5分くらいです。
あれ?王子神社さまの本殿の下におられるんじゃないのかなぁ???というわけで、護良親王さまのお墓に寄ることにした。
橋渡って。案内板とかないなぁ。。


これなんだろ?理智光寺跡??

碑の向かい側のそこだな。

階段すごかった( ;∀;)汗が噴き出た。


到着。


どうも護良親王さまのお墓にはいくつかの場所があるようだ。更には処刑を逃れて密かに生き延びたという伝説すらあるようだ。
胴体と首が離れたのは事実のようだ。その首が晒されていたのだろうか?晒すといっても特に晒してますという感じではなく放置されたという感じだったのだろうか?その首をめぐって様々な伝説が生まれたということかな?
戸塚の王子神社さまは、侍女が密かに持ち出し洗い清めそこに埋葬したという。
理智光寺さまは、時の住職が捨てられた首を拾って弔ったという。
なんでそこまで人気のある親王だったんだろう?
鎌倉宮は、護良親王を偲んだ明治天皇の勅命により明治2年に造営された。なんで明治天皇がそこまで護良親王に肩入れしたかは不明であるのだなぁ。。。
なんでだろ?

馬にまたがり筋骨隆々な親王。。
誰かに担ぎ上げられて利用されてのだだのお飾りなんかではない親王がそこにおられたなぁ。。。
明治天皇は、実現不可能とわかりながらも何かを取り戻したかったのかなぁ???

ミステリアスであることよ・・・
とか思いながら階段を下ったのでした。

