展示会場を飛び出して横浜の歴史と街に出会う田村友一郎のγ座の物語が紡がれる。


日本郵船氷川丸・海上保安資料館横浜館・旧横浜港駅プラットホーム跡・横浜税関資料展示室・日本郵船歴史博物館・岩亀稲荷・掃部山公園・外国人墓地。
岩亀稲荷ってどこだろう?スマホのナビで掃部山公園のブラフ積擁壁に沿って歩きだす。


お!なんて素敵な建物なんだ(^^♪

後で知ったが、表具師・木村康夫マイスターの仕事場であった(^^♪

その先を国道16号線方面へと曲がる。

喫茶店の横のあれか!あれが岩亀稲荷!!


路地を入る。

この岩亀とはがんきと読む。
開港すればそれに合わせて色々と遊ぶ場所もできる。当時の横浜の歓楽街は港崎遊郭。その中でも一二を争う大楼が岩亀楼。その岩亀楼の体調を壊した遊女たちが静養した寮がこのあたりにあり、遊女たちの心の支えとなったお稲荷様が岩亀稲荷さま。という。


この岩亀楼一番の売れっ子は喜遊大夫。ペリー艦の軍人に言い寄られたが、義理をたてて「露をだにいとう倭の女郎花ふるあめりかに袖はぬらさじ」との辞世を残して自害したという。

この路地は喫茶店に面している。中のご婦人と目が合った。ニコリとご挨拶いただいて、なんか飲みたいなぁと思っていたから、喫茶店へ。

KALDEYさんは、それはそれは心休まる素敵なお店でした(^^♪

お父さんは洋服屋さん。お母さんは画家兼KALDEY昼の部の店主。息子さんは夜の部の店主。

店内はお母さんの作品で彩られる(^^♪



夜は何時まで営業しているのかと思ったら、なんと2時!夜の部はアルコールが主になるようだ。
正直驚いた。正直このあたりでなにか食べられるとか飲めるとかなにか買えると感じたことはない。住宅地。
かつての商店街はたいそうににぎやかだったという。御多分に漏れずの道で今。お隣もパン屋さんだったというが廃業。けど、なんと商店街の衰退を憂いた小学生たちがシャッターに絵を描いてくれたという!

いろんな人がいていろんな生業があったかつての普通の街の普通の生活の風景・・・
同じような人が同じような価値観で同じような生き方をしている今の普通の街の普通の生活の風景・・・
だからどうというではないが・・・
こういうお店がある街は幸せなのである。。。
16号線に向かう。



雪見橋バス停があるのである。
