今日で、今の仕事を始めてから半年が経ちました。
ただひたすらに、
日々の仕事をこなしていくだけの毎日だったけど、
最近、少しずつ余裕も出てきたような…そんな感じです。
病院を辞める前に思い描いていた状況とは、
少し違うこともあるけれど、
ここでしかできない経験をさせてもらっていると思っています。
でも、患者さん一人一人とじっくり向き合えると思っていたのは
その通りだったし、
病院のように常に何かに追われているような、
様々なリスクと隣り合わせなような、
緊迫した気持ちがなくて済むのは、精神的にもすごく楽です。
今日は、先月体験した97歳のおばあちゃんとのお別れを、
書いておきたいと思います。
そのおばあちゃんは寝たきりで、
娘さんの介護を受けて生活していました。
食事は、ほんの少しの量を娘さんから食べさせてもらっていて、
排泄はすべてオムツの中で。
手足は拘縮(関節が曲がったまま固まってしまうこと)して動かせず、
言葉も多少の意思表示はあるものの、
大抵はこちらの言うことを繰り返すだけ…。
まさに「老衰」という状態でした。
前任者からの引き継ぎで受け持つことになり、
オムツ交換などの清潔ケアや介護のアドバイスなどが、
主な看護の内容でした。
私は、それまでの病院での看護の知識や技術をフル活動して、
その人に合う最良の方法を考え、アドバイスをしましたが、
娘さんには「手が痛くて…」や「それはちょっと怖いから」などと言われ、
なかなか受け入れてもらうことができませんでした。
「この方法が良いのに、何でわかってもらえないんだろう?」と
思い悩んでいた時に、
他の訪問看護ステーションの同行見学研修があり、
「介護の主役は家族であって、
その人が一番やりやすい方法でなければ、良い方法とは言えない」
ということを学びました。
もちろん、安全・安楽であることは大前提だけれど、
介護をする人が負担になるようなことは、
無理にさせてはいけないのです。
このおばあちゃんとの関わりは、
在宅看護の基本的な考え方を知る大切な機会になりました。
そして、もう一つ経験することの出来た大切なことがあります。
そもそも、私が在宅看護を目指す大きなきっかけは、
祖父を自宅で看取ったことでした。
おじいちゃんの人生最後のわがままを叶えるため、
家族みんなで頑張ったことで、
病院でなくても最期を迎えることができるとわかりました。
外科病棟で働いていた私は、
病院で儚い最期を迎えるがん患者さんを看る度に、
「家での看取りだってできるのに…」という想いを募らせていました。
そんな想いを持って飛び込んだ今の職場は、
残念ながらそういう機会は少ない所で…。
でも、こういうことは望むべきことでもないし、
今の職場で自信が持てるようになったら、
それができる所へ転職すれば良いと思っていました。
このおばあちゃんは、ある日の食事中に誤嚥をして、
一時的に呼吸状態が悪くなったことがありました。
そのときの訪問は、本当にどうして良いかわからず、
主治医に電話をしたものの、
「で、どうしたいんですか?ご家族が不安なようなら往診しますが。」
といったぞんざいな答えが返って来るだけ。
一応、往診はしてもらいましたが、
「一時的なショック状態になりましたが、回復に向かっています。」
ということでした。
確かに、徐々に回復してはいるものの、
以前と比べるとだいぶ弱ってきていたので、
「夏までは持たないかもしれない。」と思っていました。
そんなある日の午後、その日の訪問が終わって戻ってくると、
“娘さんが呼吸が止まっているのを発見し、
お亡くなりになったそうです。”
というメモが貼ってありました。
その2日前に訪問したばかりで、
「また来週」って声をかけてきたのに…と思うと、
何だか信じられない気持でした。
それでも、状況を確かめたくて、
担当のケアマネージャーさんに電話をすると、
「『木が枯れていくように、最期を迎えたい』と
ご家族が希望されていたので、
そのように支えていただけて良かったです。
ありがとうございました。」
と言われました。
自分はそんなつもりは全くなくて、
ただ「どうしたら、この方法を受け入れてもらえるか?」
ということばかりを考えていたので、
思いがけない言葉に呆然としてしまいました。
病院であれほど慣れてしまったと思っていたお別れを
受け入れるまでには少し時間がかかりました。
でも、2日後に偶然、
そのおばあちゃんのお葬式の斎場の前を通ることができて、
それが「ありがとう」と言いに来てくれたような気がして、
ようやくそれを受け入れることができました。
一ヶ月後、ちょうど集金もあったので、そのお宅を訪ねました。
娘さんが気落ちしていないか、それだけがとても心配でしたが、
久しぶりに会う娘さんは、髪を切って、
おばあちゃんがいたときにはしていなかったお化粧をして、
にこやかに迎えてくれました。
お部屋にはまだオムツなどが残ってはいましたが、
ベッドはもうなくて、そこだけぽっかりと穴が開いたような…
でも、絨毯にしっかりとついたベッドの跡が、
もういないっていうことを実感させてくれました。
おばあちゃんのことを
「まだ不思議な気がする。長い旅行にでも行っているみたい。」
と話してはいましたが、
悲観的になっているという風でもなく、
少しずつ、前を向いて進み始めているような、そんな感じでした。
これから先、このような経験ができるかどうかはわからないけど、
ここで教えてもらえたたくさんのことを、
ずっとずっと大切にしていきたいと思っています。
最後に、97歳の大往生だったおばあちゃんのご冥福をお祈りします。
どうもありがとうございました。