氣まぐれ剣士の言いたい放題
301 愛と愛情
「愛」と「愛情」とは、全然違うそうです。
「愛」というのは、無条件で、しかも厳しいのです。ところが「愛」の下に「情」の字がつくと、急に条件がついてきて、ドロドロしてくるのです。ですから、これからは、みんながお互いに「愛」の部分だけで接するようになれば、本当に楽になれますね。
例えば、「愛」の部分では(やってあげない方がいい)とわかっていても、「情」の部分でやってあげてしまうことが一杯ありますよね。
人に対して、やってあげることによって相手をダメにしていることが、実はいっぱいあります。
「愛」の部分ではわかっているのですが、(やってあげないと、冷たい人だと思われる)とか、良い子になろうとしているのですね。本当にどうしても、やってあげないといけない時以外は、なるべくやらないようにすることですね。
例えば、お年寄りに対しては、何でもできるだけ自分でやらせてあげた方がよいのです。「もう、お歳だから・・」 というのは「情」ですね。
ですから、本音で言えばいいそうです。
『私は、「情け」の部分ではやってあげたいのはやまやまなんだけれど、「愛」の部分であなたと接します。あなたの為になりませんから、自分でやりなさい』とはっきり言えばよいのです。
本当に相手のことを思って、そして本音で言えば、絶対わかりあえます。でもそこには、思いやりが必要ですね。
例えば、お年寄りにお布団の上げ下ろしをやらせるとしたら、なるべく軽いお布団にしてあげるという思いやりが、人間関係の潤滑油になりますね。
そうか、愛と愛情は似てますが、全然違うのですね。ほとんど同じように考えてましたが、愛とは厳しいものなのですね。
でも、気まぐれ剣士はヤクザ屋さんじゃないけれども「義理と人情」が好きですね。
「情」に振り回されて、人目ばかり気にして余計なことをして、相手をダメにしていたことが一杯あるかも知れませんが、これで自分の気持ちがスーとしているのですね。
これからは今まで人にやってあげていた時間を、もっと自分を見つめる為に使ったほうがいいかもしれません。
次回もお楽しみに
以上
301 愛と愛情
「愛」と「愛情」とは、全然違うそうです。
「愛」というのは、無条件で、しかも厳しいのです。ところが「愛」の下に「情」の字がつくと、急に条件がついてきて、ドロドロしてくるのです。ですから、これからは、みんながお互いに「愛」の部分だけで接するようになれば、本当に楽になれますね。
例えば、「愛」の部分では(やってあげない方がいい)とわかっていても、「情」の部分でやってあげてしまうことが一杯ありますよね。
人に対して、やってあげることによって相手をダメにしていることが、実はいっぱいあります。
「愛」の部分ではわかっているのですが、(やってあげないと、冷たい人だと思われる)とか、良い子になろうとしているのですね。本当にどうしても、やってあげないといけない時以外は、なるべくやらないようにすることですね。
例えば、お年寄りに対しては、何でもできるだけ自分でやらせてあげた方がよいのです。「もう、お歳だから・・」 というのは「情」ですね。
ですから、本音で言えばいいそうです。
『私は、「情け」の部分ではやってあげたいのはやまやまなんだけれど、「愛」の部分であなたと接します。あなたの為になりませんから、自分でやりなさい』とはっきり言えばよいのです。
本当に相手のことを思って、そして本音で言えば、絶対わかりあえます。でもそこには、思いやりが必要ですね。
例えば、お年寄りにお布団の上げ下ろしをやらせるとしたら、なるべく軽いお布団にしてあげるという思いやりが、人間関係の潤滑油になりますね。
そうか、愛と愛情は似てますが、全然違うのですね。ほとんど同じように考えてましたが、愛とは厳しいものなのですね。
でも、気まぐれ剣士はヤクザ屋さんじゃないけれども「義理と人情」が好きですね。
「情」に振り回されて、人目ばかり気にして余計なことをして、相手をダメにしていたことが一杯あるかも知れませんが、これで自分の気持ちがスーとしているのですね。
これからは今まで人にやってあげていた時間を、もっと自分を見つめる為に使ったほうがいいかもしれません。
次回もお楽しみに
以上