氣まぐれ剣士の言いたい放題

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一度のぞいてください。

283 存在 

2006-02-01 17:47:56 | Weblog
気まぐれ剣士の言いたい放題

283 存在 


自分が認識するから、全てのものが「存在」出来るのです。自分が認識しなければ、何も「存在」することが出来ません。

この三次元は、二元論の相対の世界です。 良いがなければ、悪いは「存在」することは出来ません。 あなたが居なければ、私が「存在」することも出来ないのです。「見るもの」がなければ、「見られるもの」も「存在」しません。

自分がが相手の「存在」を認めなければ、その相手はあなたにとって、「存在」していないのと同じことです。それは相手の「存在」を否定し、抹殺しているのと同じことですね。

愛の反対は、憎しみではなく、無関心だそうです。 つまりその「存在」を認めず、無視することです。それが最も「愛」から、かけ離れた行為だと言うことです。

我々がその「存在」を認めない限り、相手は「存在」することさえ出来ないのですから…。

自分と無関係に、あなたの外側に「存在」しているものなどひとつもないと知ることが、全ての気付きの始まりだそうです。全ての「存在」は、あなたが意識した結果として「存在」を許されているのです。そしてそれはあなたの意識を投影したものであり、あなたの一部として「存在」しているそうです。

自分の意識が変われば、自分の見るものが変わります。自分の見るものが変われば、自分の外側の「存在」も変わります。それはあなた自身を投影していますから、自らの「存在」が変化していることに他なりません。あなたの世界が変わるということは、こういうことです。

 愛の反対は憎しみではなく無関心、すなわち存在を無視することだったのですね。「存在」しているとは自分が認識して初めて存在できるのです。

 確かに熟睡しているときは何も存在してませんね。

 
 次回もお楽しみに
以上