創価学会に悩むすべての人へ

創価学会問題の構造を紐解く(※コメント不可。トラックバック歓迎!)

結婚問題

2006年01月30日 | Weblog
子供が親を失いたくないために、親の言う事に逆らえないように、恋人は恋人を失いたくないために、恋人の言う事に逆らえない。
この心理を、利用して、勧誘するという手口が横行している。

つき合い始めるまで、何も言わず、結婚の話がでるようになってから、自分が創価学会員であるという事をカミングアウトし、「入会してくれなければ結婚はできない」と迫る。
会社では、営業成果をもって実力が評価されるように、創価学会においては、勧誘(折伏)成果の有無によって評価される。
勧誘(折伏)成果の上がらない者は、いかなる優れた弁論ができても、一日、何時間お経を唱えたとしても、評価されない。
逆に、勧誘(折伏)成果を出している者は、弁論が苦手であっても、勤行をさぼっていたとしても、評価を受け、役職が上がって行く。

特に、若い創価学会員が所属する青年部は、勧誘の主力部隊としての役割を担っており、勧誘成果を上げることを、常に期待されている。

だが、戦後の生活苦の時代ならばともかく、豊かで恵まれたこの時代に、簡単に勧誘に乗って来る人間などいない。
まともに、友人に創価学会の話をしても、逃げられるのがオチである。

だが、逃げない相手も存在する。
それは「恋人」である。
恋人同士の場合、相手を手放したくないという執着がある。
勧誘されたからと言って、やすやすと離れて行くことはない。
逆に、恋人を失いたくないがために、二つ返事で入会する可能性さえある。

熱心な創価学会員が、恋人を勧誘する理由が、ここにある。

また、本人が、それほど熱心な創価学会員ではなくても、その親が熱心な創価学会員の場合、我が子の結婚相手には入会して欲しいという願いを持つ。
これは、夫婦で共に信仰しなければ、幸福になれないという、創価学会の思想があるからだ。

信心している人を選ぶか、いない人を選ぶかも、全く本人の自由であり、周囲で干渉すべき問題ではない。本人に信心があれば、相手を信心させて立派にすることもできよう。ただし、信心強盛のつもりでも、かえて信心を崩されて苦しむ場合が多い。所詮、夫婦そろって信心できる家庭でなければ、真実の一家和楽は築けない。(池田大作「指導メモ」)

本来、信教の自由というのは、夫婦間においても認められるものである。
夫婦が別々の宗教を持っていても、構わない。
だが、創価学会においては、そのようなものは無い。
夫婦は、共に創価学会を信仰しなければ、幸福になれないと考えている。

このような考えから、創価学会員の親は、我が子が結婚する場合、その相手を何としても、入会させようとするのである。
その相手が拒絶しようものならば、結婚、それ自体に反対する。
この反対にあって、結婚を断念するケースもある。

相手がさほど熱心な創価学会員ではなく、その親も、我が子の結婚相手を無理に入会させようとしない場合もある。
この場合は、「入会してくれなければ結婚はできない」などと言われないので、安心して結婚してしまう。
だが、結婚し、子供が出来たら、その子供を入会させるかどうかで揉めることがある。
また、創価学会員の墓は、大抵、創価学会専用の墓地だから、自分の遺骨をどこに埋めるのかというトラブルも生じて来る。

結婚段階において、相手が熱心でない創価学会員であっても、それは休火山のようなものであり、何をキッカケに活火山となるか予測がつかない。
熱心でないとは言え、創価学会というものを、一往、認めているから脱会しないのであるから、生活に危機が生じれば、いつ、狂信的になるかわからない。
結婚時に、相手があまり熱心でないからと言って、決して安心はできない。

創価学会員と結婚するということは、金正日崇拝の北朝鮮人と結婚するくらいに、さまざまな問題を秘めている。

憲法では信教の自由が保証されているので、相手の宗教を確認せずに、男女交際をはじめる人間がほとんどである。
だが、それは大変に危険であるということは、認識すべきだ。

2世3世問題

2006年01月30日 | Weblog
創価学会員の子供を「学会二世」といい、そのまた子供を「学会三世」という。
生まれた子供を幼い頃から教団に入れ、教えを植えつけるという行為は、他の教団においても見られる。

教団側から見ると、もともと、教団外の人間に、布教をかけて、入信させようとする事は、極めて困難な作業である。
相手の、蓄積された人生観を、一度、ひっくり返す必要があるからだ。
しかし、子供というのは、スポンジのように、親の価値観を吸い取る習性がある。
そこで、布教の手間を考えた場合、子供を入信させたほうが早いという事になる。
そこで、教団側は、子供ができたら、必ず教団に入れるように言うのである。
 
子供は親の保護を受けねば生きて行けない。
だから、親の言う事に逆らえない。
その事を利用し、子供に宗教を押しつけるなどという事が、道義的に許されて良いのか?

子どもを 立派な後継者に ! 広宣流布の信心を そして 大福徳を 断じて 途絶えさせるな ! (平成17年3月10日、聖教新聞「わが友に贈る」)

勤行内容の変更

2006年01月28日 | Weblog
法華経の、方便品と寿量品の読誦を、ワンセットとしたものが「一座」であり、朝はこれを五回繰り返すから「五座」、夕方は三回繰り返すから「三座」という。
昔の創価学会では、この「五座・三座の勤行」という事を、やかましく言われた。
 
勤行は早からず遅からず、声は大きからず小さからず中道がよい。
五座・三座の勤行をきちんとやれば体がきちんとする。
やっていない人に限っておかしくなるのだ。(池田大作)

 
ところが、平成16年9月10日付の聖教新聞に
《創価学会の「勤行」および「御観念文」の制定》という記事が出た。
 
したがって、「方便品・自我偈の読誦と唱題」には、大聖人の仏法における勤行の本義と目的が欠けるところなく具わっているのである。
ゆえに、現代の広宣流布を担う創価学会として、この「方便品・自我偈の読誦と唱題」をもって、正式の勤行として実践していくことを定めたのである。
(中略)そして、世界広宣流布の時を迎え、各人の一生成仏と、広宣流布を進める勤行という日蓮大聖人の本義に基づき、時に適った勤行のあり方として、「方便品・自我偈の読誦と唱題」という方式を実践することを定めたのである。

 
つまり、「五座・三座の勤行」というものは不要である。
ワンセットのみでいい、という事になったのである。
以前の創価学会では、五座三座の勤行をしっかりしなければ、大宇宙のリズムに乗り遅れて行くという指導をしていたのである。
だから、創価学会員の子供は、「勤行しなければ、御飯を食べさせてあげませんよ!」
といわれ、泣く泣く五座三座の勤行をしていたのだ。
 
方便・自我偈の勤行に
『大聖人の仏法における勤行の本義と目的が欠けるところなく具わっている』
のであれば、なぜ、創価学会は、昔から、そのように教えてくれなかったのか?
創価学会は、「宗門との関係を考えて、仕方なくそうして来た。」
と言い訳するであろうが、宗門から独立して作られた、最初の創価学会版経本でも、五座三座の勤行になっているのだ。
 
創価学会では、戸田第2代会長の時代に、自分たちの修行として五座三座の勤行を行っていくことを決めました。
勤行は修行である以上、一定の形式を設けて挑戦していくのは大切なことです。
しかし、五座三座ではなく、たとえ方便品・自我偈(じがげ)の勤行や、唱題だけしかできないことがあっても、真剣に心から祈っていけば、勤行の功徳に変わりはありません。
それで罰(ばち)が出るなどと、心配する必要も、絶対に、ありません。
(創価学会公式ホームページより)

 
旧指導 ─→ やっていない人に限っておかしくなるのだ。
現指導 ─→ それで罰(ばち)が出るなどと、心配する必要も、絶対に、ありません。

 
この変化を、どのように思うか?

恋人(配偶者)が創価学会員問題

2006年01月27日 | Weblog
わしに寄せられる相談で、最も多いのが、
自分の恋人(配偶者)が、創価学会員で、大変に困惑しているというものだ。
創価学会が、あまり良くない宗教団体であるから、
できれば恋人(配偶者)を脱会させたいという。

だが、その恋人(配偶者)には脱会の意志も無くて、
基本的には、創価学会が好きなのだ。

創価学会を「良くない」と思う理由を、恋人(配偶者)に伝えても、
彼は「そんな情報は承知した上で、かつ、創価学会を信じている」という。

このような場合、その恋人(配偶者)の価値観と、
創価学会の価値観が、ピッタリと一致しているわけだから、どうしようもない。

例えば、自分の恋人(配偶者)が、あるアーティストがとても好きで、
部屋にいる時も、車に乗っている時も、そのアーティストの曲ばかりを聴いている。
なぜ、そのアーティストが好きかというと、
歌詞の中にある価値観と、自分の価値観が一致しているからだ。
自分の思いを、そのアーティストが代弁してくれているから好きなのである。

同じように、恋人(配偶者)がその宗教団体を好きなのは、
その宗教団体の指導者なりが、自分の思いを代弁してくれているからである。

私に相談に来る人は、創価学会の教えが、とても肌に合わず、
池田名誉会長の話を聞くと、吐き気がするというのだが、
その人の恋人(配偶者)は、逆に、それが好きなのである。
つまり、その恋人(配偶者)と、創価学会(池田名誉会長)は、似たもの同士なのだ。

こういう話をしても、私に相談して来る人は、決して受け入れようとしない。
恋人(配偶者)を、創価学会に騙されている被害者だと主張する。
これは、自分の恋人(配偶者)を、良く思おうとする心理が作用している。

客観的に見れば、創価学会の教えや、池田名誉会長が嫌いならば、
それに心酔している恋人(配偶者)の性格も嫌いなはずだ。
冷静になって見れば、その事がわかるはずだ。

冷静になった人は、自分の人を観る目が狂っていたことを認め、
恋人(配偶者)と別れを決意する。
今まで、創価学会がらみで、何人もの人が別れを選択して来た。
それは、すべて正解だと思う。

世の親達にお願いしたいのは、
もし、自分の娘の嫁ぎ先が、創価学会の家ならば、
「子供を連れて戻って来い!」と言ってやって欲しい。

だが、不思議なもので、
別れを決意した瞬間に、恋人(配偶者)が目を覚ますことがある。
別れを言い出されたことで、自分の価値観と、
自分の恋人(配偶者)の、どちらが大切かをようやく考えるようになり、
最終的に、価値観を放棄し、恋人(配偶者)を選択する。
まさに、捨て身の効である。
最高の成功例として、こういうケースもある。

最も悪いのは、お互いに胸に一物を抱えたままの関係を、ズルズルと続けることだ。
心が通じ合わないという悩みを抱えたまま、ずっと行く。
ズルズルと続けた結果、熟年になって、対立して離婚するケースもある。
これでは、長い結婚生活が、一体何だったのか、疑問になる。

百尺(約30m)の竿頭から、一歩を進む気持ちで、
思い切った決断をすることが、最終的に自分にベストな結果をもたらす。

ま、そもそも、付き合う前に、相手の宗教くらい、確認しておけって言いたい。

大御本尊

2006年01月12日 | Weblog
ドライブする時、地図を頼りに
「この国道をまっすぐ行けば、温泉に辿りつくんだな」と判断する。
 
同様に、信者にとって、宗教における教義とは、人生の地図である。
「このまままっすぐ行けば、幸福になれるんだな」と。
 
ところが、創価学会というのは、主要な教義をコロコロと変えてしまう。
それも、信者への説明も、謝罪もなく。
 
その代表的なのが、大御本尊の件である。
「大御本尊」とは、日蓮正宗(※)総本山、富士大石寺に祀られている、
木彫りの曼陀羅である。
この曼陀羅というのは、
色んな神様、仏様、
坊さんの名前が文字で書き並べてあるものだ。
 
大御本尊は、日蓮によって遺されたという伝説があり、
信者がこれに祈れば、どんな願いでも叶うという。
 
かつて、創価学会は、日蓮正宗の内部団体だった。
その時の創価学会は、日蓮正宗の宣伝部隊だったので、
大御本尊についても、盛んにたたえていた。
 
日蓮にはたくさんの弟子がいたが、
日蓮が死んでから、弟子がみな、バラバラに宗派を作った。
日蓮正宗も、その中の一つだが、大御本尊は日蓮正宗総本山、富士大石寺にしかない。
そこで創価学会は、南無妙法蓮華経という題目は、大御本尊に対し、祈ることで、
はじめて功徳があるのであり、大御本尊に祈らねば、功徳は無いと言い切った。
 
各家庭にある本尊も、総本山大石寺から、大御本尊の分身としていただいている。
だから、功徳があるという考えかたである。
 
あくまでも、物体としての大御本尊に価値があると、創価学会は主張していた。
その大御本尊を拝まない他の日蓮宗は、謗法だと斬り捨てた。
 
三大秘法とは、本門の本尊と本門の題目と本門の戒壇との三つであり、この本門の本尊すなわち弘安二年十月十二日に顕された一閻浮堤総与の大御本尊に対して題目を唱えるのが大聖人の教えである。
現在のように種々雑多のものを祭って本尊としたり、お守りにしたりして、これに向って唱題しているということは、根本的な誤りであり、大聖人の教えに背いている仏敵である。
ガラスをいくらダイヤモンドだと思い込んでも、その価値は生じないのである。
「南無妙法蓮華経」の実体に対して関係したときこそ、初めて価値を生ずるのである。大聖人の正しい教えを聞きたければ、大聖人より日興上人に御付属があって以来、富士大石寺に七百年間、連綿として血脈相承されている日蓮正宗についてのみ、日蓮宗を正しく知ることができるのである。大聖人の御書のうえからも、哲理に照らしてみても、また現証のうえからも正邪の区別は判然としている。
看板だけを無断借用しているニセ日蓮宗と称するものは、大聖人に背いているゆえに、たとえ小利益があったとしても、その後には必ず大罰が出、ついには生命を弱らせたり、一家離散したりして不幸に陥るのである。
(「折伏教典」昭和43年版)

 
ここでは、明確に『「南無妙法蓮華経」の実体対して関係したときこそ、
初めて価値を生ずるのである。』と書かれている。
つまり、大御本尊とは、概念的なものではなくて、実体だからこそ、尊いとされて来たのだ。
ところが、創価学会が、富士大石寺から離別してしまった現在、その実体を拝むことができない。
これについての、創価学会側からの釈明は、2006年1月現在まで、一切無い。



※日蓮正宗:日蓮の弟子の日興が開いた宗派。富士宮に総本山大石山がある。戦後、創価学会を信徒団体としたことで、信徒数を急増させるも、後に主導権争いが生じ、創価学会を切り離した。

創価学会側の苦しい言い訳

2006年01月08日 | Weblog
仏教文献学を専門に勉強した経験が無い者でも、「スッタ・ニパータ」や「ダンマ・パダ」などの原始仏典を少しでも読めば、法華経が釈迦の説法ではないであろうことは、簡単に想像がつくのである。

だが、もし、法華経が釈迦の説法ではないとするならば、日蓮の論拠、そのものが崩壊してしまう。
日蓮の論拠が崩壊すれば、日蓮を尊ぶ創価学会の立場も崩れ去るので、創価学会としては法華経が、何としても釈迦の教えでなければ困る。
そこで、創価学会では、大乗非仏説(※)を証明しつつある、仏教文献学への反論として、かなり苦しい釈明をする。

たしかに、最近の仏教学の傾向は、そうした実証的な研究を重視するようになっていますね。今後、仏教が更に世界的な宗教として発展していくためにも、客観的な歴史的解明がなされていくのは、大いに喜ばしいことであると思う。
しかし、法華経をはじめとする大乗経典が、まったくの歴史的所産であって、釈尊自身の教えにはなかったという考えは、あまりに独断的にすぎると思う。つまり、人間の思惟、宗教心といった、かけがえのないものを、すべて歴史的・社会的背景に還元する方法論、すなわち宗教を研究する近代的な学問論に問題があるといえます。むしろ最近は、そうした学問的態度を反省する傾向も強まっていることは、やはり当然といえますね。したがって、法華経や他の大乗経典に盛り込まれたような内容の教えを、やはり釈尊自身、すでに説いていたものとみるのが妥当でしょう。(池田大作「私の仏教観」)


創価学会では、当然のように、法華経を釈迦の説いた最高の説法であると主張し、会員には、そう信じさせていた。
ところが、仏教文献学によって、法華経が釈迦の法門ではないことが定説化されて行くと、「妥当」という言葉でお茶を濁すことになったのである。
もちろん、「妥当」とする根拠など、どこにも無い。

さらに付言すれば、もしこの考古学的見地から、大乗教典が仏説でないとするならば、釈迦が在世中に、法華経をはじめとする大乗教典のなかに含まれているような教えを説かなかったという有力な証拠を、他に見いださなければならないでしょう。(「創価学会入門」創価学会教学部編)
 
法華経とは、釈迦が説いたものだと主張しているのが創価学会なのだから、釈迦が説いたと証明する責任があるのは、創価学会の側である。
「説明責任」とは、常に主張した側にある。
 
それは釈迦が説いたから偉大だというのではないのです。すべての人間の現実生活を力強く革命していく、根本の生命の法則性を看破した教えであるがゆえに最高なのです。(「創価学会入門」創価学会教学部編)
 
ここでは、法華経が釈迦の説法ではないという事を、半分、認めてしまっている。
法華経が、釈迦の説法でなくても、法華経の思想そのものが最高だから、法華経が最高の経典なのだ、という主張をしている。
だが、「内容が尊いから最高」というのでは、客観的説得力に欠けてしまう。
なぜならば、法華経を読んで、尊いと感じる人もいれば、そう感じない人間もいるからである。



※大乗非仏説:大乗経典が、釈迦の説法を反映したものではない、という説。近代仏教学以前より、江戸時代の富永仲基という学者が、これを指摘していた。

四十余年、未顕真実

2006年01月08日 | Weblog
法華経を第一の経典とする具体的根拠が、無量義経(※)に書かれている「四十余年、未顕真実」(※)の一文である。
 
したがって、今日、釈尊自ら「四十余年、未顕真実」ときらった四十余年の経を依経とする既成仏教にすがりついていることは、不幸になる根本原因である。(「折伏教典」昭和43年版)
 
無量義経は、サンスクリット語の原文が無く、中国で作られた経典ではないかというのが、仏教学の世界では有力な説である。
また、この経典には、「法華経」という言葉が、一つも出て来ていない。
 
浄土の三部経(※)は、方等部であり、四十余年の説で、権教方便の教えである。後八年の法華経こそ実経であり、釈迦出世の本懐であることは無量義経に「四十余年未顕真実」と、また方便品に「正直捨方便、但説無上道」と。(「折伏教典」昭和43年版)
 
「四十余年、未顕真実」の文は、法華経を実経、つまり真実の経典とする根拠にはならない。
ましてや、法華経方便品に「正直捨方便、但説無上道」と書いてあっても、それは自画自賛であって、まったく根拠にならない。
法華経が釈迦の説法であるという根拠があるならばまだしも、その根拠など、どこにも存在しない。



※四十余年、未顕真実:善男子、我先に道場菩提樹下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三貎三菩提を成ずることを得たり。仏眼を以って一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以は云何、諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと方便力を以ってす。四十余年には未だ真実を顕わさず。是の故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず。(無量義経説法品第二)
※浄土の三部経:法然が選んだ、浄土宗の拠り所とする経典で、「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の三典。

五時八教の教判

2006年01月08日 | Weblog
創価学会では、日蓮の教えのみを尊び、それ以前の教えは、原始仏教(※)も、法華経も、天台も、本来、無用という立場である。

しかしながら、あらゆる経典の中では、法華経を最も尊いとする。
その根拠について考えてみたい。

このように、釈迦一代の仏法(※)を通観して、五時八教を比較していくと、妙法蓮華経の教えは、釈迦仏法の最高原理であり、骨髄であり、大綱である。
(池田大作「人間革命第一巻」昭和62年版)


「五時八教」とは、天台智ギ(※)が説いた教判である。

仏教上には、さまざまな経典がある。
そのほとんどは、釈迦の教えを反映したものではなく、後世の人間が、独自に生み出した思想であることは、今日の研究により、推察されているところである。
しかしながら、以前は、すべての経典が、釈迦の教えを忠実に表現していると考えられていたのである。

だが、Aという経典と、Bという経典では、まったく異なった思想が説かれていたり、それぞれの経典に、「この教えこそ最高」と書かれているので、どれが本当に最高なのか、よくわからない。
そこで、各宗派では、それぞれ、経典ランキングをつくった。
それが「教判」である。

たとえば、法相宗は三時教判で、「華厳経」「解深密経」などを最高とする。
華厳宗は五教十宗の教判で、「華厳経」を最高とする。
空海の真言宗では、十住心を教判とし、密教経典を最高とする。
天台宗では、五時八教の教判により、法華経を最高とするのだ。

宗派というのは、華厳経が好きな人が華厳宗を開き、浄土経典が好きな人が浄土宗を開く。
客観的な判断の前に、経典の好みがあり、その好きな経典を、自分の宗派の拠り所としている。
しかし、自分の宗派に、お客(信者)を集めるには、ただ「好き」と主張するのではなく、「この経典こそが最高」という、理屈を作ったほうが有利である。
その理屈が教判なのである。

どの生命保険でも、自分の生命保険が有利でおトクだということを、理屈をこねまわして説明している。
一般人は、その理屈を聞いても、チンプンカンプンで、他者の生命保険との差がわからない。
でも、「理屈」を並べられると、「ああ、そうかなあ?」と思ってしまう。

各宗派の教判も、一般大衆には、ワケがわかんなくても、とにかく、理屈を並べて、それらしく思わせてしまおうという狙いがある。

そもそもが、すべての経典を釈迦の教えだとする、無理のあるところから理屈が構成されているので、どの教判も、ムチャクチャである。
天台宗の教判が華厳宗で通用することはなく、華厳宗の教判が天台宗で通用することはない。
教判とは、自分の宗派の内部でしか通用しない。
客観的説得力を持たないものである。

天台宗出身の日蓮は、五時八教の教判をもって、他宗を批判・攻撃していたが、それは、自国の法律をもって、他国を取り締まるようなものであり、まったく無意味な行為だ。
その証拠に、日蓮に鋭く反応したのは、一部の念仏宗徒と、真言律宗の忍性(※)だけである。他宗派には、ほとんど相手にされていないのだ。

創価学会では、五時八教の教判をもって、法華経を最高とする。
だが、そもそも、すべての経典を釈迦の教えとするということを前提としているところに決定的な論理破綻があり、経典の勝劣の判定も、天台智ギの主観に基いている。

人間というのは、自分の知らぬような難しい言葉を並べられると、「ああ、そうかな」と思ってしまう。
教義というものは、往々にして、そうした心理を見越してつくられているということを忘れてはならない。

近代の仏教文献学は、宗派的立場を超えて、釈迦の教えとは一体、何であったのか?ということを、科学的に究明している。
「科学的」というのは、客観的説得力がある、ということである。
「信じないのならばそれでいい」というのは、宗教であって、科学ではない。
従来の、各宗派の「教判」というのは、しょせん、そのたぐいのものだったが、それでは問題があるということで、イギリスの学者が、文献学的に仏教思想を探究して行く方法論を生み出した。

「伝言ゲーム」は、前の人間ほど、その内容は、オリジナルに近い。
後の人間ほど、メチャクチャになる。
仏教文献学も、基本的には、そういう態度である。
経典も、釈迦滅後、100年後に書かれたものもあれば、500年後に書かれたものもある。
どちらが、釈迦の真説に近いかといえば、100年後に書かれたものであろう。

また、経典の中に、たとえばカラーテレビのことが書かれていれば、それはインチキだとわかるだろう。
釈迦の時代には、存在しないことが書かれていれば、それは釈迦の教えではなく、後世の作り事なのである。

ちなみに、「最古の経典」とされているのは「スッタ・ニパータ」である。

詩の部分はアショーカ王以前につくられたものであるから、西紀前二六八年よりも以前のものであり、散文の部分は西紀前二五〇-150年頃にほぼ原形のようにまとめられたのだろうと考えられる。(中村元「ブッダのことば」)

対し、法華経の成立は、釈迦滅後、300~400年の紀元前後であり、約半世紀ほどの開きがある。
内容に関しても、スッタ・ニパータが『身をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食しない。』のような素朴な言葉の連続であるのに対し、法華経は『そのとき、世尊の眼の前で、集っていた会衆の真中に、高さ五百ヨージャナ(3700km)・幅もそれにふさわしい、七宝づくりの塔が地中から出現した。』のように、SF的である。

法華経、華厳経は、悪く言えば荒唐無稽であるが、良く言えば、ロマンがあるので、昔の人に好まれた。
一方、地味な思想を語る原始仏典は、あまりウケが良くなかったと思われる。
よって、原始仏典よりも、法華経、華厳経こそが、深く尊いという見方が生まれた。



※釈迦一代の仏法:阿含経、維摩経、法華経、華厳経など、あらゆる経典について、数百年前までは、すべて釈迦一代の説法であると考えられていた。日蓮も、そうした立場だったため、創価学会もまた、すべての経典を、釈迦一代の説法であると考えている。
※天台智ギ(豈+頁):(538~597)中国天台宗の開祖。法華経と竜樹の教学を、独自の形に体形づけた。
※忍性:日蓮の遺文では、「極楽寺良観」という名称で登場する。ちなみに、江戸時代の禅僧、良寛とは別人である。
※原始仏典:大乗仏教はサンスクリット語で記録されており、それ以前の経典はパーリ語で記録されている。このパーリ語で書かれた一連の経典を「原始仏典」という。このうち、最古の成立とされているのが「スッタ・ニパータ」、準じて「ダンマ・パダ」。原始仏典を漢訳したものを「阿含経典」という。ちなみに、「原始仏典」に記録された仏教を「原始仏教」という。

無常・無我の否定

2006年01月06日 | Weblog
平家物語の『祇園精舎ノ鐘ノ声、諸行無常ノ響アリ。』から、「無常」(※)を何か、さみしい、後ろ向きのものに感じている人が多いのではないかと思う。
また、「無我」(※)というものを、自己を否定する、後ろ向きの思想という風にとらえる人が多いだろう。
創価学会も、まさにそこを突いている。

現代の知識人の大半の仏教観は、仏教の本義が、無我や無常といった、現実を超克した世界や、現実を諦観した世界(※)にあるかのような錯覚に陥っております。これは小乗教(※)あたりで説かれている低次元の教義に、まるで仏教の根本精神があるような誤認識から生まれるものです。(「創価学会入門」創価学会教学部編)

だが、「無常」「無我」というのは、本来、そのような思想ではない。
「無常」とは、世の中は、変化流動してとどまることがないという真理を説いたものであり、「無我」とは、欲望にとらわれることを戒める思想である。
「無常」「無我」こそが、仏教のベースとなる思想であり、これを否定してしまえば、仏教そのものからの逸脱になる。
創価学会の諸問題は、「無常」「無我」を否定するところから生じている。


※無常:世の中のあらゆる事物は、変化流動し続けているということ。
※無我:執着を離れるということ。
※現実を超克した世界や、現実を諦観した世界:「無常」「無我」の思想は、決して現実を超克したものでも、現実を否定したものでもない。「超克」「諦観」というのは、創価学会の勝手な解釈から来た批判である。
※小乗教:小乗仏教のこと。釈迦の打ち立てた仏教は、出家者による出家者のための仏教であり、在家信者は脇に追いやられていた。そのため、釈迦滅後、数百年経過して、在家による仏教が誕生した。これが「大乗仏教」である。対して、大乗仏教以前の仏教を「小乗仏教」と呼ぶ。

釈迦を超えた、日蓮の仏教

2006年01月06日 | Weblog
「末法思想」というものがある。

釈尊の没後1000年・1500年あるいは2000年を経過すると,仏説のとおりに修行し悟る者がなくなり,それから1万年の間,教法のみが残るという。(誠信書房「新・佛教辞典」)

釈迦(紀元前463~383)が亡くなって、あまりにも長い期間が経過してしまうと、釈迦の教えにも効力が無くなってしまうのではないか?
という危惧から、末法思想が生じた。
末法思想がはじめて文献に登場したのは、北斉慧思(515~577)からであり、釈迦自身が末法思想を述べたわけではないと考えられる。

不安な時代が続くと、「世の中はこれでおしまいになってしまうのではないか?」という終末観があらわれる。
末法思想も、この終末観の一つのあらわれだろう。

唐の道綽・禅導は、末法に相応する教えは浄土教のみと主張し、日本の源信・法然も、これを受けて浄土教を広めた。
これに対し、日蓮(※)は、末法では、南無妙法蓮華経と唱えることによってのみ、救われると説いた。

「南無妙法蓮華経」という文句は、法華経の中にすら、見出すことはできない。
仏法僧の三宝のうち、「法宝」に帰依するという意味で、日本天台宗で唱えられたのである。
これを、日蓮はピックアップした。

創価学会では、釈迦の説いた本来の仏教を「釈迦仏法」。
日蓮の説いた思想を「日蓮仏法」(※)として、立て分け、末法においては、日蓮仏法のみに効力があると主張している。

いまから約三千年前、インドに出現した釈尊は、五十年の間、華厳・阿含・方等・般若・法華と多くの経々を説かれたが、最後の八年間に説かれた法華経が最高唯一の法であると説き示されたのである。
しかも、釈尊は、法華経において一切の大衆に皆仏道を成就させたが、釈尊入滅後二千年以後の末法の時代になると「白法隠没」して釈迦仏教はすべて功力を失ってしまうと説いた。白法とは釈迦仏法のことで、これに対して日蓮大聖人の仏法を大白法という。そこで末法の初めには上行菩薩が出現して、本因妙の教主として、末法万年の一切衆生を救う三大秘法の南無妙法蓮華経を建立すると予言した。(「折伏教典」昭和43年版)

あらかじめ確認しておくが、釈迦自身は、経典を一つも残していない。
経典というのは、釈迦が入滅してから、長い長い歴史の中で、仏教の、それぞれの派閥の中において作成されたものである。
ゆえに、どの経典をとっても、釈迦の思想を純粋に記録していると、保証できるものはない。

ただし、常識的に考えられるのは、釈迦の生きた時代から、あまりにも後に成立した経典ほど、信憑性が少なくなる。
逆に、釈迦の生きた時代に、比較的近い経典が、釈迦の思想を反映している可能性が高い。

だから、近代の仏教文献学においては、資料の比較作業の中から、各経典の成立年代を推測する。
その結果、大乗仏典と言われる経典群よりも、原始仏典と言われる経典群のほうが、総じて成立が古く、中でも、「スッタ・ニパータ」「ダンマ・パダ」という散文経典の成立が古いというのが有力な説である。

「釈迦仏教」の内容はいかなるものかと言えば、「スッタ・ニパータ」「ダンマ・パダ」にそれを見出す方法が、最も適切な方法であろうと考えられる。
「スッタ・ニパータ」「ダンマ・パダ」の両方に通じて流れている思想は何か、という問題はここでは触れないが、ともかく、その「釈迦仏教」が、釈迦滅後二千年以上経った末法においては、効力が無いと、日蓮は言う。

この「折伏教典」では、末法や、南無妙法蓮華経の建立を、釈迦自身が予言していたかのように書かれているが、そのようなことが書かれている経典は存在しない。
創価学会は、存在しないものを、存在しているかのように語っている。

また、釈迦が最後の八年間に法華経を説いたという論拠は存在せず、そもそも、法華経自体を釈迦が説いたというのは、仏教文献学に照らせば、極めて無理のある考えである。


※日蓮: (1222~1282)他宗派を否定して、ただ法華経への帰依を説いた鎌倉時代の僧侶。最高の敬称をつけて、創価学会では「日蓮大聖人」と呼ぶ。

※日蓮仏法:末法においては、釈迦の説いた思想では、もはや衆生を救えず、日蓮の説いた教えでなければならぬ、という思想から、「釈迦仏法」に対し、「日蓮仏法」(日蓮大聖人の仏法」)と創価学会では呼称する。 

創価学会略年表

2006年01月05日 | Weblog

昭和3年、白金尋常小学校の校長であった牧口常三郎(1871~1944)は、三谷素啓(研心学園校長)の折伏により、日蓮正宗に入信。
 
昭和5年、
牧口常三郎は、知人の教育者を中心に、教育の改革を目的とするグループ「創価教育学会」を結成した。
牧口の折伏活動により、序々に、この「創価教育学会」は、日蓮正宗の信徒組織的な傾向を強めて行く。
 
昭和18年、牧口は治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕。
続いて戸田城聖(1900~1957)ら幹部も同じ容疑で逮捕された。
 
昭和19年、牧口は獄中において衰弱死。
 
昭和20年、戸田城聖出獄。
 
昭和21年、「創価教育学会」を「創価学会」と改め、日蓮正宗の正式な信徒団体となる。
類稀なる政治、経済への卓見性、そして人をひきつけてやまぬ人柄を具えた戸田は、他を圧倒して教団を成長させた。
 
昭和33年、戸田城聖が逝去。
 
昭和35年、池田大作(1928~)は、創価学会の第三代会長となる。
 
昭和36年、創価学会は公明政治連盟を結成。
 
昭和45年、創価学会に対する批判を書いた出版物を、買占め・脅迫などで封じ込めようとしたとされる、「言論出版妨害事件」が勃発する。
(後に、池田は田原総一朗氏と中央公論誌上で対談し、買占めが自分の指揮によって行われた事を認めている。)
 
昭和53年、
池田会長の神聖化など、逸脱された行為があると、本山側がより指摘があった。
創価学会側は陳謝し、池田会長は責任を取って辞任した。
本山はこれを認めたが、それでも、創価学会に疑念を持つ青年僧侶の集団、正信会(正信覚醒連盟)があった。
 
昭和55年、第67世法主阿部日顕が、創価学会との関係修復を優先し、正信会僧侶201名を大量処分した。
その後、創価学会と宗門との関係が、完全に修復したかのように見えたが、水面下において、徐々に亀裂が拡大して行った。
 
平成2年、宗門側が、創価学会の会合における池田名誉会長のスピーチの中で、宗門を批判するような発言があったとして、創価学会側に「お尋ね」文章を出した事がきっかけとなり、確執が明確となった。
 
平成3年、宗門側が創価学会に対し「解散勧告書」を通告した事で、創価学会は宗門と決別した。
 
平成9年、宗門は創価学会員の信徒資格を喪失させた。
 
平成14年、創価学会は「創価学会会則」を改変し、初代牧口会長、第二代戸田会長、第三代池田会長の「三代会長」を、「永遠の指導者」とする規定を入れた。
これにより、創価学会は、日蓮正宗から教義的にも自立する事となった。
 
第3条 牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の「三代会長」は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である。(創価学会会則)