創価学会に悩むすべての人へ

創価学会問題の構造を紐解く(※コメント不可。トラックバック歓迎!)

集団的狂騒的エクスタシー

2006年02月05日 | Weblog
創価学会では、勤行をし、自分で教義を勉強する事は、「広宣流布に進む信心」とはみなされない。
「広宣流布に進む信心」とは、「学会活動」である。
平易に言うと、布教行為と、布教のための作戦会議がそれである。
この学会活動によって、宿業が消え、幸福になれるというのである。
基本的に、創価学会員には、絶えず、学会活動を持続して行く事が求められている。
 
どんなに一生懸命に活動しても、生活が向上しなかったり、創価学会に関するさまざまな情報を知ったり、自分が経験すると、疑問というものが沸いて来る。
疑問が沸くものの、集団で行動するということは、それだけで喜びがある。
目に見えた功徳が無くても、創価学会に問題点があったとしても、集団で行動することが、会員の喜びとなって行く。
 
哀れなのは生活に疲れはてて、だまされて入会した大衆である。ワラをもつかむ心理で信心し、甘言と小利益に目がくらみ、熱心に唱え、踊ったりして、集団的狂騒的エクスタシーに没入する。そして悩みも苦しみも、しばし忘れ、あたかも麻薬中毒症の患者のように、感覚をマヒされ、生活上の苦悩も一瞬感じなくなる。しかし、実際の生活は悪くなる一方で地獄の生活を続けなければならないのである。(折伏教典」昭和43年版)
 
だが、何らかのキッカケで、活動から足が遠のくと、酒が抜けたように冷静になってしまう。
その時に、今まではあまり深く考えられなかった創価学会への疑問が、どんどん、自分の中で膨らんで行く。
それが脱会に結び付く。
だから、創価学会では、活動を休んではならないと指導する。
 
活動について、注意しなければならないことは、エンジンを止めてはいけない。車もエンジンを止めると、再び動かすのにたいへんである。原稿なども、やめると書けなくなるものだ。たえず組織について、着実に活動をつづけていることが大切である。(池田大作「指導メモ」)