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四十余年、未顕真実

2006年01月08日 | Weblog
法華経を第一の経典とする具体的根拠が、無量義経(※)に書かれている「四十余年、未顕真実」(※)の一文である。
 
したがって、今日、釈尊自ら「四十余年、未顕真実」ときらった四十余年の経を依経とする既成仏教にすがりついていることは、不幸になる根本原因である。(「折伏教典」昭和43年版)
 
無量義経は、サンスクリット語の原文が無く、中国で作られた経典ではないかというのが、仏教学の世界では有力な説である。
また、この経典には、「法華経」という言葉が、一つも出て来ていない。
 
浄土の三部経(※)は、方等部であり、四十余年の説で、権教方便の教えである。後八年の法華経こそ実経であり、釈迦出世の本懐であることは無量義経に「四十余年未顕真実」と、また方便品に「正直捨方便、但説無上道」と。(「折伏教典」昭和43年版)
 
「四十余年、未顕真実」の文は、法華経を実経、つまり真実の経典とする根拠にはならない。
ましてや、法華経方便品に「正直捨方便、但説無上道」と書いてあっても、それは自画自賛であって、まったく根拠にならない。
法華経が釈迦の説法であるという根拠があるならばまだしも、その根拠など、どこにも存在しない。



※四十余年、未顕真実:善男子、我先に道場菩提樹下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三貎三菩提を成ずることを得たり。仏眼を以って一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以は云何、諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと方便力を以ってす。四十余年には未だ真実を顕わさず。是の故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず。(無量義経説法品第二)
※浄土の三部経:法然が選んだ、浄土宗の拠り所とする経典で、「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の三典。