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創価学会問題の構造を紐解く(※コメント不可。トラックバック歓迎!)

創価学会略年表

2006年01月05日 | Weblog

昭和3年、白金尋常小学校の校長であった牧口常三郎(1871~1944)は、三谷素啓(研心学園校長)の折伏により、日蓮正宗に入信。
 
昭和5年、
牧口常三郎は、知人の教育者を中心に、教育の改革を目的とするグループ「創価教育学会」を結成した。
牧口の折伏活動により、序々に、この「創価教育学会」は、日蓮正宗の信徒組織的な傾向を強めて行く。
 
昭和18年、牧口は治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕。
続いて戸田城聖(1900~1957)ら幹部も同じ容疑で逮捕された。
 
昭和19年、牧口は獄中において衰弱死。
 
昭和20年、戸田城聖出獄。
 
昭和21年、「創価教育学会」を「創価学会」と改め、日蓮正宗の正式な信徒団体となる。
類稀なる政治、経済への卓見性、そして人をひきつけてやまぬ人柄を具えた戸田は、他を圧倒して教団を成長させた。
 
昭和33年、戸田城聖が逝去。
 
昭和35年、池田大作(1928~)は、創価学会の第三代会長となる。
 
昭和36年、創価学会は公明政治連盟を結成。
 
昭和45年、創価学会に対する批判を書いた出版物を、買占め・脅迫などで封じ込めようとしたとされる、「言論出版妨害事件」が勃発する。
(後に、池田は田原総一朗氏と中央公論誌上で対談し、買占めが自分の指揮によって行われた事を認めている。)
 
昭和53年、
池田会長の神聖化など、逸脱された行為があると、本山側がより指摘があった。
創価学会側は陳謝し、池田会長は責任を取って辞任した。
本山はこれを認めたが、それでも、創価学会に疑念を持つ青年僧侶の集団、正信会(正信覚醒連盟)があった。
 
昭和55年、第67世法主阿部日顕が、創価学会との関係修復を優先し、正信会僧侶201名を大量処分した。
その後、創価学会と宗門との関係が、完全に修復したかのように見えたが、水面下において、徐々に亀裂が拡大して行った。
 
平成2年、宗門側が、創価学会の会合における池田名誉会長のスピーチの中で、宗門を批判するような発言があったとして、創価学会側に「お尋ね」文章を出した事がきっかけとなり、確執が明確となった。
 
平成3年、宗門側が創価学会に対し「解散勧告書」を通告した事で、創価学会は宗門と決別した。
 
平成9年、宗門は創価学会員の信徒資格を喪失させた。
 
平成14年、創価学会は「創価学会会則」を改変し、初代牧口会長、第二代戸田会長、第三代池田会長の「三代会長」を、「永遠の指導者」とする規定を入れた。
これにより、創価学会は、日蓮正宗から教義的にも自立する事となった。
 
第3条 牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の「三代会長」は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である。(創価学会会則)