創価学会に悩むすべての人へ

創価学会問題の構造を紐解く(※コメント不可。トラックバック歓迎!)

結婚問題

2006年01月30日 | Weblog
子供が親を失いたくないために、親の言う事に逆らえないように、恋人は恋人を失いたくないために、恋人の言う事に逆らえない。
この心理を、利用して、勧誘するという手口が横行している。

つき合い始めるまで、何も言わず、結婚の話がでるようになってから、自分が創価学会員であるという事をカミングアウトし、「入会してくれなければ結婚はできない」と迫る。
会社では、営業成果をもって実力が評価されるように、創価学会においては、勧誘(折伏)成果の有無によって評価される。
勧誘(折伏)成果の上がらない者は、いかなる優れた弁論ができても、一日、何時間お経を唱えたとしても、評価されない。
逆に、勧誘(折伏)成果を出している者は、弁論が苦手であっても、勤行をさぼっていたとしても、評価を受け、役職が上がって行く。

特に、若い創価学会員が所属する青年部は、勧誘の主力部隊としての役割を担っており、勧誘成果を上げることを、常に期待されている。

だが、戦後の生活苦の時代ならばともかく、豊かで恵まれたこの時代に、簡単に勧誘に乗って来る人間などいない。
まともに、友人に創価学会の話をしても、逃げられるのがオチである。

だが、逃げない相手も存在する。
それは「恋人」である。
恋人同士の場合、相手を手放したくないという執着がある。
勧誘されたからと言って、やすやすと離れて行くことはない。
逆に、恋人を失いたくないがために、二つ返事で入会する可能性さえある。

熱心な創価学会員が、恋人を勧誘する理由が、ここにある。

また、本人が、それほど熱心な創価学会員ではなくても、その親が熱心な創価学会員の場合、我が子の結婚相手には入会して欲しいという願いを持つ。
これは、夫婦で共に信仰しなければ、幸福になれないという、創価学会の思想があるからだ。

信心している人を選ぶか、いない人を選ぶかも、全く本人の自由であり、周囲で干渉すべき問題ではない。本人に信心があれば、相手を信心させて立派にすることもできよう。ただし、信心強盛のつもりでも、かえて信心を崩されて苦しむ場合が多い。所詮、夫婦そろって信心できる家庭でなければ、真実の一家和楽は築けない。(池田大作「指導メモ」)

本来、信教の自由というのは、夫婦間においても認められるものである。
夫婦が別々の宗教を持っていても、構わない。
だが、創価学会においては、そのようなものは無い。
夫婦は、共に創価学会を信仰しなければ、幸福になれないと考えている。

このような考えから、創価学会員の親は、我が子が結婚する場合、その相手を何としても、入会させようとするのである。
その相手が拒絶しようものならば、結婚、それ自体に反対する。
この反対にあって、結婚を断念するケースもある。

相手がさほど熱心な創価学会員ではなく、その親も、我が子の結婚相手を無理に入会させようとしない場合もある。
この場合は、「入会してくれなければ結婚はできない」などと言われないので、安心して結婚してしまう。
だが、結婚し、子供が出来たら、その子供を入会させるかどうかで揉めることがある。
また、創価学会員の墓は、大抵、創価学会専用の墓地だから、自分の遺骨をどこに埋めるのかというトラブルも生じて来る。

結婚段階において、相手が熱心でない創価学会員であっても、それは休火山のようなものであり、何をキッカケに活火山となるか予測がつかない。
熱心でないとは言え、創価学会というものを、一往、認めているから脱会しないのであるから、生活に危機が生じれば、いつ、狂信的になるかわからない。
結婚時に、相手があまり熱心でないからと言って、決して安心はできない。

創価学会員と結婚するということは、金正日崇拝の北朝鮮人と結婚するくらいに、さまざまな問題を秘めている。

憲法では信教の自由が保証されているので、相手の宗教を確認せずに、男女交際をはじめる人間がほとんどである。
だが、それは大変に危険であるということは、認識すべきだ。