このブログにしては珍しく、文科省の方針を支持・擁護する記事です。
まずはこちらをお読み下さい。
「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育
https://diamond.jp/articles/-/245339
内容をざっくばらんに説明すると
・文科省は、高校の国語の授業を改革しようとしている。
・改革の内容は、「国語力の低下がひどいから、小説や文学の学習を削り、説明書や契約書の読み取りなどの実用的な文の読み書きの学習を重視するよう転換する。」
・この改革の方針は、すでに、新しい大学入試に色濃くあらわれている。
というような感じです。
また、この記事の筆者はそのような文科省の方針に批判的で、「警鐘を鳴らす」内容になっています。
私は、その批判から文科省を擁護する、すなわちこの国語教育改革を支持する立場であります。
最近の生徒の国語力の低下がひどい・・・・・・これは多分間違ってないし、そこは論点ではないと思います。
子どもたちの国力の低下を食い止める方策として、文科省はのやろうとしている教育改革が妥当なのかどうか、という話です。
以下は私の考えですが
文章を大雑把に「文学」と「実用文」(契約書やレポート、取扱説明書など)の2つに分類します。
すると、実用文は比較的低難易度、文学は比較的高難易度だと思うのです。
つまり、実用文すらマトモに読み書きできないような者に、「文学に触れ、教養を高めなさい」というのは無理難題であり非生産的だと思うのです。
で、その実用文すら怪しい学生が増えてきたもんだから、これはいけないということで、しっかり学校で教えなさい、というのが今回の文科省の方針だと思います。
私にはものすごく真っ当に思えます。
先ほど紹介した記事には、このようなことが書かれています。
「今の中学生や高校生、あるいは大学生の読解力が悲惨な状況にあり、かつてなら、容易に読めたであろう簡単な説明文の理解ができない者があまりに多いことは、榎本氏の著書の中で示されている。
だから実用文を学ばせるといった発想になっているのだろうが、それはわざわざ中学や高校の授業でやるべきことなのだろうか。」
→いやそれこそまさに公教育がやるべきことではないでしょうか。
「もともと本を読まず、読解力の乏しい生徒たちは、国語の授業で実用文の読み方を学ぶようになる。
先述のように現行の「現代文」から「論理国語」へという移行により、これまでは教科書で著名な小説や評論といった実用文でない文章に触れることができたのだが、今後は文学作品に触れることがほとんどない生徒たちが大量に出てくることが予想される。」
→読解力が乏しく実用文の読み方を学ぶ必要があるレベルの層に、文学を触れさせて何か生まれますか?私は生まれないと思います。
「文学や評論に親しむ教養人と実用文しか読まない非教養人の二極化が進むに違いない。」
→いや、教養人・非教養人とかいう心配をする前に、可能な限り全員が実用文の読み書きできる状態を目指す方が正しいと思います。
実用文の読み書きは、国語の基礎基本なのですから。
たしかに、実用文の読み書きなんてわざわざ高校の授業でやる必要の無いような層の生徒が集まる、所謂上位進学校も存在します。
しかし、その事実は今回の文科省の方針の批判材料にはならないと思います。
そのような学校は、教科書を神速で終わらせて、プラスアルファ教材を使って文学に親しんでいれば良いんですよ。
長くなってしまいましたが、今回の高校国語教育改革は
「難しいことやんなくて良いから基礎基本にあたる部分をしっかりやれよ」
というものだと思います。
そして私はそれは正しいと思います。
ただ、不思議なのは、小中学校教育ではそれと真逆(少なくとも私にはそう思える)のことが行われようとしていると言うことです。
つまり、英語教育の強化とプログラミング教育の導入のことです。
小中学校教育も同じで、「難しいことやんなくて良いから基礎基本にあたる部分をしっかりやれよ」という方針に転換し
英語やプログラミングをやるよりも、国語、特に実用文の読み書きをやるべきだと思います。
この件について、皆さんの意見をお聞かせ下さい。
意見はこちらまで。
まずはこちらをお読み下さい。
「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育
https://diamond.jp/articles/-/245339
内容をざっくばらんに説明すると
・文科省は、高校の国語の授業を改革しようとしている。
・改革の内容は、「国語力の低下がひどいから、小説や文学の学習を削り、説明書や契約書の読み取りなどの実用的な文の読み書きの学習を重視するよう転換する。」
・この改革の方針は、すでに、新しい大学入試に色濃くあらわれている。
というような感じです。
また、この記事の筆者はそのような文科省の方針に批判的で、「警鐘を鳴らす」内容になっています。
私は、その批判から文科省を擁護する、すなわちこの国語教育改革を支持する立場であります。
最近の生徒の国語力の低下がひどい・・・・・・これは多分間違ってないし、そこは論点ではないと思います。
子どもたちの国力の低下を食い止める方策として、文科省はのやろうとしている教育改革が妥当なのかどうか、という話です。
以下は私の考えですが
文章を大雑把に「文学」と「実用文」(契約書やレポート、取扱説明書など)の2つに分類します。
すると、実用文は比較的低難易度、文学は比較的高難易度だと思うのです。
つまり、実用文すらマトモに読み書きできないような者に、「文学に触れ、教養を高めなさい」というのは無理難題であり非生産的だと思うのです。
で、その実用文すら怪しい学生が増えてきたもんだから、これはいけないということで、しっかり学校で教えなさい、というのが今回の文科省の方針だと思います。
私にはものすごく真っ当に思えます。
先ほど紹介した記事には、このようなことが書かれています。
「今の中学生や高校生、あるいは大学生の読解力が悲惨な状況にあり、かつてなら、容易に読めたであろう簡単な説明文の理解ができない者があまりに多いことは、榎本氏の著書の中で示されている。
だから実用文を学ばせるといった発想になっているのだろうが、それはわざわざ中学や高校の授業でやるべきことなのだろうか。」
→いやそれこそまさに公教育がやるべきことではないでしょうか。
「もともと本を読まず、読解力の乏しい生徒たちは、国語の授業で実用文の読み方を学ぶようになる。
先述のように現行の「現代文」から「論理国語」へという移行により、これまでは教科書で著名な小説や評論といった実用文でない文章に触れることができたのだが、今後は文学作品に触れることがほとんどない生徒たちが大量に出てくることが予想される。」
→読解力が乏しく実用文の読み方を学ぶ必要があるレベルの層に、文学を触れさせて何か生まれますか?私は生まれないと思います。
「文学や評論に親しむ教養人と実用文しか読まない非教養人の二極化が進むに違いない。」
→いや、教養人・非教養人とかいう心配をする前に、可能な限り全員が実用文の読み書きできる状態を目指す方が正しいと思います。
実用文の読み書きは、国語の基礎基本なのですから。
たしかに、実用文の読み書きなんてわざわざ高校の授業でやる必要の無いような層の生徒が集まる、所謂上位進学校も存在します。
しかし、その事実は今回の文科省の方針の批判材料にはならないと思います。
そのような学校は、教科書を神速で終わらせて、プラスアルファ教材を使って文学に親しんでいれば良いんですよ。
長くなってしまいましたが、今回の高校国語教育改革は
「難しいことやんなくて良いから基礎基本にあたる部分をしっかりやれよ」
というものだと思います。
そして私はそれは正しいと思います。
ただ、不思議なのは、小中学校教育ではそれと真逆(少なくとも私にはそう思える)のことが行われようとしていると言うことです。
つまり、英語教育の強化とプログラミング教育の導入のことです。
小中学校教育も同じで、「難しいことやんなくて良いから基礎基本にあたる部分をしっかりやれよ」という方針に転換し
英語やプログラミングをやるよりも、国語、特に実用文の読み書きをやるべきだと思います。
この件について、皆さんの意見をお聞かせ下さい。
意見はこちらまで。