名無しの教師の日誌

ある公立中学校教師の教育私論と日記です。

教育課程という呪縛

2018-01-03 21:28:50 | 教育に関する私論
保護者の方と懇談をしていると

「うちの子の場合、どのくらいのレベルの高校を目指すのが良いでしょうか」

「○○高校を志望校に考えているのですが、うちの子にとってはレベルが高すぎるでしょうか」

というような話題がしばしば出ます。

私は、そのような話になると、必ず

「あなた様の考える、高校のレベルとは何でしょうか」

と確認をします。

きっと、「鬱陶しいことを言ってくる先生だ。レベルはレベルだろう。」と思われているのでしょうが

何を持って学校のレベルを高い・低いとするかは、様々な視点や考え方があるので

そこに齟齬がある状態で話を進めると、大惨事になる可能性が高いのです。



先ほども申しましたように、レベルには様々な考え方があるのですが

私は

「高校のレベルとは、授業のスピードである」

と考えています。

レベルの高い進学校であれば、本来3年間で行なう授業を、2年ないし2年半で終わらせ

余った時間を大学受験に向けた問題演習にあてます。

中くらいのレベルの学校は、3年間でやる授業を普通に3年間で終えます。

表現は悪いかも知れませんが

レベルの低い学校は、マイナスからスタートします。

すなわち、中学校の学び直しです。

それが完了してから、ゆっくりと高校の授業が展開されていきます。

そうしないと、生徒が付いて来られず、授業が崩壊し、学校が荒れるのです。



少し、話の本題からそれた話をします。

先ほど私は、「レベルの低い高校」という表現を使いました。

これは、決して揶揄する意図はありません。

むしろ、中学校の学び直しを行なうような高校が存在するのは

中学校の授業内容をすべての子どもに理解させられない、中学校教育のせいだと考えます。

そもそも、中学校が、中学生に、ちゃんと中学校の学習内容を定着させた上で卒業させていれば

「レベルの低い高校」の存在意義は無くなり、自然消滅します。

むしろ、中学校がやりきれなかったことの尻ぬぐいとして

学力の向上が遅い子の受け皿として、「レベルの低い高校」は社会にとって必要なのです。

そして、そのような受け皿高校が必要になってしまうような状況が、そもそも要改善だと思います。



話を元に戻します。

先ほどの私の考えを、中学校にも適用すると

「学校のレベルとは、授業のスピードである」

になります。

ところが、理由は後述しますが

公立中学校の場合、授業のスピードをあげたりさげたりすることはとても困難です。

すなわち、レベル調整が難しいのです。

では、それはなぜか。

公立中学校で実施しなければならない授業内容やスケジュールは、結構厳密に定められており

現場教師の裁量はほとんど無いからです。



授業で教師が指導しなければならない内容は

ニュースでもしばしば話題になる、「学習指導要領」により定められています。

ちなみに、私は理科教師なので、理科の学習指導要領の一部を抜粋して掲載すると

2 内 容
(1) 身近な物理現象
身近な物理現象についての観察,実験などを通して,次の事項を身に付けることができるよう指導する。
ア 身近な物理現象を日常生活や社会と関連付けながら,次のことを理解するとともに,それらの観察,実験などに関する技能を身に付けること。
(ア) 光と音
㋐ 光の反射・屈折
光の反射や屈折の実験を行い,光が水やガラスなどの物質の境界面で反射,屈折するときの規則性を見いだして理解すること。
㋑ 凸レンズの働き
凸レンズの働きについての実験を行い,物体の位置と像のでき方との関係を見いだして理解すること。
㋒ 音の性質
音についての実験を行い,音はものが振動することによって生じ空気中などを伝わること及び音の高さや大きさは発音体の振動の仕方に関係することを見いだして理解すること。
(イ) 力の働き
㋐ 力の働き
物体に力を働かせる実験を行い,物体に力が働くとその物体が変形したり動き始めたり,運動の様子が変わったりすることを見いだして理解するとともに,力は大きさと向きによって表されることを知ること。また,物体に働く2力についての実験を行い,力がつり合うときの条件を見いだして理解すること。
イ 身近な物理現象について,問題を見いだし見通しをもって観察,実験などを行い,光の反射や屈折,凸レンズの働き,音の性質,力の働きの規則性や関係性を見いだして表現すること。

こんな感じです。

興味のある方はこちらをどうぞ。

結構具体的でしょう?

これを踏まえ、検定教科書が作成されます。

だから、教科書には、凸レンズに関する実験や、力学台車の実験などが盛り込まれます。

逆に、極端な例ですが

学習指導要領を無視し、音や光の内容を載せずに、最先端の量子力学を盛り込んだような教科書は、検定不合格になるわけです。

よく、生徒から

「せんせーなんでこんなこと勉強しないといけないんですか?大人になってから役に立つんですか?

と言われますが

正直にこれに答えると

「学習指導要領で定められているから勉強しないとならない。役に立つか?そんなこと、これを決めた文科の役人に聞いてくれ。」

です。

もちろん、公の場ではそんなこと言いませんけれども。

学習指導要領に定められた学習内容に対し、その学習が役に立つかどうかを公の場で意見することは越権行為だと思いますし

現場教師の信念で定められた内容を教えないことや、教えるべきで無いとされる内容を教えることは、許されません。

ちなみに、学習指導要領の補足説明を行なう、「学習指導要領解説」なんてのもありますが、長くなるのでここでは書きません。

気になる人はググって下さい。

学習指導要領を踏まえ、学校の設置者が、教育課程を作成します。

学校の設置者というのは、簡単に言えば市町村です。

○○市立××中学校であれば、その学校の設置者は○○市になります。

学習指導要領には、「これを教えろ」または「これは高校レベルだから中学校では教えるな」ということは定められていますが

「このような順番でやれ」とか「この単元をいつまでに終わらせろ」ということまでは定められていないので

それを示すのが教育課程です。

地域事情等を踏まえ、学校の設置者は教育課程を作ります。

さらに、その教育課程を踏まえ

各学校で、より詳細かつ具体的な授業の計画を作成します。

紛らわしいことに、この授業計画も教育課程と呼びます。



長くなってしまいました。すみません。

簡潔にまとめると

「何を教えるか」は文科省が厳密に定めており

「どのような順番で教えるか」と「教える大まかなスケジュール」は市町村が定めているので

現場の教師の裁量はごくわずかなのです。


なので、授業のスピードをあげたりさげたりすることは難しく

授業のスピードがレベルだと考えれば

公立中学校では、授業の「レベル調整」は困難なのです。

授業をしていると

「あ、こいつ分かってないな」

と感じることがあります。

これは、生徒が「わかりません」と言ってこなくても、何年か教師をやれば、空気で感じることができるようになります。

ベストなのは、その子のために授業を止め、よりかみ砕いて再度説明を行うことかもしれませんが

残念ながら、そんなことをやっていると、教育課程に定められた

「授業のスケジュール」を乱してしまい

決められた「これを教えろ」という内容を教えきれなくなってしまいます。


なので、教師の思考は、もっぱら

「限定された時間内でいかに生徒達の平均点を引き上げるか」

になってしまうのです。



一方で、塾や家庭教師は教育課程なんて知ったこっちゃありません

塾であれば、生徒の習熟度別にクラスを編成し

学習の進みが早い子にはレベルの高い授業、すなわちスピードの速い授業を提供し

どんどん先取りをすれば良く

逆に、学習が遅れている子にはレベルの低い授業、すなわちゆったりとした授業を提供し

一歩ずつ確かめながら理解をすすめることで、学力の基礎を向上させつつ、自信をつけさせ、モチベーションアップも図れるわけです。

その究極が、個別指導やマンツーマン家庭教師です。



だから、学習の進みが早い子にとって、学校の授業は退屈なものに感じられてしまうし

学習の進みが遅い子にとっては、残念ながら

「学校の先生は何を言っているかわからんけど授業はどんどん進んでしまう。塾の先生の方がわかりやすい」

となってしまうのです。

そして、塾に行けるかどうかは保護者の経済力に依存しますので、これが格差につながるわけで、社会問題になるわけです。



現在の評定(通知表に示される1から5の数字評価)は絶対評価です。

1の子もいれば2の子もいれば……5の子もいる。

これは、学習の進み具合に差が生じていることの証左です。

評定などの様々な要素を根拠に、学習の進みが早い子・中くらいの子・遅い子に分け

学習指導要領・教育課程も一律にせず、3レベルくらい作ったらどうでしょうか、と最近の私は考えています。

要するに、習熟度別クラスによる授業展開です。

勉強ができず、授業について行けてない子に対して

「しっかり復習をしておくこと」

「だからあのとき勉強しておけと言ったのだ」


こんな説諭、無意味です。



現在の公教育のシステムを根本から覆す、反体制的な発言です。

だから、公の場では決して言えません。

また、私の提案するような習熟度別授業の全面展開を行なうには、クリアすべき障壁が山積みではあります。

しかし、「ちょっとこのままではまずいんじゃ無かろうか」と日々学校で勤務していて思うのです。

そして、「今までこうだったから、これからもこうであるべきだ」という発想は捨てないと、この国、まずいと思います


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3 コメント

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Unknown (hinata)
2018-01-04 01:47:11
こんばんは。
先日書かせていただきましたが、
また、文章長くなりそうです。申し訳ありません。

うちの子が中学までいた中高一貫校では、中3時には高1課程に入ってましたので、
中3生にも夏頃に高1のベネッセ模試を受けさせていました。
うちの子の偏差値は30台でして、夏休みの三者面談では、
「今の学力では、彼が合格できるのは専門学校かこの辺り(定員割れのFラン)の大学です」
と宣告されてました。
参考資料にある内部進学の高1生にも偏差値30台が数名いたのを私は見逃しませんでした。

で、思ったのです。
「公立中で習う基礎レベルも身につかないまま、無理やり内部進学させたとしても、うちの子は精神的に潰れてしまうだろう」と。
卒業した中学は新興の中高一貫校だったので、習熟度別授業と言っても、
進学実績を上げてくれそうな成績の良い子たちとその他大勢をクラス分けするだけだったのです。
そんなカラクリ、入学するまでわかりませんでした。
ちなみに学費が高すぎて、中学の間は塾に通うお金が工面できませんでしたので、
アホな私がママ塾頑張りました。効果は全くなかったですけれど(笑)

高校選びは、センター試験にも対応できる授業を行ってくれる10名ほどのクラスで、
基礎に基づいた高校課程の授業を放課後個別指導の形で受けられる、宿題に追い詰められないところを選びました。
中高一貫校で中3時に受けた模試を低偏差値高校で普通に高1で受けてみたところ、偏差値25UPしました。
ちなみに読書家のわりに小学生の頃から苦手だった国語は、高3のセンター試験時に突然覚醒し、浪人中は安定した国語の点数が心の拠り所でした(笑)

私は、将来何をしたいか、子供の性格だとどういう学校が向いているのかで、高校を決めても良いと思います。
10代ならば、やり直しは十分できると思ってます。
うちの県は私立よりも公立が上で、高校卒業後のその先がどうであれ、「地域トップ高を卒業したことが名誉」なのです。
我家は夫も私もよそものなので、正直そんなことはどうでも良かったです。
中学受験塾まで通って入学した中高一貫校に残ることにも固執しませんでした。
二浪時に第一志望でA判定もらっていた大学にご縁がなくても、今の大学で幸せならばそれで良いです(笑)

持って生まれた子供の能力差というものは無視できません。
残念ながら現実としてあります。
しかし、スピードの差はあれ、適切なサポートがあれば、その子どもなりに成長するんですよね。
成長する機会を阻害するものがなけれぱの話ですが。









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Unknown (hinata)
2018-01-04 01:49:12
うわ・・・すごい長文で・・・

申し訳ありませんが、一読してくだされば、
お手数ですが、j削除していただいても構いませんので(本当に)
返信する
Unknown (筆者)
2018-01-04 19:20:59
コメントありがとうございます。
本来の進度よりも速い(レベルの高い)授業を受けさせておいて「ついて行けてないですよ」って宣告するのは、不思議ですね。
だったらなぜ中3に高1の内容を学習させたのでしょうか。まず基礎基本の定着をさせるべきですよね。

もしかしたら、私立の場合
授業進度を速めることにより
「うちはスピーディーに授業を展開している、すなわちハイレベルだ」と実態に見合わないアピールをすることができるのかも知れません。

気をつけなければなりませんね。
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