名無しの教師の日誌

ある公立中学校教師の教育私論と日記です。

「学校は授業よりも人間性の育成に力を入れるべき」は間違っている

2017-08-28 07:55:08 | 教育に関する私論
「学校・教師は授業よりも人間性の育成に力を入れるべき」という声をたまに聞きます。

すなわち、学校は、授業なんか二の次にして、行事とか、あいさつの指導とか、部活動などをしっかりやれば良い。

こう考える保護者の方もいるのです。

この記事では、そのような考えに、反論をします。



結論を先に書くと

教師が授業で手を抜くと、学校・学級がいわゆる「荒れた」状態になり

非行やいじめに代表される問題行動が続出し、人間性の育成どころではなくなるので

まずは何より授業に力を入れるべきです。


以下に、私がそう考える理由を記します。



まずは、一般的な学校の、授業時間を思い出して欲しいと思います。

朝のチャイムが鳴ってから、帰りの会終了のチャイムまでの時間のうち

授業はどれだけを占めていますか?

百分率で示すことはしませんが、とても多いでしょう?

すなわち、彼ら彼女らの学校生活の多くは、授業なのです。

そして勉強とは、勉めを強いられるということです。

やってて楽しいことと言うよりは、やらねばならぬもの、やらないと困るものという性格が強いです。

それなのに、授業すらもつまらなかったら、生徒の態度はどうなるでしょうか。



「授業はつまらないけど、なにか得るものがあるはずだから、がんばろう」

そう考える子が多数派であれば、教師は専門職では無くなり、そもそも我々の必要性すら怪しくなります

つまり、そんな子は少数派です。

そして残念ながら、授業がつまらなければ、つまらないほど、他の楽しみを学校の中に見いだそうとします。

その気持ちが、委員会活動や係活動、部活動などの建設的なものに向かえば良いですが、残念ながら、そうならない場合が多いです。

何に向かうかというと、いじめとか、いたずらとか、非行などです

悲しいことですが、いじめられっ子が苦しむ姿は、いじめっ子にとって、授業のつまらなさを紛らわす最高の娯楽になり得るのです。

そうなると、教師は様々な手段を講じ、「荒れた」状態を正常な状態に戻そうと努力しますが

そんな状況では、人間性の研鑽も何もあったものではありません。

どんな行事をやっても、ギスギスするだけです。



ただし、「授業が楽しい」と言っても

教師がコントもどきをやって笑いを取るような「楽しさ」は間違っています。

あくまで、子どもが「そうゆうことなのね」とか「ああ、わかった」と感じることにより生じる「楽しさ」を生まなければいけません。

なので、難しいですし、本当はたくさんの時間を準備にかけなければいけません



だから、教師は授業の手を抜いてはいけないと思うし

授業に力を入れやすくなるような環境を整えて欲しいと思っています。

特に今は、若い教師が増えていますが、若手は効率の良くやれませんから、準備に時間がかけられるようにするべきです。

そのための具体的な要求の一つが、「部活動の負担減」でしょう。

実際私も去年、部活の練習試合の調整とか、大会の準備とかに追われて、不本意な授業準備で授業に臨んでしまったことが多くありました。

だから、部活動の意義は否定しませんが

教師がもっと部活動指導の手を抜き、その力を授業準備に振り向けられるようになるべきだ、と自分は考えています。

ちなみに、過激な意見ですが、たまにいる

「俺は学生時代、部活が青春だった。だから、部活指導がやりたくて教師になった」

という人は、部活動指導員に転職するべきだと私は考えています。

教師はまず何より授業をやるべきでしょう。

ま、教諭と部活動指導員では待遇が雲泥の差なので、そんなことをやる人は誰もいないのですが。



「勉強は嫌いだけど、○○先生の授業は好き」

こうゆう声が多くなれば、いじめとか非行とかって、減ると思うんですけどね。

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