先日、この辺の地域の理科教師の有志の集まりで、小学生対象の実験教室を実施しました。
それをやっていて
おいおい、頼むよ……
と思ったことを、書きます。
あ、親に対して、ですよ。
・そもそも来ない
事前または当日朝に
「すみません、急遽いけなくなりました」
と一報あれば、こちらも心配しなくて済みます。
しかし、やはり連絡なしで来ない家庭もあります。
参加費無料なので、仕方が無いと思う一方で
応募者多数で抽選をかけているので、道義的にはどうなんだとも思います。
親が申し込んだことを忘れるなんて論外ですし
子どもが、急にやはり行きたくないと言い出したとしても
「自分で申し込んだんだし、抽選で落ちた子もいるのだから、行きなさい」
というのが親としての筋だと私は思うのですが……
仮に病気だとしても、連絡下さいよ、とも思います。
・遅刻ぎりぎりor遅刻
会場までは、保護者の方に送迎をお願いしました。
その後、保護者が希望すれば一緒に参加、そうでなければまたお迎えをお願いします、というシステムだったのですが
時間ぎりぎりに来る、または遅刻してくる家庭の多いこと多いこと……
驚きました。
前にも書きましたけれど、子どもは、親のまねをします。
正直、開会式に5分遅刻したところで、差し支えはないし、叱られることもありませんが
子どもが、この状況と親の「あー、なんとかなった」という態度を見て
「5分程度の遅刻なら、どうにかなるもんなんだ」
と感じる危険性があります。
正直ちょっと心配です。
・親がやっちゃう
理科教室と言っても、小学生向けなので
科学の理屈を講義するようなものではありません。
工作教室に近いものです。
そこで思ったんですけれど
子どもの作業を代わりにやってしまうお父さん、お母さん
何をしに来たんですか?
特に印象的だったのは
「そんな雑で、見てられない、私がやるからかしなさい!」
と言っていたお母さん。
良いじゃ無いですか、仕上がりが雑でも。
子どもに経験させるのが目的でしょう?
致命的で無い失敗や怪我は、必要な経験だと思うのですけれども……
その子の将来が、心配です。
・あいさつ、お礼をしてくれない
私は、講座終了後、出入り口に立ち、挨拶と駐車場への誘導をする係でした。
そこで私は「気をつけてお帰り下さい」などと言うわけですが
会釈をして「ありがとうございました」と言ってくれる親もいれば、私に見向きもしない親もいたことが印象的でした。
勘違いしないで下さいね、私は別に感謝されたいわけでも、お礼を言われたいわけでも無いのです。
こうゆうことが好きなので、この仕事に就いたので、好きで勝手にやってるだけです。
そうではなくて、何度も書きますが、子どもは、親のまねをします。
そのことが如実に出ていて
親がお礼を言ってくれた場合、その親に連れられた子どももしっかり挨拶をしてくれる場合が多かったですし
親が言ってくれない場合は、その逆である場合がほとんどでした。
子どもが身につけなければならない基礎的人間力の1つとして、コミュニケーション能力があると思うのですが
その基本の1つが、挨拶だと思います。
仮に我々のやった講座が期待外れで、感謝の気持ちが無かったとしても
会釈をし、挨拶をすることが、子どものためになるのではないでしょうか。
以上です。
これが最近言われている、家庭の教育力ってやつなのかなぁ、と思いました。
最後に、挨拶の話題に関連して、私の頭の中に印象に残っている会話を紹介して終わります。
以前、校門で生徒と朝あいさつ運動をしていたときのことです。
私が門に立っていると、朝の散歩中と思われる、地域のおじいさんが話しかけてきました。
おじいさん「先生も、朝から大変だね、お疲れ様です」
私「いえ、仕事ですから」
おじいさん
「でも、子どもに挨拶を教えるなんて、昔は先生の仕事じゃ無かった。
そのくらいのことは、親が家でやって、その上で学校に送り出すことが普通だった。
いつの間にかそれが当たり前で無くなってしまった。
まぁ、そんなこともできない親世代を作ってしまったのは、俺たちの世代だから、すまないとしか言い様がないんだが……」
それをやっていて
おいおい、頼むよ……
と思ったことを、書きます。
あ、親に対して、ですよ。
・そもそも来ない
事前または当日朝に
「すみません、急遽いけなくなりました」
と一報あれば、こちらも心配しなくて済みます。
しかし、やはり連絡なしで来ない家庭もあります。
参加費無料なので、仕方が無いと思う一方で
応募者多数で抽選をかけているので、道義的にはどうなんだとも思います。
親が申し込んだことを忘れるなんて論外ですし
子どもが、急にやはり行きたくないと言い出したとしても
「自分で申し込んだんだし、抽選で落ちた子もいるのだから、行きなさい」
というのが親としての筋だと私は思うのですが……
仮に病気だとしても、連絡下さいよ、とも思います。
・遅刻ぎりぎりor遅刻
会場までは、保護者の方に送迎をお願いしました。
その後、保護者が希望すれば一緒に参加、そうでなければまたお迎えをお願いします、というシステムだったのですが
時間ぎりぎりに来る、または遅刻してくる家庭の多いこと多いこと……
驚きました。
前にも書きましたけれど、子どもは、親のまねをします。
正直、開会式に5分遅刻したところで、差し支えはないし、叱られることもありませんが
子どもが、この状況と親の「あー、なんとかなった」という態度を見て
「5分程度の遅刻なら、どうにかなるもんなんだ」
と感じる危険性があります。
正直ちょっと心配です。
・親がやっちゃう
理科教室と言っても、小学生向けなので
科学の理屈を講義するようなものではありません。
工作教室に近いものです。
そこで思ったんですけれど
子どもの作業を代わりにやってしまうお父さん、お母さん
何をしに来たんですか?
特に印象的だったのは
「そんな雑で、見てられない、私がやるからかしなさい!」
と言っていたお母さん。
良いじゃ無いですか、仕上がりが雑でも。
子どもに経験させるのが目的でしょう?
致命的で無い失敗や怪我は、必要な経験だと思うのですけれども……
その子の将来が、心配です。
・あいさつ、お礼をしてくれない
私は、講座終了後、出入り口に立ち、挨拶と駐車場への誘導をする係でした。
そこで私は「気をつけてお帰り下さい」などと言うわけですが
会釈をして「ありがとうございました」と言ってくれる親もいれば、私に見向きもしない親もいたことが印象的でした。
勘違いしないで下さいね、私は別に感謝されたいわけでも、お礼を言われたいわけでも無いのです。
こうゆうことが好きなので、この仕事に就いたので、好きで勝手にやってるだけです。
そうではなくて、何度も書きますが、子どもは、親のまねをします。
そのことが如実に出ていて
親がお礼を言ってくれた場合、その親に連れられた子どももしっかり挨拶をしてくれる場合が多かったですし
親が言ってくれない場合は、その逆である場合がほとんどでした。
子どもが身につけなければならない基礎的人間力の1つとして、コミュニケーション能力があると思うのですが
その基本の1つが、挨拶だと思います。
仮に我々のやった講座が期待外れで、感謝の気持ちが無かったとしても
会釈をし、挨拶をすることが、子どものためになるのではないでしょうか。
以上です。
これが最近言われている、家庭の教育力ってやつなのかなぁ、と思いました。
最後に、挨拶の話題に関連して、私の頭の中に印象に残っている会話を紹介して終わります。
以前、校門で生徒と朝あいさつ運動をしていたときのことです。
私が門に立っていると、朝の散歩中と思われる、地域のおじいさんが話しかけてきました。
おじいさん「先生も、朝から大変だね、お疲れ様です」
私「いえ、仕事ですから」
おじいさん
「でも、子どもに挨拶を教えるなんて、昔は先生の仕事じゃ無かった。
そのくらいのことは、親が家でやって、その上で学校に送り出すことが普通だった。
いつの間にかそれが当たり前で無くなってしまった。
まぁ、そんなこともできない親世代を作ってしまったのは、俺たちの世代だから、すまないとしか言い様がないんだが……」