退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

幸福な世界 9

2015-08-14 05:28:52 | 韓で遊ぶ


おばあさんの右手
幼い頃、母が仕事をしていたので私はおばあさんの手で育てられました。釜のふたのように厚く、亀の甲羅のようにかちかちで、荒れた手だったけれど、できないことがない魔法の手、、、、。それが、私が記憶するおばあさんの手です。その手で育てた畑の野菜は新鮮で、庭の花はいい香りがしていました。
おばあさんの手は不思議な力もありました。私がおなかが痛いときには、すぐに直してくれたのですから。
「おばあさんの手はお薬だ、おばあさんの手はお薬だ。」
「おばあちゃん、もうおなか良くなったみたい。本当に不思議だね。へへへ。」
私が7歳になった年、ある日おばあさんと銀行に行くことになりました。家を出る前に、おばあさんは右手に包帯を巻きました。しばし目が行きました。少し前までは何でもなかったおばあさんの手を、私は変だと思って見つめました。おばあさんは手が痛いと言って、銀行の職員に引き出しの用紙を代わりに書いてくれと言いました。
「私が、手が痛くてお願いするのだけど、10万ウォンと書いてくれるかい。」
だから本当に痛いのだと思いました。ですが、こんなに早く治るでしょうか。銀行から無事にお金を引き出して出てきた瞬間、おばあさんは手の包帯をほどきました。
頭が混乱しました。おばあさんが、なんでもない手を隠した理由は何でしょうか。
中学生になって読んだ童話の本で、私はその理由を知りました。本の中の主人公であるお父さんが、薬の瓶の説明書を読むことができなくて、薬のふたを開けられず、結局死んでしまったという内容でした。そのお父さんの話から、包帯を巻いたおばあさんの姿が浮かびました。
その年の夏、私はおばあさんの家に行きました。夏休みの間おばあさんにハングルを教えてやるためでした。今まで誰も気づいてあげることのできなかった、おばあさんの苦悩であり、願いをかなえてあげた孫娘を健気だと言って、おばあさんは良い生徒になってくれました。
「川、、、畑、、、地、、、、」
そうやって夏休みの1ヶ月を田舎で送った私は、秋の休みにもまた来ることにして、おばあさんと別れました。それがおばあさんとの最後の別れになるとは夢にも思いませんでした。
その年の秋、おばあさんは亡くなりました。まるで最後の遺言のように、こんな文章を残しました。
「先生、キムウネ、、、生徒イマルレ、、、」
生涯、読み書きができず生きてきたおばあさんに、文字を教えてあげた幼い孫娘はありがたい先生だったのでした。
死んだ草花さえも生き返す美しい手を持っていたおばあさん、最も立派な生徒、、、、。おばあさんが恋しくなると、私はおばあさんの書いた文字を見ながらその暖かい愛を繰り返して思ったりします。

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