花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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北海道に来て気が付いたこと

2023年10月13日 | 日記
昭和44年、、北海道にやって生きたのは

  

     北海道の北の果ての女学校から日大に入学してきた女性。
      この女性とクラスが同じになったという、、、
        袖擦り合うほどの縁が、、多生の縁が

          彼女の配偶者となる外科医から
          「ほっかいどうには大学の同級生が居ないので
           私の家内になる人は
         高校時代の同級生は居るのですが、、、
        友人代表で、、挨拶をしていただけないでしょうか、、?
       「もちろん、、ヒコーキの切符も、、御宿も私の方でご用意させていただきます。
         6月の北海道は、、素晴らしいですよ。
          画家の医局の若い後輩に、、札幌を案内させますし。。
          空港までは、未来の家内と、後輩でお迎えに行きますから、、、
          「北海道の結婚式で、
           家内が東京の大學を卒業しているという事を
            この先生は、、同僚に、、紹介して、
                 今後の付き合いにアピールしたいのかな??」

       昭和38年の頃は、、、北海道大学のほかに
       藤女子大が、、、全国では知られていましたが、、、

           確かに、、、日大の理工学部は、、北海道ではあまりいないかもしれません、

      話題には事欠かない、、
                 日本大学、、

      オリンピックの金メダルも、、、、日本大学、、、

         北海道には、、、清水さんだって、、、同時代ですよね

          3人の女性スケーターを、、北海道が誕生させたことも
             冬に負けない人たちは、、根性が違うようですね。

       結婚式の話題には、、困らない大学ではあるから

            彼女の配偶者となる外科医は、、
              タイコ持ちのクラス委員が居たとか、、、

                彼女のギャグは、痛烈だったから、、、ね。

           一生懸命にわき目も振らずに、、卒業目指す私たちに。

             工学部でゲットできる免許は

                嫁入り道具よ、、、とか、、、

               ハス斜めの傾いでいるギャグに、、
           、F子さんなんか、、まじめに腹立てていたから、、、おかしかった。

            卒業までに、いくつかのカップルが連れだって登校してくるのは
              ほっぺたが緩むのですが、、、

            北海道から来た彼女の場合

              男子生徒は、、アッシー君といって、、

                車を持っている事が、ボーイフレンドに選ばれるという

                ドライ、、といえば良いのか、、、

             流行歌として一としていた

             「恋人に,、振られたの、、、よくある話じゃないの~~~♬~~」
               彼女にとったら、、、男性の純情なんて認めていないような、、、

                都立高校から、日大に入学した私にとって、、
              付属の一貫教育で進学して来る、、、生粋の日大生とは

              なかなか、、、ついて行けない、、、スマートに遊ぶので

               学校側から、、幹事に任命されたことは、、救いだった。

               紋切り型の用件のみで、後は笑顔が有れば、、仲間としての

                重宝な役割を、、どのグループも必要だから、、

               傍観的な位置をとり、、、マネージャー的な役をこなしているだけで

               あとは、総合大学の強みというか、、、便利というか

                昼間の授業が終わり、、、アルバイトで薬局の店員をしたり
               クラスメートの父兄が、社長という人も居た。

              「その他大勢」という位置をとれば、、、何処のグループに居ても

             なんとなく、、、違和感が無かった。

                


     
             北海道からやってきた、、彼女は、、、何年かぶりに電話をくれた。

             十勝で、、病院に勤めてるのよ、、、偉いでしょう,、、ハッハッハッ、、、。

             そこで、、、先生といわれる私たちが、、、

               出会った訳なのよ。

                  「真面目タイプの、、、仕事に生きていそうな人なんだけれど、、、
                   惚れられちゃった、、、。結婚してもいいかなーーー?

                   真面目過ぎて、、合わないな~~~ってタイプなんだけど、、、

                   結婚相手としては、、、良いかな~~~って思ったのよ。

             結婚式はジューンブライド、、、㋅に札幌のグランドオテルで挙式よ!!
                 大学時代に世話になりっぱなしで、、、ついでに
                   今回の結婚式にも、、、女性側の友人代表で
                     挨拶と、進行係をやってョ。…という電話だった。

           大学生の時代はお互いに暇はつくれたけど
             今となっては、昼休みも、、無い位なのよ、、、と。

                「私が断っても,、ぜひにと、、、母にまで、、電話をして来た。」

       「東京出身の後輩の外科医を、、、ボディガードに付けて
           札幌を、案内させますから、、、お母さんから、、説得してください。」

      私は、現役の薬剤師として、、働いていましたから

        簡単には休みはとれません。

           何回もお断りしたのですが、、、

             母と新郎となる外科医の間には

                 だんだん、、知人同士のような錯覚が起きてくるほど
           頻繁に、、お電話がかかってきて、、、

         私は、「母が、、とうとう引き受けてしまったことを知って、、、

              母の顔もあるから、、、断れなくなってしまいました。」

          総合病院の薬局でまだ3番手の薬剤師で、、、病棟の頓服のつくりおきと

          申し送りの処方を、すぐに調剤できるように、、、監査をすれば出せるように

        しておけば、休みはくれるというので、、、

       母と、北海道の遠い、、新しい知人の為に、、、

            仕事を終えたのは0時を回っていました。

        病院を、、真夜中に出ると、、
        幼馴染の彼が、、、何処で聴いたのか?

       「Nこちゃん、、、無茶だよ、、、真夜中の「オーロラ便で。。」

       「しかも、、、千歳空港には、、見知らぬ北大の医師が2人と?

             結婚相手の、、君の同級生が迎えに来ているって??

                  詐欺じゃないの??

               無茶だよ、、、こんな真夜中に、、、仕事やつれで、、疲労困憊って感じだよ、、」

        幼馴染の彼は、父同志が同郷の仲間でした。

        父の友人の医師が結婚した相手が、、明治生まれとしては珍しい薬剤師で

         二人とも、父の新宿区時代の、、幼いころから続いている友人でした。
         彼は、父の友人の長男坊で、、、30になろうかというのに

         結婚話も、、盛沢山なのに、、、何故か独身貴族で

         いろいろな車を持っていて、、、

          大学の頃は「ラリーで、、箱根越え」

         私から見ると、、、
        ノー天気な、、、東京の中流の、、、ぼんぼんという

        気楽な坊ちゃんい見えていました。

        大学に残っていたので、、お茶の水のミロと言う喫茶店などで

        クラスの人たちと、、出逢っては、、友人の分まで

        コーヒー代を払ってくれたり、、、

         類、、兄弟、、て感じでした。

         その、、類兄弟が、、、真夜中に現れたのは初めてでした。

         「おばさんも、、どうかしているよ、、、北海道に
            結婚式の挨拶の為だけに、、、こんな激務を。。させるなんて、、。」

         「有給って、、一回とってしまったら、、、なかなか。。とりにくいんだよ。」

        母のことを、、とんでもない母親だと、、言いながらも

        真夜中のオーロラ便んで集発というから、、空港まではともかく、、

         僕がボデイガードをさして、、もらうけど、、、
        北海道なんて、、、、歴史が無い所だかr、、、

         男女関係には、、、別の国ぐらい、、、節操がないと思って間違いないからね、、、

         「心配だな~~~」

       幼いころからの、、知り合いだけに、、言いたい放題の仲でしたから

        男女の仲と言うより、、、類兄弟、、という、、頼もしい兄でした。

     真夜中の空港には
      彼女と、、彼女の夫になる外科医と

        その外科医の後輩という、、、
        疲れ切ったような新任医局員という

        2人の外科医が、、
         千歳空港の、、真夜中の出口のドアの傍で

           クタクタになって、、化粧もしていない私の荷物を受け取ってくれました。



        真っ暗な道、、遠くに灯りも見えない、、、

           原野の中を走る高速道路。

      大学の同級生といっても、、、半年で、、消えてしまった彼女の顔は

      当時とあまり変わっていないので、、、すぐに、、わかったものの、、、

      車の中で話す彼女のギャグには、、、
         ついて行けない、、次元の違いを感じながら

       半年しか一緒じゃなかった彼女とは、、、
      4年以上も会っていない。

      
     地元の北海道なので、、、見違えるように饒舌であった。

      結婚式の挨拶は、、、クラスメートだったというだけで

      彼女のことは「知らない事の方が多いので」

       ヨーロッパの「詩の朗読」をして

       お二人の出逢いを賛美して、、終わらせました。

       テーブルには、、
           真夜中に迎えに来た信任医局員の彼と
             独身で34歳という外科医と、、、
                卒業したばかりの外科医と

       北海道では、、きっと、、
          知名人の御子息であろうと推察される、、研修医の先生たち。

        独身の医局員ばかりの席であり、、、
        日大卒の私だから、、、役目を果たすことができましタヨ!
        女子大卒だったら、、たぶん、、これだけ男性に囲まれたら

        ちょっと、、化粧室へ、、、とかなんとか言って

          汗だくな気持ちで、、、別の席に移ってしまったかもしれませんね。

          息が詰まりそうな、、、席でしたね。

       彼女の高校生時代の女性友達の席は後方になっていた。

       私の周りは、、、独身の外科医ばっかり、、、

       、、、後で知ったのですが、、、

        北の果てから札幌に嫁ぐ彼女は

         大學時代親切にしてもらったと思い込んでいる友人を

         結婚式という、、、ある種の出逢いの場で

        私の人生を、、北海道に移動させようという

         イタズラの、、、招待であったという事でした。

        新郎が、、私の了解も無く
           母とのやり取りで、、、すでに来道を断れないような

               ヒコーキの切符と、、、菫ホテルの部屋の予約払い済みの領収書!」

         母から、、「北海道に行くチャンスはなかなか無いから、、了承しておいた。」

         勝手に、、私の、、頭の上でなされた、、、北海道行きは
       19歳で父親を亡くし、、、薬剤師になってからは
        父に頼まれた「母さんを大切に、、、」の一言が

        思い出されるんですが、、、

       私の母は、、、「怪物?お化け?、、音楽大学を卒業した後は
              戦争体験で、、、3人の子供を失っても

           取り戻すのだと言って、又、、3人を産みなおしたという

            日本の「富国強兵時代」の
           すさまじい、、教育と、本土決戦が始まろうとするさ中

        戦場に出てゆく男性たちの仕事を
            女性が、代行して、国内事情を切り盛りする時代の教育を受けている。
       使用人と呼ばれていた当時の社員を、切り盛りできた女性であった。

       昔の医師の家は、、
          、現在のように
             厚生労働省の
               政治主導では
                  無い時代だったので

      医師は自分自身の責任において、社会的地位を確固たるものにしていた時代だった。

      保険制度が出来て、、、手術の後の抗生剤も
          政治が保険制度で決めた日時以上の投薬は、
            医師が自腹で投薬せざるを得ない時代であった。
             保険制度が認めなかった時代である。

        それでも、昭和初期の医師は、、
                 多くの場合、、
                  病気に忠実に、、自腹を切っても

                  必要な処置をしていた時代であった。

         父の卒業証書の番号は、、5万という数字だった

        日本には5万人しか、、医師が居なかった時代であった。

         稀有なる文化人の奥様でもある、、、母は

              奥様…という感じでありながら
              キャリア ウーマンであり

              配偶者が医師であったことの。。。
                ある種のプライドもあった時代の、、

             「医師の奥さん」だから、、

            、娘といえども、、扱いがむつかしい人でしたね、

         独身でいると言って、、、
            一向に嫁に行こうとしない、、、我が娘!!

          目障りだったことに、、、、
                 私は気が付かなかった、

       私の人生を狂わしてしまったのでした。

          3人の男の子の人生行路の方が
          娘の存在よりは、、
           母の小さな双肩に乗っかっていたのかもしれません。

        日本大学は、男性の方が多いのですから
         母が心配しなくても、、、社会に出れば、多くの同級生が居るからね。

         6月の北海道は、、、
             リラの花が咲き、、、
               緑香る大自然を控えたの街の道路には

       真ん中に緑地帯が在り、、、
          まっすぐに見通せる空の下には

          藻岩山が見えて、、、
             東京の下町の、、緑の無い駅前近くの病院からの眺めとは

             まるで違う景色に、、、まず、、驚きましたね、、、
           6月の札幌は、、、エキゾチックな雰囲気の中で
           
           おばさんやら、、、叔父さんが、、、
            「とうきび{トウモロコシ)を焼いているという

            何とも、、、アンバランスな親しみが、心をリラックスさせた、
            
           あれから55年が過ぎてゆきました。

           秋の気配とともに、、、雪虫の飛ぶのを観て

            へとへとになりながら、、、庭の剪定をするとき、、、

            出会った時の、、、6月の北海道に、、、騙された、、、と


          55年も、、雪掻きをつづけて、、、80歳を迎える今年も

           毎年のこと乍ら、、、旦那さんは、、雪掻きはしません

             札幌と出会ったのは6月だったのだから、、、

                 こんなに雪に苦しむ人生だったと知っていたら、、、

               北海道には来なかったと、、、思うのですね、、、

       
         人生の3分の一は雪掻きに費やした時間は
   
            もう、、戻っては、、いきませんね^^^
      





       

 、、

  

         
        

          大学入学まもなく、、すっぴんで、、オカッパで、、、長いコートを着て
           けり足で歩く,、、新入生の、、、北海道から来た彼女。

    浮世絵から出てきたような、、、切れ長の目。
                     北海道出身なのに
                   柳腰、、、

              口数は少ないが
                 痛烈な、、
                   やぶにらみのギャグで、、、
                         周りは無口になった。


                本州の者は、、、苦手なタイプかも知れない。

             本州の女性は、周りの雰囲気に融けむという心掛けの中で

           その種の「一番は譲れない、、、!(^^!

          北海道からやってきた彼女は、「私流」。

          オードリーが、タクシで降りてくる時
         ルイビトンのバッグを持って降りてきた、、、

        「暗くなるまで待て」、、、という映画だったか?。。。
         忘れてしまったが、、、

       その「映画の直後には、、
           ルイビトンのお財布」が、、
       チャーミングポイントの小道具に使うとか。。

       たった半年間の間に、、、
        彼女は
       あか抜けた、、

           銀座を歩いても、、、
       違和感が無くなったころ、、、

       工学部の教室には姿が見えなくなっていた。

      夏休み前の中間試験の時は、、、教室には出てこなかった。

       その時、、クラスの代表幹事を任命されていた事もあり、、

       私は、追試験の日程のコピーを、届ける役が廻って来た。

        下宿を変わる時に、、飯田橋の事が良くわからないので
        一緒に来てほしいと依頼されて、、、宿探しに付き合ったのがきっかけで

       私は、、彼女の依頼心を満たす便利なクラス委員の一人だった。
       下町の都立高校から
       一貫教育の付属高校の、、、結束の固いクラスメートの中に
       
       入り込むことは、無理だろうと思っていた、
       飯田橋は、、私の父が新宿区に代々住んでいた関係で

        毘沙門天や、、、女子医大や、、、神楽坂は、
      
        結構、、、縁日なども楽しんでいたこともあり、

        安請け合いで、、「飯田橋は東京中の地下鉄が集まる所だから、、、」

        知ったようなことを言ってしまった。

      彼女は、男子生徒にモテモテで、、、
      医学部のT君、、歯学部のK君、、やky学部のI君、

      他の大學の歯学部(単科大学)のK君

       ア~~~~という間に、、ボーイフレンドが集まっていた。

      当然、、授業などには出え居られなくなりますよね。

      追試のパンフレットとともに
      試験問題の予想をコピーしたものを渡しておいた、

       しかし彼女は追試には現れなかった。

      北海道からは親御さんが、、上京してきて、、、

      「いつも、クラスではお世話になっているので、、、会いたいと言っている。」

       彼女のご両親い会う事になり、、、

       理工学部という性質上、、1年や2年の留年は覚悟で東京に出したと言った。

       私は、こういう、、余裕のある大学生に出逢ったのは、、、初めてだった。

       「留年は、、一年遅れるだけではなくて、、、    
         クラスの友達と切れてしまうから、、、
          追試は何回もしてくれるはずだから、、、留年しない方が、、、」
       私は、夏休みも返上した「追試のた芽の講義もあるから、、」と

       大学側から任命された、「幹事」だったので、
        クラスの仕事として、、、大学の落第救済措置の
         夏休み返上授業に出席して、、、試験に合格すれば、、
          今からでも、、、留年はしなくて済むはずだと、、

              学校の規則を忠実に伝える役だけは、仕事だと思って

             親御さんの分も、、お渡しして、、、

      「進級相談は、軽軽学教室の教授が真剣に相談に乗っているようです。」
      北海道からは、女性一人、、旭川から男性が一人
      クラスの出席名簿には掲載されていましたので、、、

        親御さんにも、本人にも、、
       、北海道のもう一人の学生は合格していることも伝えました。

     私は大学に進学するまでには、、周りの反対が有って
     昭和38年

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