天皇が元旦早朝から国と国民の安泰のために祈られる四方拝。明治以前と以後ではそのやり方もかなり変わったようですが、今も毎年皇居で行われています。
wikipediaより-----
戦前には四方節とよばれていた。皇室令が廃止された戦後においても、皇室の私的な行事とされる以外は旧皇室令に準拠して行われている。
元日の午前5時30分に、今上天皇が黄櫨染御袍と呼ばれる束帯を着用し、皇居の宮中三殿の西側にある神嘉殿の南側の庭に設けられた建物の中に入り、伊勢の神宮の皇大神宮・豊受大神宮の両宮に向かって拝礼した後、続いて四方の諸神を拝する。ただし、2009年の四方拝は今上天皇の高齢化に伴う祭祀の簡略化により、皇居の御所において行われた。
この時に天皇が拝される神々・天皇陵は伊勢神宮、天神地祇、神武天皇陵・先帝三代(明治天皇の伏見桃山陵、大正天皇の多摩陵、昭和天皇の武蔵野陵)の各山陵、武蔵国一宮(氷川神社)・山城国一宮(賀茂別雷神社と賀茂御祖神社)・石清水八幡宮・熱田神宮・鹿島神宮・香取神宮である。
----------
明治以前はこの四方拝には道教の影響が強く、特に北極星や北斗七星の祭儀が中心にありました。また水平方向である東西南北の四方だけでなく、天地の垂直二方向も祭儀に含まれていました。この天皇による四方拝の霊的影響は非常に強く日本の安定に寄与していると、自分は感じています。
お名前は忘れましたが、以前元大臣経験者が日本国の安全を祈って毎日この四方拝を自宅でされているという記事を見たことがあります。たぶん今現在も心ある人々が日夜、自分なりに四方拝をされているのではないでしょうか。
私の亡き父は生前、この四方拝をベースとした変形バージョンである八方拝を死ぬ間際まで約50年以上1日も欠かさず行っていました。海外旅行のときもホテルで行っていたのを懐かしく思い出します。父の場合、日本国の安泰という大それた祈りではなかったですが、家族や近しい人達の安全を日々祈っていました。私も父の跡を継いで約七年間1日も欠かさず励行しています。この四方拝や八方拝さらに変形版である十一方拝の祈りは、非常に霊験あらたかで、実践していると本当にいろんな場面で目には見えない力で守護されているのを感じることができます。
これから正念場に突入する日本、一人でも多くの人が四方拝を行い、まずは自分の家族や近しい人たちの安全を祈りさらに日本全体の安泰を祈っていただけることを切に願っています。
貴舟 一之 (きふね かずゆき)
wikipediaより-----
戦前には四方節とよばれていた。皇室令が廃止された戦後においても、皇室の私的な行事とされる以外は旧皇室令に準拠して行われている。
元日の午前5時30分に、今上天皇が黄櫨染御袍と呼ばれる束帯を着用し、皇居の宮中三殿の西側にある神嘉殿の南側の庭に設けられた建物の中に入り、伊勢の神宮の皇大神宮・豊受大神宮の両宮に向かって拝礼した後、続いて四方の諸神を拝する。ただし、2009年の四方拝は今上天皇の高齢化に伴う祭祀の簡略化により、皇居の御所において行われた。
この時に天皇が拝される神々・天皇陵は伊勢神宮、天神地祇、神武天皇陵・先帝三代(明治天皇の伏見桃山陵、大正天皇の多摩陵、昭和天皇の武蔵野陵)の各山陵、武蔵国一宮(氷川神社)・山城国一宮(賀茂別雷神社と賀茂御祖神社)・石清水八幡宮・熱田神宮・鹿島神宮・香取神宮である。
----------
明治以前はこの四方拝には道教の影響が強く、特に北極星や北斗七星の祭儀が中心にありました。また水平方向である東西南北の四方だけでなく、天地の垂直二方向も祭儀に含まれていました。この天皇による四方拝の霊的影響は非常に強く日本の安定に寄与していると、自分は感じています。
お名前は忘れましたが、以前元大臣経験者が日本国の安全を祈って毎日この四方拝を自宅でされているという記事を見たことがあります。たぶん今現在も心ある人々が日夜、自分なりに四方拝をされているのではないでしょうか。
私の亡き父は生前、この四方拝をベースとした変形バージョンである八方拝を死ぬ間際まで約50年以上1日も欠かさず行っていました。海外旅行のときもホテルで行っていたのを懐かしく思い出します。父の場合、日本国の安泰という大それた祈りではなかったですが、家族や近しい人達の安全を日々祈っていました。私も父の跡を継いで約七年間1日も欠かさず励行しています。この四方拝や八方拝さらに変形版である十一方拝の祈りは、非常に霊験あらたかで、実践していると本当にいろんな場面で目には見えない力で守護されているのを感じることができます。
これから正念場に突入する日本、一人でも多くの人が四方拝を行い、まずは自分の家族や近しい人たちの安全を祈りさらに日本全体の安泰を祈っていただけることを切に願っています。
貴舟 一之 (きふね かずゆき)