『BJ』 4 直家エル
夜、いきなり事務所のドアを開けて男が入ってきた。
中年のホームレスのようだ。が、Aジェントだった。後ろ手にドアを閉めると、人差し指を口元に立て、部屋の中を舐めるように見渡した。
ぼろぼろの薄汚れたスーツの下に、今時ピースマークのTシャツ。何故かよれよれのハンチングを被っている。黙ったまま窓に近づき、閉じているブラインドに人差し指を挟んで外の様子を見る。その図体が部屋を暑苦しくする。
私は引出しからスケッチブックを取り出すと、4Bの鉛筆で走り書きをして、男に見せた。
『盗聴器はないですよ。いつもそんな儀式をしてからでないと、挨拶もできないんですか?』
男はにやけると、初めて口を開いた。
「ひさしぶりだな。これは儀式じゃない。からかっているだけだ。なにしろ、こんな鄙びた探偵事務所に盗聴器を仕掛けるやつなんて絶対にいないからな」 全く警戒していないのか、大きな声だ。
「何言ってるんですか、先週会ったじゃないですか」
「そうか?」
この間のこともあるので、靴を見てみた。
「靴は古ぼけていますが、登山靴みたいですね」
「おう、これは、服に合わせてわざと使い古したように加工してあるんだ。スカルパのオーダーメイドだぜ」
「はぁ? じゃあ腕時計を見せてください」
「みろ、これも服に合わせて安っぽい時計だろ」
「えぇ? これスウォッチじゃないですか。ひょっとして、レア物?」
「よく知ってるな。一般の店では売ってない」
「勉強したんです。Aジェントさんが、ブランドを知らないとだめだって言ったんですよ。ところで、今日は何の用ですか。そうだ、預かった箱を返しますよ」
「知らんぞ、そんな箱」
「置いていったじゃないですか」
「何の話だ。そもそも直接会う事は禁じられているだろ」
「だって、この前の話で・・・」
「この前のはなしぃ?」
「小説もどきですよ、変な作家が俺を主人公に書いているんです。Aジェントさんも出てたじゃないですか」
Aジェントは、自分の頭を折り曲げた人差し指で叩きながら言った。
「まだ、梅雨も明けないうちに、大丈夫かぁ、こっちのほうは」
「いや、たぶん今も小説の中ですよ」
「イミわかんねぇよ」
「おかしいなぁ、俺だけ意識が連続しているのかなぁ。Aジェントさんは、その都度登場人物としてリセットされて出てくるのか? そういえば、いつもプロローグだけで終わっていたな。でも完結の<完>じゃなくて、(お寒い)の<寒>だったしな」
「なにぶつぶつ言ってるんだ。いいか、何故小説なんだ、根拠は?」
「小説で読んだんです。そうそう、聞いて下さいよ、前回なんて、私の家のことまで書かれてしまったんです。それも写真付きで」
「わかった、わかった。じゃあそれが小説の中だと仮定しよう。そうすると、なんで作者がおまえの家を知っているんだ? まして写真まで撮られて。それでもおまえは探偵かぁ。まさか、敵のスパイじゃねえだろうな」
「ええーと、ブログによると、なんとかというペンネームの人で・・・」
「ブログだぁ? なんでぇ、小説じゃねえのか」
「だから、ブログに小説があって、そこに俺が・・・」
「変じゃねぇか、誰のブログだ。写真撮ったのは、その作家なのか、ブログのやつなのか、それともおまえが撮ったのを盗ったやつか」
「小説は、フィクションのはずですが、変にリアリティがあって」
「あのなぁ、そもそもブログだって、虚構だろ、その中の小説なんて虚構の中の虚構だ。信じられるか」
「でも本当にあったことが書かれているんですよ。裏の裏は表ってことです。現にここにほら、小さな箱があるでしょう?」
かみ合わない会話をしていると、どこからともなく声が聞こえてきた。
男とも女ともいえないような妙に間延びした声だ。
<現実と虚構をごっちゃ混ぜにしないでくださいよぉおお>
Aジェントが身構えた。「誰だ! どこにいる!」
<現実の外ですよぉおお、或いは虚構の外かなぁああ>
「ここには、盗聴器じゃなくて、どこかにスピーカーが仕掛けられているんじゃねぇか? おのれぇ! 名を、名を名乗れぃ!」
「Aジェントさん、時代劇じゃないんだから」
<直家エルゥ>
「ん? すぐかえる? じゃぁ、とっとと帰れ!」
「あ、Aジェントさん、思い出しました。作者ですよ作者」
「なんか見下すよな感じだな」
「作者ですからね、登場人物の俺たちの事なんか・・・」
「俺は、俺の人生の主人公であって、他はみんな端役だ。早く帰れ。それに、俺は小説の中で生きているわけじゃねぇ」
「まぁまぁ、落ち着いて」
「そうだ、そのブログの話ってのを、見てみようじゃねぇか。パソコンぐらいあるだろ」
「もちろん、ありますよ。探偵小説の中じゃないんだから。今時PCのない探偵事務所なんかありませんよ」
と言いながら、デスクの上のデスクトップを立ち上げた。
Aジェントが驚く「おい、これCRTじゃないか。どこで拾ってきたんだ?」
立ち上がった画面を見てさらに驚く「ええぇえ、これウィンドウズ98か? おまえに懐古趣味があるとは思わなかったよ」
「ほっといてください、見えりゃいいんです」
問題のブログの記事を表示するまで時間がかかる。
「これこれ、これ、家の庭です」
Aジェントは、前回の番外編を読んだ。
「おまえの家の庭、広いなぁ。やっぱりフィクションだよなぁ。なにが“小さな池がある”だよ、なにが、“自慢の鴨南蛮”だよ。本当のことを書けよ。要するに公園に住むホームレスだろ」
「Aジェントさん、鴨南蛮なんて書いてありませんよ。それに、話が混乱してますよ、これを書いたのは俺じゃないんだから」
「ははは、俺がこんなちゃちな仕掛けを見抜けないと思っているのかぁ。さっきの変な声はおまえの声だ。録音しておいたのを適当なタイミングで再生したんだろ。これは、自分のブログで、小説は自分で自分のことや事務所の出来事を書いているんだから、事実が混ざっていても不思議でもなんでもない。この世の中に不思議なことなど何もないのだよBジェント君」
「どこかで聞いたことのある台詞だなぁ。それにこれは俺のブログじゃないですよ、ホントですよ」
「まぁいいや。それから、こっちの話を見てみろ。なんか流行りのお笑いのネタを入れたりして、ウケようとしてるぜ。ダサいなぁ」
「“ダサい”なんて死語ですよ。それから、流行語じゃなくて、あのネタは、また偶然の一致なんですよ」
「ははは、草の根の乾かないうちに、自分で書いたことをばらしているじゃねぇか。それから、そういう場合は、偶然の筆致というんだ」
「あ!?!? まぁいいや。それから、いくら梅雨だからって、“草の根の乾かない”はないんじゃないですか。舌の根でしょ」
「ははは、そうか。それより、心根が乾かなくて腐ってんじゃねぇか?」
「Aジェントさんほどではありません。例えばですねぇ・・・」
「おっと、梅雨空の雲行きが怪しくなってきた。帰るぜ、じゃあな」
Aジェントは、片手を上げると、ドアを壊さんばかりに大きく開けて出て行った。
「ちょっと、ちょっと、ちょっとぉ、これどうすればいいんですかぁ」
小箱を掴んで後を追いかけ、ドアまで駆け寄ったが、すぐに諦めた。
あたりは元の静寂を取り戻していた。
Aジェントさんには、驚いたふりをして誤魔化したが、もちろん、あの小説を書いているのは私じゃない。ブログの記事のコメントに、流行の言葉は偶然だったと書いてあったから言っただけだ。あの声は、ホントに作者だったのだろうか。そうすると、今日の出来事もまた、書かれるのだろうか。
デスクの方に振り向き、小箱をゴミ箱に向かって放り投げた。
見事なスリーポイントショットが決まった。
しかし、混沌とした虚構と現実の狭間で、心は梅雨空のように晴れなかった。
<寒>
夜、いきなり事務所のドアを開けて男が入ってきた。
中年のホームレスのようだ。が、Aジェントだった。後ろ手にドアを閉めると、人差し指を口元に立て、部屋の中を舐めるように見渡した。
ぼろぼろの薄汚れたスーツの下に、今時ピースマークのTシャツ。何故かよれよれのハンチングを被っている。黙ったまま窓に近づき、閉じているブラインドに人差し指を挟んで外の様子を見る。その図体が部屋を暑苦しくする。
私は引出しからスケッチブックを取り出すと、4Bの鉛筆で走り書きをして、男に見せた。
『盗聴器はないですよ。いつもそんな儀式をしてからでないと、挨拶もできないんですか?』
男はにやけると、初めて口を開いた。
「ひさしぶりだな。これは儀式じゃない。からかっているだけだ。なにしろ、こんな鄙びた探偵事務所に盗聴器を仕掛けるやつなんて絶対にいないからな」 全く警戒していないのか、大きな声だ。
「何言ってるんですか、先週会ったじゃないですか」
「そうか?」
この間のこともあるので、靴を見てみた。
「靴は古ぼけていますが、登山靴みたいですね」
「おう、これは、服に合わせてわざと使い古したように加工してあるんだ。スカルパのオーダーメイドだぜ」
「はぁ? じゃあ腕時計を見せてください」
「みろ、これも服に合わせて安っぽい時計だろ」
「えぇ? これスウォッチじゃないですか。ひょっとして、レア物?」
「よく知ってるな。一般の店では売ってない」
「勉強したんです。Aジェントさんが、ブランドを知らないとだめだって言ったんですよ。ところで、今日は何の用ですか。そうだ、預かった箱を返しますよ」
「知らんぞ、そんな箱」
「置いていったじゃないですか」
「何の話だ。そもそも直接会う事は禁じられているだろ」
「だって、この前の話で・・・」
「この前のはなしぃ?」
「小説もどきですよ、変な作家が俺を主人公に書いているんです。Aジェントさんも出てたじゃないですか」
Aジェントは、自分の頭を折り曲げた人差し指で叩きながら言った。
「まだ、梅雨も明けないうちに、大丈夫かぁ、こっちのほうは」
「いや、たぶん今も小説の中ですよ」
「イミわかんねぇよ」
「おかしいなぁ、俺だけ意識が連続しているのかなぁ。Aジェントさんは、その都度登場人物としてリセットされて出てくるのか? そういえば、いつもプロローグだけで終わっていたな。でも完結の<完>じゃなくて、(お寒い)の<寒>だったしな」
「なにぶつぶつ言ってるんだ。いいか、何故小説なんだ、根拠は?」
「小説で読んだんです。そうそう、聞いて下さいよ、前回なんて、私の家のことまで書かれてしまったんです。それも写真付きで」
「わかった、わかった。じゃあそれが小説の中だと仮定しよう。そうすると、なんで作者がおまえの家を知っているんだ? まして写真まで撮られて。それでもおまえは探偵かぁ。まさか、敵のスパイじゃねえだろうな」
「ええーと、ブログによると、なんとかというペンネームの人で・・・」
「ブログだぁ? なんでぇ、小説じゃねえのか」
「だから、ブログに小説があって、そこに俺が・・・」
「変じゃねぇか、誰のブログだ。写真撮ったのは、その作家なのか、ブログのやつなのか、それともおまえが撮ったのを盗ったやつか」
「小説は、フィクションのはずですが、変にリアリティがあって」
「あのなぁ、そもそもブログだって、虚構だろ、その中の小説なんて虚構の中の虚構だ。信じられるか」
「でも本当にあったことが書かれているんですよ。裏の裏は表ってことです。現にここにほら、小さな箱があるでしょう?」
かみ合わない会話をしていると、どこからともなく声が聞こえてきた。
男とも女ともいえないような妙に間延びした声だ。
<現実と虚構をごっちゃ混ぜにしないでくださいよぉおお>
Aジェントが身構えた。「誰だ! どこにいる!」
<現実の外ですよぉおお、或いは虚構の外かなぁああ>
「ここには、盗聴器じゃなくて、どこかにスピーカーが仕掛けられているんじゃねぇか? おのれぇ! 名を、名を名乗れぃ!」
「Aジェントさん、時代劇じゃないんだから」
<直家エルゥ>
「ん? すぐかえる? じゃぁ、とっとと帰れ!」
「あ、Aジェントさん、思い出しました。作者ですよ作者」
「なんか見下すよな感じだな」
「作者ですからね、登場人物の俺たちの事なんか・・・」
「俺は、俺の人生の主人公であって、他はみんな端役だ。早く帰れ。それに、俺は小説の中で生きているわけじゃねぇ」
「まぁまぁ、落ち着いて」
「そうだ、そのブログの話ってのを、見てみようじゃねぇか。パソコンぐらいあるだろ」
「もちろん、ありますよ。探偵小説の中じゃないんだから。今時PCのない探偵事務所なんかありませんよ」
と言いながら、デスクの上のデスクトップを立ち上げた。
Aジェントが驚く「おい、これCRTじゃないか。どこで拾ってきたんだ?」
立ち上がった画面を見てさらに驚く「ええぇえ、これウィンドウズ98か? おまえに懐古趣味があるとは思わなかったよ」
「ほっといてください、見えりゃいいんです」
問題のブログの記事を表示するまで時間がかかる。
「これこれ、これ、家の庭です」
Aジェントは、前回の番外編を読んだ。
「おまえの家の庭、広いなぁ。やっぱりフィクションだよなぁ。なにが“小さな池がある”だよ、なにが、“自慢の鴨南蛮”だよ。本当のことを書けよ。要するに公園に住むホームレスだろ」
「Aジェントさん、鴨南蛮なんて書いてありませんよ。それに、話が混乱してますよ、これを書いたのは俺じゃないんだから」
「ははは、俺がこんなちゃちな仕掛けを見抜けないと思っているのかぁ。さっきの変な声はおまえの声だ。録音しておいたのを適当なタイミングで再生したんだろ。これは、自分のブログで、小説は自分で自分のことや事務所の出来事を書いているんだから、事実が混ざっていても不思議でもなんでもない。この世の中に不思議なことなど何もないのだよBジェント君」
「どこかで聞いたことのある台詞だなぁ。それにこれは俺のブログじゃないですよ、ホントですよ」
「まぁいいや。それから、こっちの話を見てみろ。なんか流行りのお笑いのネタを入れたりして、ウケようとしてるぜ。ダサいなぁ」
「“ダサい”なんて死語ですよ。それから、流行語じゃなくて、あのネタは、また偶然の一致なんですよ」
「ははは、草の根の乾かないうちに、自分で書いたことをばらしているじゃねぇか。それから、そういう場合は、偶然の筆致というんだ」
「あ!?!? まぁいいや。それから、いくら梅雨だからって、“草の根の乾かない”はないんじゃないですか。舌の根でしょ」
「ははは、そうか。それより、心根が乾かなくて腐ってんじゃねぇか?」
「Aジェントさんほどではありません。例えばですねぇ・・・」
「おっと、梅雨空の雲行きが怪しくなってきた。帰るぜ、じゃあな」
Aジェントは、片手を上げると、ドアを壊さんばかりに大きく開けて出て行った。
「ちょっと、ちょっと、ちょっとぉ、これどうすればいいんですかぁ」
小箱を掴んで後を追いかけ、ドアまで駆け寄ったが、すぐに諦めた。
あたりは元の静寂を取り戻していた。
Aジェントさんには、驚いたふりをして誤魔化したが、もちろん、あの小説を書いているのは私じゃない。ブログの記事のコメントに、流行の言葉は偶然だったと書いてあったから言っただけだ。あの声は、ホントに作者だったのだろうか。そうすると、今日の出来事もまた、書かれるのだろうか。
デスクの方に振り向き、小箱をゴミ箱に向かって放り投げた。
見事なスリーポイントショットが決まった。
しかし、混沌とした虚構と現実の狭間で、心は梅雨空のように晴れなかった。
<寒>
困った。次は箱の中身を考えて話を作ろうか。
全く目処が立っていないが
かのあれが「パンドラの風呂敷」だったら、開けなかったかも。
さあ!ゴミ箱から拾って開けなさい!!
返信遅くなりました。
色はもちろん補正してあります。
屋根は、そこまで無いのですよ。
今度使う時は、後ろ2つ続けます。(まだ見た事無いので・・・)
明日は飛行機飛びません。紙飛行機も飛びません。
はなこさん、
預かった箱は開けられません。パンドラの箱かもしれないし。
ちょっと~、ちょっとちょっと!(後ろ2つは続けて言う)
箱投げる前に開けてみて!!
箱はなんだったんですか?「箱→開ける」は普通の行動。
台風で飛行機が飛ばなかったらどうしようかしらん。