「貝」青来有一
今朝目覚めたら、枕元に貝殻が転がっていた。それを見て僕は、これでみんなに信じてもらえるにちがいないと、
なによりもそのことをまず先に考えた。夢の中では、海辺に敷かれた布団の傍らを潮が急激に退いていった。
4歳のひとり娘の沙耶香を肺炎で亡くした僕は、その耐え難い悲しみで気が変になり、毎晩うなされた。
それを揺すり起こす妻は不眠が昂じ
追い詰められ、とうとう実家へ帰ってしまった。真夜中に海が押し寄せてマンション12階の部屋を水浸しにするなど、
現実にありえない、夢であ
り妄想だと決め付けるのは分かる。でも、しょぼしょぼの寝起きの眼で眺めているこの貝殻は、どうみてもホンモノで、微細にびっしりと質料がつ
まっている現実だ。貝殻は掛け布団の上、食卓のテーブルの上、キッチンの流しなどにもあった。それをお前は重篤な狂気にとらわれている、
と呼ばれたくない。僕だってこの広大な、ぬかるみから、いつか脱出したい。
父の経営する設計事務所で、兄と僕は働いている。短期入院したこともあって仕事が気にかかる、「いまは養生に励め」と言ってはくれるが、
兄とはいつでも、現実と妄想についてのかみ合わない論争になる。胸が痛むのは孫の沙耶香を失ったことで、嘆き、憔悴しきっている父のことで
ある、それくらい娘をかわいがってくれた。事務所は2人の息子に任せて、穏やかな隠居暮らしをしていたが、僕に代わってまた
パソコンのディスプレーに向かわせてしまった。
やもめ暮らしを心配して、兄は規則正しい生活をするようにと、医者の注意もあってなのか助言する。ごみ出しの朝、資源ごみの入ったごみ袋をぶら下げて、マンシ
ョンの近くにあるごみ集積所に行くと、出されたゴミ袋の整理整頓や掃除を、ボランティアでやっている老人に出会った。僕はこの老人のことは
数年前から見知っており、挨拶以外に言葉を交わしたことはないが、いつも奥さんらしき人を伴って黙々と作業をしていたが、なぜかこのところずっと、老
人ひとりだけだ。沙耶香が興味深そうに、ふたりの作業を眺めていたのを思いだした。
老人はクリスチャンで、沙耶香の霊前で祈らせて欲しいと僕に言った。十字を切って敬虔な祈りを捧げたあと語るには、奥さんと思しき人は老
人の妹で、生涯独身を通し、無愛想ながらも心優しいこの老人が妻に先立たれた後から同居していたのだという。老人(長井さん)の妹(百
千代さん)も奇妙なことに、真夜中に海が押し寄せてくると、しょっちゅう口走っていたと言う、ボケが出てきたものと思い、永井さんは妹をきつく叱ったが
、長崎で7歳の時に被爆し、その地獄絵図の中を逃げ惑ったトラウマから、
全焼した市街地を、押し寄せる海水で鎮火できたらいいのにと、子供心に考えたことが百千代さんに言わせたのだろうか。僕は知らなかったが、百千代さんと
沙耶香の2人は仲睦まじく、しばしばなにごとか会話していたとも永井さんは語った。やがて百千代さんは物忘れが進行し、脳溢血で死亡したが、奇しくも昨
年の8月沙耶香と同じ命日だった、ということを僕は知らされた。
僕は拾い集めた貝殻12個を、ポケットに忍ばせ折あらば、妄想でない証拠となるこの貝殻を、永井さんに突きつけてやろうと、話に聞き入って
いた。亡くなる当日の朝、三角ロータリーにあるごみ集積所の傍で、百千代さんと沙耶香のふたりが、拾い上げたものを手の平に乗せている
ので、「何だ」と聞くと「貝殻よ」とふたりは平然と答えた。
長井さんが近寄ってのぞきこんだら、ふたりの手の平には何もなかったと語った。満を持して貝殻12個を、ポケットから取り出し並べたが、永井さ
んの目にはどうも貝殻が見えてないようなのだ。じゃこの貝殻は僕の空想の産物なのか、つまり僕ひとりだけが、妄想による狂気の病から抜け出せていない
というのか。僕は愕然とした。
この作品は題名が「貝」とあり、貝殻がモティーフになっているが、愛児を失ったことによる喪失感
慟哭を綴ったありきたりの泣かせものではない。
仕事やおなじ悲しみを共有しているはずの妻も去り、精神にバランスを欠いた主人公が自分のアイデンティティーを取り戻すために
サスペンステイストたっぷりに描いたホラーがかったサスペンスものとして読んだ。
この作品のように、通俗的な内容にひとひねりしたものが、文学界に新しい潮流を作り出していくのだろうと思った。
文学界3月号(文芸春秋)に掲載された全文にもとづいたものである
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