作品「枯葉の中の青い炎」著者『辻原 登』/第31回川端康成文学賞受賞作
作者は、ある新聞のコラムに目を留めた。
「両陛下、来春予定の初めての太平洋3ヶ国ご訪問見合わせ」『産経新聞』(産経抄2003年12月7日付け)
ミクロネシアトラック環礁の大酋長、ススム・アイザワ(相沢進)さん(73)は、ご訪問準備に東京に飛んできていた。
「見合わせ」から、たっての御念願だった両陛下の残念の、お気持ちに思いを致すと同時に、プロ野球トンボ・ユニオンズの投手だった
ススム・アイザワの名前から、歴史に名を刻んだある偉業を想起した。
1955年9月京都・西京極球場でのトンボ対大映戦で奇跡がおきた。トンボのピッチャーはスタルヒン。前人未踏の300勝達成にあと一勝だった。
トール(水曜島)大酋長の孫として生まれたハーフのススムは、日本人学校で野球に出会った。
日米開戦。そして全面降伏した日本。父・相沢庄太郎と子・進は日本に強制送還されることになった。別れの日、大酋長のファレは愛しい孫・ススムを居室に呼んだ。2人乗った絨毯の上で、白い小壜の中の葉っぱに点火した。すると青い炎が小さく、ちろちろと燃えあがる。やがて、なにごとか呪文を唱えた。異次元の夢心地な旅を終え、3枚の青い葉っぱがススムの手に握られていた。
大酋長は、孫を抱き寄せ耳元で囁く「枯葉を燃やして願い事すれば、どんなことでも叶うんだよ。」続けて「トールの外で、これをやっても叶う。ただし、望みと同じほどの災いがふりかかる」と
試合のほうは最終回ピンチを切り抜けたかと思えば、また詰め寄られ、いよいよスタルヒンは剣が峰に立たされた。そのときベンチの隅のアイザワにアイデアが閃いた。味方がタイムをとった間、ロッカーに駆け込み、別れの日とおなじ儀式をさっと執り行い、勝利の呪文を唱える。青い炎を上げる小壜を抱えてベンチに取って返した。結果、スタルヒンは300勝を手にし、トンボはダブルヘッダー第一試合を制した。
まるでリーグ優勝したかのごとく、勝ち祝いに沸くベンチで、ただひとり立ち尽くすアイザワは<スタルヒンの300勝を逃がすような災いなどあるものか>と呟きつつも、その到来を確信していた。
果たしてその災いは「スタルヒン氏事故死」の見出しの躍る新聞記事で知るところとなった。
よくできた作品である。まず新聞のコラムから起こし先へ先へと読み手を誘って飽きさせない。別れの日、大酋長と
その孫ススムが味わうファンタジー溢れる神秘体験、トールに棲む森の精霊伝説などが詳細に描かれ、エンターテインメント性も
たっぷりと織り込まれる。
実力派の作家だからこその川端康成文学賞の受賞。
ひさびさの秀作をエントリーできて満足した。
新潮6月号(平成17年)に掲載の全文にもとづいたものである。
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