「浮寝」(飯田章)
主人公の笈田は91歳になる医師である。現在は息子に内科クリニックを継がせ、都内は郊外に小さな家を建て
夫婦2人だけで住んでいる。同居しよう、と息子は言ってくれるが、体の自由が利くうちは子供に
世話になりたくない、とこれまでのところ、妻ともども拒んできた。
日課にしている午後の散歩に出ると、自宅へ戻るのに道に迷い、途方に暮れたりすることが、近頃多くなり、
あるときなど、近所の顔見知りの主婦に声を掛け、怪訝な顔をされながらも、道案内されて帰還するありさま。
妻さちのアイデアで肩書きなしの住所と氏名だけの名刺をつくり、財布と共に持ち歩くことにした。覚束ない足取りで
散歩を続けながらも、いつも思うことは向精神薬の「H」である。
これさえ服用すれば、自分でも腹立たしい“行きは良い良い帰りは怖い”の迷い道や
生来の不眠症も解消するのに、と今や「H」依存症の症状を呈している。
息子にせがむと、代用麻薬でもあり、服用を誤ると廃人になる、と処方してくれない。宛てがい扶持の睡眠導入剤
では効かないのだ。
あるとき、はたと気がついた。俺は一線から身を退いたとはいえ、これでも内科医なんだと。
そこでみずから処方箋を書き、医学博士笈田哲雄と署名捺印し、調剤薬局へ持参した、だがよぼよぼの笈田を「現役医師
でなきゃ、それに自作自演の人に売るわけにはいかない」、と女経営者に突き返されてしまう体たらくである。
75歳で息子に医院の看板を譲ってから、趣味で絵画を始めると、当初メキメキ腕が上がり、絵画サークル内で
特選に選ばれたこともあったが、このところ日中はどうしても、うつらうつらし、夜は眠りが浅い。
昼夜逆転の状態に置かれているため、ついに絵筆も折ってしまった。
その日もいつものように、散歩に出る。
なぜかすたすたと向かった先は、白亜の瀟洒な病院。エントランスを入ってすぐのところには、
趣味のよい絵が数幅架かっておりミニ画廊のようだ。つい見惚れてしまった。
門限ならぬ定刻までに戻らねば、くちうるさい看護師にまたどやされる。
2階でエレベーターを降り、ねぐらに戻ろうとして、病室のベッドに、たどり着けない。
ナースステーションに顔見知りの婦長を認め、
「私のベッドが見当たらないんだが」と訴える。信じられないとばかり「笈田先生しっかりしてください、
退院されてもう3年にもなりますよ。」と、応じる婦長。
実は笈田は、医療現場から離れた頃、近所で旧知の院長から週2日、
せめて午前中だけでも、と診療を懇願され、10数年間
手伝っていたが、3年ほど前、自宅の冷蔵庫の牛乳にあたり、この病院に入院、生死の境を
さ迷ったことがあった。
とうとう認知症の症状があらわれたか?婦長の機転で、自宅まで送りとどけられるタクシーの車中で、
眠り込んだ笈田医師の見た夢は……。
高齢化社会の到来に老人が、如何にして余生を過ごせばよいのか、という問題はタイムリー
で適切なテーマである。物忘れによって自宅に帰り着けない主人公は、認知症と認定される症状が、
すでにあらわれている、と言えるのかも知れない。題名が「浮寝」とあるが、広辞苑によると<鴨が水に浮いて寝ること。
転じてうかうかしていられないこと>とあった。その意味から類推すると文末、笈田の見る白昼夢はあえて割愛したが、
もう充分生きた、お迎えが来るまで待っちゃいられない。という深層心理が見せる夢なのだろうか。
群像(講談社)2006年2月号掲載
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