卯辰寺本親平/2005年上半期同人雑誌優秀作
主人公の私は、内輪で米寿の祝いをしたばかりの母に「見納めになる気がするから、お山の花見に連れて行って」と頼まれ、親孝行の真似でも、と腰をあげる。
母の世代では「金沢」を「お山」桜の名所は小高い山でこれを「卯辰」と通称する。麓の街道には香具師の出店もあり、母に綿菓子をねだられたので、数十年ぶりにこれを求め、手に握らせたが、幼い私と母の会話が蘇ってきた。そのうち母は、体をちぢこめ、毬のようになって居眠りを始めた。
目的の山頂の駐車場に乗り入れ、車椅子を引き出そうとすると、母は120kg超の巨体の私に「お前の懐に入れて、花見場所まで運んでおくれ」とせがむ。往き交う人々に「お婆ちゃん、赤ん坊みたい」と声を掛けられるとフギャーとこれに返すひょうきんな母。実にユーモラスな場面である。
そこに居合わせた喪服姿の中年婦人から、法事弁当のおすそわけを頂戴するも、彼女の身の上話にきついツッコミを入れ、可愛くない母。しばらくすると失禁した母は、頑としてこれを否定し「懐が濡れたのは一献頂戴したとき、お前がこぼした酒だ」とわたしを責める始末。
先生に引率された幼稚園児たち、視覚障害者と福祉職員の人々、及びNHKと民放の中継スタッフなどがやってくる。園児たちは天真爛漫。傍若無人に振る舞い、その様を母はまるで野犬と評し、園児を制止しかねる女先生を涙ぐませる。
NHK記者のインタビューマイクの先を咥え、犬のように吠えたり。視覚障害者の人たちは、顔を傾げて桜花を見上げている。「ああやって、耳で桜を見ている」とは職員の女性の話である。
「そうなんだって」と、懐の母に同意を求めると、これに全く気付かなかった女性が驚くや「おばば見参」とおどけてみせた母が、勢い余って懐から落ち、傾斜に沿って窪地へと転がった。
この作品は、還暦を過ぎた息子が、高齢の母を花見に連れ出した一日を、綴った短編エッセイと評すべきである。
たはむれに
母を背負ひて
そのあまり軽きに
泣きて三歩あゆまず
「詩集・一握の砂」 『石川啄木』より引用
上記詩集が思い起こされたが、主人公の母は、干からびて骨と皮だけの身こそ、石川啄木の母堂と異ならないだろうが、負けん気が強く、他には辛辣で、毒舌を吐き、しかも矍鑠としている。気は優しく力持ちで、母の言動に振りまわされる息子。ほのぼのとした親子の情愛が感じられる。
表現で気になったことは二点。
まず。ワンセンテンスが長く、泉鏡花の文体調の読点が極端に少ないので、どこで区切れば通りがよいかと困惑した。泉鏡花の場合は、ある種リズミカルで馴染むと小気味よさを味わえるが、この作品では気障りさしか感じられなかった。
もう一つ。この亜エッセイは「起」「承」「転」「結」に欠け凡庸で、小学生レベルの日記と大差ない
作品「卯辰」著者『寺本親平』
「遠州豆本別冊 短編小説集」10号より転載
文學界5月号(平成17年)〔文芸春秋〕に掲載された全文にもとづいたものである
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