私の自己実現日記

日常生活にかかわる些細な望みごとや

こうあってほしいという願いごと

についてのささやかな考察です。

服喪が明けたのでまたブログ再開致します。

2012年09月02日 17時20分02秒 | 身辺の小景

母が99才の白寿までおよそ7ヶ月残して永眠しました。

49日の忌明けも、とうに経過したので(没後134日)PCと対峙してキーボード入力してみようと

いう気になったところです。ブログ放置は毎度のこととて、訪問していただいたブロガーさんには

何ら痛痒も感じることはなかったわけですが、お気に入りとしてRSSサイトに登録してある

ブログは訪問していました。少々言い訳っぽいですが…。

読書依存症のわたしが、母の訃報のいくぶん前に読了した小説は、リリーフランキー著

「東京タワーオカンとボクと、時々、オトン」でした。

西村賢太著「苦役列車」(第144回芥川賞受賞作、読了済)ばりの

限りなく私小説っぽい母親との今生の別れ(葬送)がクライマックス

となっている内容でしたが、ベストセラーでトップ10内にランキングインしていたはずだから

既に読まれた方もおありでしょう。

また「日本一短い母への手紙」。(福井県丸岡町)当時新聞、雑誌、マスコミで取り上げられ

話題になった作品集や国内、海外の小説に綴られた母を看取る(死別)シーンに感情移入して

どれほど涙を流したことか。

母が住む故郷を片道1000キロも隔てて生活していた所為か、はたまた矍鑠として

与えられた生を生き抜く母には

死がやってくることは永久にないのではないか、と半ば本気で考えていたからなのか

長兄が父より1年先に亡くなったので喪主を勤め、野辺の送りをすませたのに今更ながら

滂沱の涙が両の目から落ちることは不思議と少なかったように思う。

総じて母親というのは(私の場合)親不孝の不肖の息子だからこそ、娘に対する以上に

切っても切れない生理的な絆をそのDNA遺伝子配列のなかに温存しているのだろうか?

孫を抱かせて父にじいじ、母にばあばデビューをさせることは叶わなかったけれど

妹が「母さんはいつも兄さんを気遣っている」と電話でたびたび話していた。

自分の体の不調は一言も訴えず、親不孝のわたしも世間一般によく言う

マザコンの仲間入りしていたのだろうか

当らずとも遠からずかな、でも微妙に違うほうが優っていると思うのだが…。

故郷に住む妹家族が2人の姉と兄(わたし)が県外で所帯を営んでいるので

父に先立たれケア施設に入所していた母の世話を一手に引き受けてくれた。

妹とその夫(義弟)が献身的な親孝行をした。

こころから感謝している。

8月には初盆の法要に葬儀ご4ヶ月で再び帰郷し墓参して来た。

 

 

 

 



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1 コメント

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お邪魔します。 (紋狗 悠之輔)
2013-04-25 15:45:26
こんにちは!!で茣蓙居ます。

ブログ再開と云ってもですねぇ、また、放置されてますですねぇ。
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