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旅日記

故郷の風景(29) 柿本人麻呂所縁の地−2(浜田市)

 

柿本人麻呂は今から1300年ほど前、天武、持統、文武天皇時代に活躍した人で、宮廷の歌人として名を成していました。

文武天皇の頃、人麻呂は石見の国に赴任したとされています。

石見に赴任したのは、故郷であったからとか、流刑されたとか、色々な説が有ります。

石見の国府は、浜田市の下府町にあったといわれていますが、仁摩町の宅野付近だった、あるいは江津市の恵良地区だったという説もあります。

しかしどうやら石見の国府は、仁摩→恵良→下府と移転したようです。

そして人麻呂が赴任した時の国府は下府にあったと一般的に考えられています。

 

さて浜田市下府町の国府はどこにあったのかというと、現在の下府にある伊甘神社がその有力な候補です。

伊甘神社の周辺には、御門、御所池、垣内、御門前などの地名が残っています。

 

1.伊甘神社

伊甘神社はJR山陰線下府駅の150m北方に位置します。

神社の入り口横に数台停められる駐車場がありました。

 

2.下府廃寺跡

伊甘神社の東南方向、約500m離れて「下府廃寺跡」の地があります。

今は礎石だけが残っており、石碑と案内板が建っています。

この案内板によると、「発掘調査の結果、白鳳時代末(7世紀末)から奈良時代初(8世紀初)ごろ創建され、平安時代前半(10世紀)まで存続したものと考えられる」とのことです。

人麻呂さんがこの地にいた頃は、ちょうどこの寺が創建されて間もない頃だったと思われます。

 

<完>

 故郷の風景 目次 

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