さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴15年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

生きるということ

2005年08月31日 21時38分25秒 | 日記
明日、自分が死ぬとしたら。
今日はどのように生きるだろうか。
おいしいものを食べて、散らかりっぱなしの部屋を掃除しよう。
両親に感謝をこめて話がしたいから電話でもかけるだろうか。
でも、美味しいものって??
今はもうすでに夕飯を済ませたからお腹はいっぱいだ。
改めて食べたいものといえば、そうだなあ、少し喉が渇くぐらいだろうか。
特別なものはいらない。いつも飲んでいるお茶か、買い置きしてある残りのコーヒー豆でいつもの分量で一杯限りのコーヒーを入れるだろうか。

明後日、自分が死ぬとしたらどうだろう。
たぶん、明日は仕事だから、いつもの時間に起きていつものように仕事に向うだろう。
働きながら、最後の一日を噛みしめて、目に涙が浮かぶかもしれない。
かといって、仕事の内容は変わらないだろうし、いつものように食堂で、美味しくもないランチを簡単に済ませるのだろう。
これまでお世話になってきた人に会いに職場の中をひと回りするかもしれない。
せめて夕食は一人ではなくて誰かに付き合ってもらって誰かと済ませたい。
夜だって独りになりたくはないから、誰かといたい。
でも、誰という相手もいないので両親のいる実家に向うかもしれない。

自分の死が一週間後だったらどうだろう。
きっと、仕事に行くことに変わりはないのだろう。

これだけはしたい、というものが特別あるわけでもない。
どこかに行きたい、というのも限られた中で、また、数ある中で一つを選び出すほどの執着のある場所なんてない。
ここに行ったら満足!があるわけではないので、どこに行ったって後悔、程のものがなくても、おそらく大した意味はもたらさない。
お金を使ったところで一緒。
そう思うと、おいしいものを食べたところで一緒・・・。
なんて考え始めると、鬱々としてきた。

そんな時、ふとチャンネルを合わせた日本テレビの24時間テレビ
テーマは「生きる」という内容であった。
たまたま、観ていたのは拡張型心筋症?かなにかの心臓疾患で16歳で亡くなった男の子の話。ドラマではなく、実際の映像や実父が登場してのドキュメンタリーだった。
その彼は、江ノ電の運転手になるのが夢でボランティア団体を通じて亡くなるほんの数日前に、実際に江ノ電を運転するという夢を果たした、という内容のものだった。

私にとっての江ノ電はなんだろう。
もしかしたら看護師になることかもしれない。
もう、すでに果たされた一つの夢。
今では、夢だったなんて思っていないが、もし16歳の私であれば、まだ袖を通したことのない白衣に身を包み、ナースキャップをかぶってみることは、もし、死を意識した16歳の私であれば大きな夢であったかもしれない。
そう思うと、私の夢の一つは果たされた、ということになる。

今の私には夢がないのか。
当面の人生の目標といえば、人生のパートナーを得て、一人生活から脱出することだろうか。
これが夢か??
といわれると夢ではない。

さて、なんとなく観ていた24時間テレビではそのほかに、一般の市民に突然「貴方にとって生きるとは?」とインタビューをしていた。
そんな中で、私の印象に残っているのは、結構みんな漠然としているし、それほど考えていない、って言うことであった。
「死ぬ時になってはじめて分かるんじゃないか~?」
とか。
私にとって生きるとはかくかくしかじかでこのようなテーマがあって・・・なんていっている人はいない。

なんとなく分かってはいるんだけど、
何で、何故生きるのか、と問うてしまうんだろう。
自分の生きる意味を見出せないと生きられないのではないか、と不安になるのは何故なんだろう。

でも、やっぱり、今の自分がどうやって生きていったらいいのか分からない。
死ぬのはやっぱり怖い。だからこそ、今のままの生活では身体に悪いのではないか、とか考えてしまう。
それなのに、死を意識していて、死ぬとなったら潔く、スマートに死にたいなんていうことを考えたりもする。
死によって得られる何かに期待さえする。

何が何だか分からない。
自分がどうしたいのか分からない。
どうしたいのかなんてはっきり分からなくたって、日々を真剣に生きることが大事と思ったりもする。
曖昧だ。
誰かが、びしっと意見を言ってくれたら楽なのに。
それが間違いであってもいいから、後で後悔するのであってもいいから。
曖昧さの中で漂っている自分が苦しい







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