さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴15年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

だから、いまを生きる!

2007年09月15日 21時57分56秒 | MM闘病記
たまたまつけたテレビで、「リレー・フォー・ライフ芦屋」の事をやっていた。9月の29・30日には東京でも行われる。(リレー・フォー・ライフ ジャパン2007東京
今回は2回目ということのようだ。
そして、番組の中で第一回に参加し、今回は参加できなかった女性の話が取り上げられていた。30代?の若い女性だ。第2回にも是非参加したかったという願いは届かず、今年亡くなられた様だった。しかし、彼女の遺志を継ぎ、仲間が今年も参加していた。
実行委員に加わり、明るく元気に参加していた彼女は、
ホスピスで亡くなったようだった。

ホスピス・・・

番組の内容とかけ離れ、
私はどういう経緯で彼女がホスピスを選択したのだろうか、と思いを馳せた。

自分の身に置き換えて考えてみた。

今の病院を離れ、
ホスピスを選択する、
その時の気持ちを想像する。
目の前に、主治医が現れ、

「もう、後はホスピスで過ごします」

そんなセリフを言う状況がリアルに浮かんだ。

涙が出てくるのは、
まだ、未練が残っているからだろうか。
生きることへの未練。
もう、いつでもいいと思っていると思っていたのに。
やっぱり、そうじゃないのかもしれないと思った。

いや、ただ、具体的な逝き方を想像したり、準備したり、そういう段階ではない、というだけのこと。
たぶん、弱っていけば自然に、より楽なほうに進もうとするだけのこと。

だから、
私にとって、今から死ぬ為にあれこれ想像して
準備する必要は、ない。

明日は、どんなおいしいものを食べようか、
とか、
旅行に行ったら、どこに行こうか、どんなお土産が有名なのか、
とか、
早く、結婚してくれる人は現れないかな~とか、
普通に考えていれば良い。

考えたり、悩んだりする事に意味はない。

それにたぶん、

ダメな時、もう時間が来れば、
自分で分るし。

だったら、いつなんだろうって、
悩む分だけ、
ムダだよね~


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