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 故郷は遠くにありて・・・忘れかけてた【遠い背景の記憶】原点回帰[201]【あゝりんどうの花咲けど】 

2023-11-10 | こころの旅

 あゝりんどうの花咲けど(昭和40年9月号P127~135)
  ※はじめて玲子を見たとき、佐千夫は吸いかけた息をとめた。濃いまつげにかこまれた
玲子のひとみに、窓外の景色が流れていた・・・・・。
 今回は、【あゝりんどうの花咲けど】 編集版 第1章(P6~P9)【1】P128~P130 の紹介です。

 その月曜日の朝、中井玲子は、若津町から香原市へと走る急行バスの中にいた。バスは満員であった。
通勤通学や商品仕入れの人たちで、足を踏みかえることもできないほど、混んでいた。
 玲子はようやくつり皮につかまって立っていた。バスの揺れるたびに左右から圧迫され、うしろから押されて
、息苦しい。
 昨夜の豪雨で、道路から見える水田には泥水があふれていた。みどりの苗が水中にかくれてしまっている
ところも、多い。山肌がくずれて赤い土があざやかな色を見せている崖もあった。
 あけがた雨はやんだのだがまだ黒い雨雲は空をおおっていた。水田の果てるところ、防風林の松の木々の
間から望まれる海も、灰色であった。
 朝のバスの混雑ぶりは、しばしば、クラスメートから聞いて知っている。そのために生じるこっけいな、あるいは
不愉快なトラブルも、よく耳にしている。あるクラスメートのアルマイトのべんとう箱がつぶれてしまっているのも、
見たことがある。
 だから、きのうのうちに若津町の叔母の家を辞して、香原市の自分の家に帰る予定だったのだ。昨夜の雨は
、はげしかった。途中の川があふれたと聞いた。病床の叔母は、見舞いにきた玲子を、帰さなかった。
 「途中万一のことがあったら、わたしがにいさんに申しわけない。泊っていきなさい」「あしたは学校よ。教科書も
ノートも持ってきてないわ」「そんな小さなことなど、どうでもいい。この雨のなかを帰したら、心配で心配で、
わたしの病気は重くなつてしまう」
 押し問答しているところへ、自宅の母から長距離電話がかかってきた。「雨がひどいから、今夜は泊めて
もらいなさい。学用品は、わたしがそろえて明朝、学校の事務室へ届けておくから」そして、玲子は叔母の家に
泊まり、この朝のバスに乗るハメになったのだ。だから、カバンは持っていない。カバンを持っていないだけ、
楽なはずであった。けれども、慣れない玲子は、乗って五分もたつと、もう肩で息をしはじめた。
 あたしの心臓には無理な混みかただ。毎朝こうして通学している人たちは、なんという強健なからだの人たち
だろう。学用品や机の上を母に触れられるのはいやだな。左右から圧迫されながら、玲子はそんなことを思って
いた。
 愛川佐千夫がそのバスに乗っていたのは、いつものとおりであった。親しい友だちはいない。ひとりで腰かけ
ていたのも、いつものとおりであった。
 若津町始発の急行バスである。何分ごろ家を出ればもっとも時間にむだがなくしかも座席をとれるかも、経験
で知っていた。四十分間、満員のバスでは、腰かけてゆくのとたってゆくのとでは、大きな相違である。
 まつすぐに背を伸ばして腰かけ、ひざの上にカバンを置き、カバンの上に読んでいる「ジャン・クリストフ」を
置いていた。玲子に気がついたのは、バスが若津町を発つて五分ぐらいたってからである。
 車内には、女子高生も多い。彼女たちはほとんどは友人どうし連れ立つていて、よくしゃべるしよく笑うし、
うるさい。けれども、男の高校生である佐千夫の正面に立つということは、めったにない。どんなに混雑しても
若い異性の正面からややずれて位置するという特技を身につけている。佐千夫が立っていた場合も、同じで
ある。
 背後から押されて、ひざが佐千夫に押しつけられそうになるのにけんめいに抵抗している制服の少女に
気づき、佐千夫は本から目を離し、顔を上げた。
 瞬間、佐千夫は吸いかけた息を止めた。ほおをうすくれないにし、身をねじるようにして混雑に耐えている
少女の顔が、思いがけなく美しかったからである。
 少女は窓外の、後方へ走り去る水田に目をやっていた。濃いまつげにかこまれたひとみの色は黒い。その
ひとみに、景色が流れていた。かたちよく通った鼻の両がわに、小さな汗の玉が浮いていた。花びらをふたつ
合わせたようなくちびるは、かすかにひらかれていた。その顔から、すぐに佐千夫は視線をはずした。顔を
伏せながら、制服とバッジで、少女が私立香原ガ丘学院の生徒であることを知った。(今まで見たことのない
顔だ)(若津町に今まで住んでいた人ではない)
 それにしても朝早くからうれしいこともあるももである。そう思った。話しかけようなどという不良めいた料簡は
さらさらないけれどもすてきなことなのだ。
 やがて、バスはつぎの停留所にとまった。立っている人の波が揺れる。降りる人は、ほとんどいない。車掌は
、あたらしい客をつめこみはじめた。背後からの圧力に、少女は耐える。それでも、ひざは佐千夫のひざを押し
、カバンの上の本を押した。佐千夫は少女のために、さらに身を引き、からだを小さくした。バスは発車した。
 佐千夫がっ少女の呼吸の乱れに気づいたのは、間もなくである。最初彼は少女の呼吸を、あけられた窓を
かすめる風の音かと思った。それにしてはおかしい。そう気づき、ふたたび顔を上げた。後方の窓や左右には、
変化はない。最後に、少女のほうを見た。少女は、つり革につかまった手に、額をのせてうつむいていた。その
顔は、みちがえるほど、青くなっていた。しかも顔ぜんたいが、汗でぬれている。ひらかれたくちびるから、白く
大きな歯が見え、あえいでいた。(いけない)佐千夫は直感した。少女は今にもつり皮からずり落ちて、くずおれ
そうになっていた。こういう場合、どうしたらよいか。佐千夫の胸は高鳴った。


 次回は、【あゝりんどうの花咲けど】 編集版 第1章(P9~P11)【2】P130~P130を紹介します。































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