それは昨年2月下旬、おかんの一言から始まった。
「久留米まで行くからあんた、私を引き取りに来てくれ」
元の話はこう。
3月下旬あたりに、1980年代前半の3年を過ごした久留米の友達から、「久しぶりにみんな集まるからあなたもいらっしゃらない?」という手紙が舞い込んだのがきっかけのようだった。
2010年の後半から、家庭内の諸事情が原因で体調を崩していたおかん。
おかんももう70.悠々自適の生活とはいえ、体調を崩してからは常に体調不良の不安と隣り合わせで、正直旅先でもどうなるかわかったものではない。
ただ、体調を崩した原因が家庭内にある以上、千葉から出て行ってよその空気を思いっきり吸ってきた方がいいに決まっている。
それを機に、久留米より前に7年間住んでいた岡山にも足を運び、昔を懐かしみたい。
それにはあんたがいてくれた方が助かるというのである。
求職中でさまざまな鬱憤がたまりにたまっていたわが身からすれば、ある意味それは願ってもないアプローチでもあった。
おかんの御守りでもあり、いわば体のいい荷物持ちでもあったw
3月下旬に1週間ほど久留米の友人宅やホテルで悠々自適に過ごすので、久留米の最後の日に迎えに来いやと、あとは岡山に一泊して、もののついでなので名古屋にも立ち寄り、名古屋市内に住む独身女性の友人宅にも転がり込みたい…というおかんの気晴らしの旅の骨格がまとまったのが3月上旬。
おかんが久留米へ旅立つ飛行機の手配は、久留米の友人が手配してくれたらしく、あとは航空券を持って旅立てばいい、あとはお前も適度にプランを立てて、この日に久留米で合流すればいいじゃない…というプランで話が進んでいく。
そうなればこちらも渡りに船。
わざわざ久留米までおかんをピックアップしに行くのに、わざわざまっすぐ久留米まで行く必要などさらさらないので、前後に自分の行程を絡ませる旅が出来れば…と考える。
最初は久留米ではなく、久留米から出て岡山で合流しようか…という話もあったので、じゃあせっかくだから、ほとんど足を記していない四国にも足跡を刻みつけておこうか。
そしてこの旅のテーマとしてもう一つ、僕自身が絡ませておきたかったものが一つ。
それが船旅。
首都圏に住んでいると、フェリーという乗り物にはとんと疎くなり、ともすれば竹芝桟橋から伊豆大島へ渡る時に使うくらいで、あとは好きこのんで浜金谷と久里浜を結ぶ東京湾フェリーを絡ませた日帰り旅行を組むくらい。
いつか北海道へ渡る時、往復のいずれかに、仙台や大洗からフェリーでアプローチしたい…というほのかな希望はいつも抱いていたのだが、それは日程の関係もあって叶わぬ夢のままであった。唯一チャンスがあったとすれば、2007年10月のファイターズ対マリーンズのプレーオフファイナルを、もし本当に見に行く気力が湧いて来ていたならば、そこで実現するチャンスはあったのだが、仕事面で休みが取れず泣く泣く諦めたこともあった。
未開の地四国とフェリーを組み合わせた旅ならば、大阪からオレンジフェリーで東予港に渡るか、神戸からジャンボフェリーで高松へ。
高松は2003年7月に行ったことがあるので、せめて松山くらいまでは行ってみたい。
ならば道後温泉と組み合わせて松山一泊、松山からは広島までこれまたフェリーで渡り、これは2002年以来となる広島で9年前の落ち穂拾いをしたい。
広島で一泊しておかんと日程を合わせれば、新幹線車内で合流することもできるだろうし、岡山駅で合流することもできるだろう。
…等々と頭の中でいろいろ思い描いていた矢先に発生した、3月11日の巨大地震。
ロッテ浦和球場で被災し、友人に三郷中央駅で助けてもらうまで20キロ以上を、千葉まで歩くつもりで意を決して歩いていたこと。
そのなかで段差に足を取られ、ひざを負傷してしまったということも。
津波が来る前に、地震で壊れてしまった多数の原子力発電所を前に襲った、首都圏の電力危機。
計画停電が実施され、電車も満足に動かず、食料品や日用品、エネルギーたる灯油ガソリンも欠配が相次ぎ、首都圏のガソリンスタンドというガソリンスタンドに、給油を求める車の長い行列ができ、それがまた物流、交通の妨げになるという悪循環。
帰宅難民から解放された直後に、それこそ大波のように押し寄せてきた信じがたい惨状を前に、崩壊してしまった自分。
本来なら同居する両親を率先して助けなければいけない立場でありながら、あっという間に瓦解してしまった情けない自分自身。
地震発生直後、「これ以上家族がバラバラになるのはごめんだ」と、3月下旬のおかんの旅を一時は反対したが、それでもおそらく久留米まで行けるチャンスはそうそうめぐってこないはずだし、首都圏も毎日のように大きな余震には見舞われているけれども、おそらく震度5強だか6だかで築40年の自宅が持ちこたえたのだから、そうそう家が壊れるほどの余震に襲われることはないだろう。
やっぱり気分よく行かせてあげたい気持ちの方が勝った。
直前まで電力供給や地震の様子を見ていたおかん、最終的には久留米へ出かけると宣言。
そして、相当やられているとみすかしたFumi氏も、「小馬おじさんもどっか気晴らしに出かけてきた方がいいんじゃない?」という助言をくれたこともあり、最終的には当初の予定通り、僕も自身の旅を絡めて久留米までおかんをピックアップしにいくことにした。
3月下旬に久留米へ旅立ち1週間滞在するおかん。
久留米を出るのが3月29日の予定というので、3月28日に久留米に入り、29日の朝に、久留米市内のホテルに宿を取っているおかんと合流すればよい。
当日はそのまま岡山へ出て一泊。翌30日はおかんは名古屋へ。僕は体力に余裕があれば名古屋で自分の時間をもらえればいいかなと思うし、疲れていればそのまま新幹線で帰ればいい。
で、その前の振りはどうするか。
船旅は絡ませたい。
絡ませたいが、日程的にどうやら四国を旅程に入れるのは困難な様子。
だったら、いっそ大阪か神戸から九州まで、船で渡ってしまえばよい。
3月26日に出発。その日一日は大阪近辺をうだうだした後、夕方発の新門司行きフェリーで九州へ。
翌27日はそのまま北九州を満喫して小倉に一泊。
28日は福岡や久留米をゆっくり回って久留米に一泊…というプランを練り上げる。
新門司へ渡るフェリーは、大阪近辺にいる時間をなるべく増やしたいという思惑もあって、選択するべきは大阪南港発の名門大洋フェリーの夜便か、或いは阪九フェリーの神戸便。
諸処お勧めを識者に問うたらば、どちらともにお勧めは阪九フェリーと出たので、狙いは阪九フェリーの神戸便。阪九フェリーは神戸便のほか、夕方発の泉大津便があるのだが、泉大津便だと大阪からやや離れているうえ、大阪近辺での滞在時間が削られてしまうのが個人的には難点。
久留米のホテルは西鉄久留米駅前のホテルを手配。おいらが子供の頃に出来た、岩田屋デパート併設の立派なシティホテルだったのだが、久留米の地盤沈下を象徴しているのか、なんとまあ一泊5000円を切る安さ。こんなの、おいらが知っているあのホテルではないのに。
岡山の一泊は、いつものようにてきとーにビジネスホテルを選ぼうとしたら、おかんの「たまにはそれなりのホテルにしなさい」の一言で、再開発後に建設された、岡山駅西口前にそびえたつ岡山全日空ホテルの「トレインビュープラン」を選択。
小倉の一泊は…東横インでいいでしょww
かくしてプランの骨格があっさり決まった。
3月26日から30日、或いは31日までの旅程。
これで少しでもおかんのお体調が回復傾向になればよいのだが…。
(以下、更新した旅行記へのリンクが貼られます。)
3/26
01 阪急サウンドでハアハアしよう(前編)
02 阪急サウンドでハアハアしよう(後編)
(03)阪神競馬場突撃記
04 馬急で仁川→大阪→神戸
05 阪九フェリーで九州上陸
3/27
06 もじもじ門司の人(前編)
07 もじもじ門司の人(後編)
(08)小倉競馬場突撃記(前編)
(09)小倉競馬場突撃記(後編)
10 北九州の夜を満喫
3/28
(11)トレインビューホテルで泊まろう@東横イン小倉駅新幹線口
(12)誰もいない福岡ヤフージャパンドームへ
3/29
(……)トレインビューホテルで泊まろう@岡山全日空ホテル
3/30
3/31
「久留米まで行くからあんた、私を引き取りに来てくれ」
元の話はこう。
3月下旬あたりに、1980年代前半の3年を過ごした久留米の友達から、「久しぶりにみんな集まるからあなたもいらっしゃらない?」という手紙が舞い込んだのがきっかけのようだった。
2010年の後半から、家庭内の諸事情が原因で体調を崩していたおかん。
おかんももう70.悠々自適の生活とはいえ、体調を崩してからは常に体調不良の不安と隣り合わせで、正直旅先でもどうなるかわかったものではない。
ただ、体調を崩した原因が家庭内にある以上、千葉から出て行ってよその空気を思いっきり吸ってきた方がいいに決まっている。
それを機に、久留米より前に7年間住んでいた岡山にも足を運び、昔を懐かしみたい。
それにはあんたがいてくれた方が助かるというのである。
求職中でさまざまな鬱憤がたまりにたまっていたわが身からすれば、ある意味それは願ってもないアプローチでもあった。
おかんの御守りでもあり、いわば体のいい荷物持ちでもあったw
3月下旬に1週間ほど久留米の友人宅やホテルで悠々自適に過ごすので、久留米の最後の日に迎えに来いやと、あとは岡山に一泊して、もののついでなので名古屋にも立ち寄り、名古屋市内に住む独身女性の友人宅にも転がり込みたい…というおかんの気晴らしの旅の骨格がまとまったのが3月上旬。
おかんが久留米へ旅立つ飛行機の手配は、久留米の友人が手配してくれたらしく、あとは航空券を持って旅立てばいい、あとはお前も適度にプランを立てて、この日に久留米で合流すればいいじゃない…というプランで話が進んでいく。
そうなればこちらも渡りに船。
わざわざ久留米までおかんをピックアップしに行くのに、わざわざまっすぐ久留米まで行く必要などさらさらないので、前後に自分の行程を絡ませる旅が出来れば…と考える。
最初は久留米ではなく、久留米から出て岡山で合流しようか…という話もあったので、じゃあせっかくだから、ほとんど足を記していない四国にも足跡を刻みつけておこうか。
そしてこの旅のテーマとしてもう一つ、僕自身が絡ませておきたかったものが一つ。
それが船旅。
首都圏に住んでいると、フェリーという乗り物にはとんと疎くなり、ともすれば竹芝桟橋から伊豆大島へ渡る時に使うくらいで、あとは好きこのんで浜金谷と久里浜を結ぶ東京湾フェリーを絡ませた日帰り旅行を組むくらい。
いつか北海道へ渡る時、往復のいずれかに、仙台や大洗からフェリーでアプローチしたい…というほのかな希望はいつも抱いていたのだが、それは日程の関係もあって叶わぬ夢のままであった。唯一チャンスがあったとすれば、2007年10月のファイターズ対マリーンズのプレーオフファイナルを、もし本当に見に行く気力が湧いて来ていたならば、そこで実現するチャンスはあったのだが、仕事面で休みが取れず泣く泣く諦めたこともあった。
未開の地四国とフェリーを組み合わせた旅ならば、大阪からオレンジフェリーで東予港に渡るか、神戸からジャンボフェリーで高松へ。
高松は2003年7月に行ったことがあるので、せめて松山くらいまでは行ってみたい。
ならば道後温泉と組み合わせて松山一泊、松山からは広島までこれまたフェリーで渡り、これは2002年以来となる広島で9年前の落ち穂拾いをしたい。
広島で一泊しておかんと日程を合わせれば、新幹線車内で合流することもできるだろうし、岡山駅で合流することもできるだろう。
…等々と頭の中でいろいろ思い描いていた矢先に発生した、3月11日の巨大地震。
ロッテ浦和球場で被災し、友人に三郷中央駅で助けてもらうまで20キロ以上を、千葉まで歩くつもりで意を決して歩いていたこと。
そのなかで段差に足を取られ、ひざを負傷してしまったということも。
津波が来る前に、地震で壊れてしまった多数の原子力発電所を前に襲った、首都圏の電力危機。
計画停電が実施され、電車も満足に動かず、食料品や日用品、エネルギーたる灯油ガソリンも欠配が相次ぎ、首都圏のガソリンスタンドというガソリンスタンドに、給油を求める車の長い行列ができ、それがまた物流、交通の妨げになるという悪循環。
帰宅難民から解放された直後に、それこそ大波のように押し寄せてきた信じがたい惨状を前に、崩壊してしまった自分。
本来なら同居する両親を率先して助けなければいけない立場でありながら、あっという間に瓦解してしまった情けない自分自身。
地震発生直後、「これ以上家族がバラバラになるのはごめんだ」と、3月下旬のおかんの旅を一時は反対したが、それでもおそらく久留米まで行けるチャンスはそうそうめぐってこないはずだし、首都圏も毎日のように大きな余震には見舞われているけれども、おそらく震度5強だか6だかで築40年の自宅が持ちこたえたのだから、そうそう家が壊れるほどの余震に襲われることはないだろう。
やっぱり気分よく行かせてあげたい気持ちの方が勝った。
直前まで電力供給や地震の様子を見ていたおかん、最終的には久留米へ出かけると宣言。
そして、相当やられているとみすかしたFumi氏も、「小馬おじさんもどっか気晴らしに出かけてきた方がいいんじゃない?」という助言をくれたこともあり、最終的には当初の予定通り、僕も自身の旅を絡めて久留米までおかんをピックアップしにいくことにした。
3月下旬に久留米へ旅立ち1週間滞在するおかん。
久留米を出るのが3月29日の予定というので、3月28日に久留米に入り、29日の朝に、久留米市内のホテルに宿を取っているおかんと合流すればよい。
当日はそのまま岡山へ出て一泊。翌30日はおかんは名古屋へ。僕は体力に余裕があれば名古屋で自分の時間をもらえればいいかなと思うし、疲れていればそのまま新幹線で帰ればいい。
で、その前の振りはどうするか。
船旅は絡ませたい。
絡ませたいが、日程的にどうやら四国を旅程に入れるのは困難な様子。
だったら、いっそ大阪か神戸から九州まで、船で渡ってしまえばよい。
3月26日に出発。その日一日は大阪近辺をうだうだした後、夕方発の新門司行きフェリーで九州へ。
翌27日はそのまま北九州を満喫して小倉に一泊。
28日は福岡や久留米をゆっくり回って久留米に一泊…というプランを練り上げる。
新門司へ渡るフェリーは、大阪近辺にいる時間をなるべく増やしたいという思惑もあって、選択するべきは大阪南港発の名門大洋フェリーの夜便か、或いは阪九フェリーの神戸便。
諸処お勧めを識者に問うたらば、どちらともにお勧めは阪九フェリーと出たので、狙いは阪九フェリーの神戸便。阪九フェリーは神戸便のほか、夕方発の泉大津便があるのだが、泉大津便だと大阪からやや離れているうえ、大阪近辺での滞在時間が削られてしまうのが個人的には難点。
久留米のホテルは西鉄久留米駅前のホテルを手配。おいらが子供の頃に出来た、岩田屋デパート併設の立派なシティホテルだったのだが、久留米の地盤沈下を象徴しているのか、なんとまあ一泊5000円を切る安さ。こんなの、おいらが知っているあのホテルではないのに。
岡山の一泊は、いつものようにてきとーにビジネスホテルを選ぼうとしたら、おかんの「たまにはそれなりのホテルにしなさい」の一言で、再開発後に建設された、岡山駅西口前にそびえたつ岡山全日空ホテルの「トレインビュープラン」を選択。
小倉の一泊は…東横インでいいでしょww
かくしてプランの骨格があっさり決まった。
3月26日から30日、或いは31日までの旅程。
これで少しでもおかんのお体調が回復傾向になればよいのだが…。
(以下、更新した旅行記へのリンクが貼られます。)
3/26
01 阪急サウンドでハアハアしよう(前編)
02 阪急サウンドでハアハアしよう(後編)
(03)阪神競馬場突撃記
04 馬急で仁川→大阪→神戸
05 阪九フェリーで九州上陸
3/27
06 もじもじ門司の人(前編)
07 もじもじ門司の人(後編)
(08)小倉競馬場突撃記(前編)
(09)小倉競馬場突撃記(後編)
10 北九州の夜を満喫
3/28
(11)トレインビューホテルで泊まろう@東横イン小倉駅新幹線口
(12)誰もいない福岡ヤフージャパンドームへ
3/29
(……)トレインビューホテルで泊まろう@岡山全日空ホテル
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