Yahoo!ニュース…新日本にJ式“サポーター集団”が誕生…日刊スポーツ
おい山田くーん、新日の座布団全部持ってって!!
またもや新日がとんちんかんなことをやらかしてるなあ…。
こういうスタイルの応援って、女子プロレス以外では受け入れられた試しがないんですが。
古くは1976年の「ジャンボ鶴田試練の10番勝負」でテリー・ファンクとやった時、場内にジャンボの母校、中央大学応援団を連れてきたはいいけれど、試合中ボカスカ鳴りまくる祭り太鼓に、客どころか、当のテリー・ファンクが「うるせーよおまいら」と試合後にキレていたのは有名な話で、それまでにも、客の中で三三七拍子を促したり、ジャンボ鶴田の親衛隊がわーわー騒いでいた程度。
だいたい、プロ野球やサッカーで、最初から外野席やゴール裏を陣取る人たちっていうのは、基本的に応援するチームがあって、そのチームを勝たせるために声を出しに来た人たちの集まりである。なにも応援の余韻に浸りたいがために、スタンドに馬鹿面をぶら下げてビジターや地方球場にまで足を運ぶわけではないのだ。
つまり何が言いたいのかというと、応援というスタンスそのものが全然違いすぎるものを同列に語るのはいかがなものかと。
そもそもプロレスにしたって、応援したいレスラーがいるから見に行く人なんてそうそういないわけで、ただ楽しみ半分でプロレスを見に来た人に応援を強制したところで、場がしらけるだけである。作られたコールにのるほど、プロレスファンはバカではない。そもそも「作られたコール」が、日本のプロレスには似合っていないのだ。
時を遡って12年前、まだプロレスに勢いがあった時代、中山競馬場のイベントで女子プロレス団体が試合を行ったのだが、実況アナウンサーが「ここで○○選手に○○コールをお願いしま~す」とコールを促して、のってきた客は一人としていなかった。当時のプロレス団体でさえも…である。今となってはもはやなにをかいわんや。
プロレスに、「作られた応援」など必要ない。
目的が違うのだから、相容れるはずがないのだ。
あんまりプロレスをなめていると、本当に潰れるぞ、新日本。
新日本にプロレス界初の「サポーター集団」が誕生する。16日の後楽園大会で太鼓などの鳴り物や紙テープを使用した応援を全面解禁することが14日、明らかになった。既に提携するJリーグ横浜のサポーターらに指導を仰ぎ、準備を進めている。安全面などを理由に84年以降、厳しく制限していた応援の規制を見直した。応援リーダーが音頭を取ってサッカーのように観客とリングを一体化することで、深刻なファン離れに歯止めをかける。
応援歌の大合唱、太鼓に合わせた選手コール、選手名入りタオルを掲げた応援…。プロレス会場の観客席が、サッカーのホームスタンドと化す。新日本が16日の後楽園大会で、約22年ぶりにファンの応援を規制緩和する。提案した企画宣伝部担当者が言う。「野球やサッカーのように、プロレスの観客も参加する楽しさがあってもいい」。
鳴り物を使った応援や、紙テープの投げ入れを解禁する。さらにサッカー日本代表や業務提携するJ1横浜のサポーターに、プロレス流の応援を依頼した。初めて観戦に来た人でも一緒に盛り上がれるよう、応援リーダーを置く。中心となる日本代表サポーターの今井田智氏(28)は「最初は太鼓でリズムを取って選手名を連呼するシンプルなものから始めたい」と話す。当日は約20人が会場に散らばり、応援をリードする。
新日本は人気絶頂だった80年代前半に、観客の応援に次々と規制を設けた。80年に場外乱闘からファンを守るという理由でリングと客席の間に鉄柵を設置。84年にはカメラマンが負傷したことから他団体では認められている紙テープの投げ入れを禁止した。応援ののぼりも厳禁。当時、度々起きたファンの暴動を規制することが狙いだったが、結果的にリングとファンの間に距離をつくってしまい、以前の熱気が薄れた。
ここ数年は観客の減少がさらに加速している。応援の規制緩和は、深刻なファン離れに歯止めをかける苦肉の策でもある。やや遅すぎた感も否めないが、サイモン・ケリー猪木社長は「今回は若手社員からの提案だった。慣例に流されない発想はこれからも大切にしたい」と支持を表明した。
新たな応援スタイルに選手も期待している。蝶野は「先日、横浜-浦和戦を観戦したけど、日本もファンが選手の気持ちを盛り上げる応援ができるようになった。プロレスでもどうなるか見てみたい」。「応援は試合前後に限定すべき」と主張する永田も「頑張りが足りないと思う選手には、ブーイングをしてもらえれば刺激になる」と前向きだ。16日の後楽園大会で、新日本の新しいプロレスが幕を開ける。【来田岳彦】
おい山田くーん、新日の座布団全部持ってって!!
またもや新日がとんちんかんなことをやらかしてるなあ…。
こういうスタイルの応援って、女子プロレス以外では受け入れられた試しがないんですが。
古くは1976年の「ジャンボ鶴田試練の10番勝負」でテリー・ファンクとやった時、場内にジャンボの母校、中央大学応援団を連れてきたはいいけれど、試合中ボカスカ鳴りまくる祭り太鼓に、客どころか、当のテリー・ファンクが「うるせーよおまいら」と試合後にキレていたのは有名な話で、それまでにも、客の中で三三七拍子を促したり、ジャンボ鶴田の親衛隊がわーわー騒いでいた程度。
だいたい、プロ野球やサッカーで、最初から外野席やゴール裏を陣取る人たちっていうのは、基本的に応援するチームがあって、そのチームを勝たせるために声を出しに来た人たちの集まりである。なにも応援の余韻に浸りたいがために、スタンドに馬鹿面をぶら下げてビジターや地方球場にまで足を運ぶわけではないのだ。
つまり何が言いたいのかというと、応援というスタンスそのものが全然違いすぎるものを同列に語るのはいかがなものかと。
そもそもプロレスにしたって、応援したいレスラーがいるから見に行く人なんてそうそういないわけで、ただ楽しみ半分でプロレスを見に来た人に応援を強制したところで、場がしらけるだけである。作られたコールにのるほど、プロレスファンはバカではない。そもそも「作られたコール」が、日本のプロレスには似合っていないのだ。
時を遡って12年前、まだプロレスに勢いがあった時代、中山競馬場のイベントで女子プロレス団体が試合を行ったのだが、実況アナウンサーが「ここで○○選手に○○コールをお願いしま~す」とコールを促して、のってきた客は一人としていなかった。当時のプロレス団体でさえも…である。今となってはもはやなにをかいわんや。
プロレスに、「作られた応援」など必要ない。
目的が違うのだから、相容れるはずがないのだ。
あんまりプロレスをなめていると、本当に潰れるぞ、新日本。
プロレスって、ワイワイ応援するものじゃないし、いまどき『勝敗の決まっていない真剣勝負』なんて思っている人なんていないでしょ?
ショーであるのが前提でありながらも、それを忘れてしまうほどの迫力を感じ、『おぉ~!』とか言い、手に汗を握りながら思わず自然発生的にコールが出てしまう興行が満足度が高いんでしょ。
理想は90年後半の全日じゃないかな(三沢・小橋vsエース・ウィリアムスとか)。
新日なら誠心会館との抗争は今見ても迫力・殺気がありました。
ハッキリ言って、こんなことやっていたらコアなファンは会場に来なくなりますね、絶対。
自然と会場が熱くなり、見ている方もヒートアップしていってコールが起きる。だから会場とファンが一体になれる。
そもそも興行の形からして違うのだから、応援スタイル自体に無理があると思うんですが、まあ「新日だから」なあ…。