
昨日、大田スタジアムから(ごにょごにょを経由して)の帰り道でのお話です。
大田スタジアムは、場所は倉庫街のど真ん中、周辺は緑地帯と倉庫街、遠く羽田空港に降り立つ飛行機が次々と高度を下げている光景の中に、首都高速湾岸線が通るという、のんびり楽しむならこの上ない光景が広がっているのだけれど、問題はアクセス。
大森駅から森34系統大田スタジアム行きが毎時2本ほど走ってはいるのだが、日中帯の運行がないのが難点で、球場を出て運河を渡り、東京モノレールにぶつかって左に曲がったところに、森28系統平和島循環のバス停があり、これならスタジアムから徒歩10分ほどで毎時3本運行されているのでこれなら待てる範囲内、それでも待つのがいやなら東京モノレール流通センター駅まで歩くしかないのかな…といったところ。
そんなアクセスに難のある大田スタジアムからとぼとぼ歩いてたどりついたのは、平和島競艇場という名の別のスタジアムw
今日はG1ダイヤモンドカップ優勝戦。
たどりついたのは午後3時前後で、優勝戦前の2個レースほどを楽しみ、2500円ほどかっぱがれてあえなくお帰り(泣)。
夜勤明けで結構疲れていて、帰りは大森駅へ出ないで、平和島から京急で羽田空港へ出てリムジンバスで帰ろうか。
護送バスで平和島駅へ出てみれば、ホームには発車間際の浦賀行き普通が800形で停車中。
おお、こりゃ運がいい。
京急800形も余命はいくばくもないという噂が流れており、乗るなら今のうちかしら。

京急蒲田では、すぐ後に羽田空港行き快特が続いているというので待っていたら…。
姿を見て思わず、あっ!!と声をあげちゃった(´・ω・`)

\(^O^)/
そう。
京成では先月末で、京成成田駅での罵声大会が伝えられたうちに46年の歴史に幕を降ろした京成3300形の仲間で、今月22日のさよなら運転で引退することが決まっている、北総7260形がやってきたのであります\(^O^)/
いやこらもうびっくりですわ。
もう会えることもないと思っていた北総7260形、いや京成3300形に、なんの前触れもなく偶然にもう一度出会えたことは、こりゃもう奇跡と言ってもいいくらい。
北総7260形は、京成3300形が北総鉄道にリースされて形式が変わったクルマなので、外装と車号板だけは北総線仕様に取り替えられているけれど、内装その他は京成3300形時代となんら変わるものではないのがまた懐かしい。
懐かしいねえ。
7268。もと京成3316。
1990年春に、クロスシート試作車として京成に颯爽と改造デビューしたときは、各駅に運転ダイヤのチラシが置かれるほどだったのだけれど、当時の混雑状況にクロスシートがマッチングせず、5年ほど走った後、今度は各種座席の試作改造に供されるように。
そうして幾年月がすぎて、今度は北総鉄道にリースされることになり、走っている姿を見ることはあっても、おそらく乗ったことはほとんどなく、リースされてから実際に乗ったのは1度あるくらいではなかったか。
もともと京成沿線に住んでいると、京成押上線でも都営浅草線でも、まず都営線方面に行くのは特急で青砥乗り換え、逆なら10分20分待って直通の快速か青砥止まりに乗って特急乗り換えだから、北総線方面行きの列車に乗ること自体がほとんどないのである。
なもんで、北総7260が動いているところを、別の列車から時折見ることはあっても、まあ乗ることはないだろうな…と思っていたのであります。
その上でのこの偶然過ぎる再会、いや一発ツモだから、いやこらあびっくりしましたわ。
懐かしいねえ。
高校時代の先輩と京成上野で偶然帰り道に会い、クロスシートだったことをいいことに、大和田行きの各駅停車だったのに延々これで八千代台までくっちゃべっていった思い出がありますですわ。
看護師になったK先輩といえば、高校時代のつながりの読者の皆様はお分かりかな。
あれはもう20年も前の話か(・・;)
お前さんにはよう揺られたなあ。

クロスシート改造の名残で、3300形なのに車内に座席から伸びるつかみ棒がない編成。
バケットシート改造の際につけられた、独特の袖仕切り。

その名残で、座席の端にひじ掛けがあるのも特徴的。

赤電先頭車同士の連結部も、あと少しで昔語りになりますな。

行き先表示幕。
塗装はひび割れていて、くすんだ印象は否めません。

急行灯も誇らしげに、おれっちはまだまだ走るよ。


銘板。
「昭和43年」と見えますかね?(・・;)

何もかも、みな懐かしい。
昔はよう世話になった。
最後まで達者で走ってくれよ。
さらば友よ。
旅立ちの刻。

大田スタジアムは、場所は倉庫街のど真ん中、周辺は緑地帯と倉庫街、遠く羽田空港に降り立つ飛行機が次々と高度を下げている光景の中に、首都高速湾岸線が通るという、のんびり楽しむならこの上ない光景が広がっているのだけれど、問題はアクセス。
大森駅から森34系統大田スタジアム行きが毎時2本ほど走ってはいるのだが、日中帯の運行がないのが難点で、球場を出て運河を渡り、東京モノレールにぶつかって左に曲がったところに、森28系統平和島循環のバス停があり、これならスタジアムから徒歩10分ほどで毎時3本運行されているのでこれなら待てる範囲内、それでも待つのがいやなら東京モノレール流通センター駅まで歩くしかないのかな…といったところ。
そんなアクセスに難のある大田スタジアムからとぼとぼ歩いてたどりついたのは、平和島競艇場という名の別のスタジアムw
今日はG1ダイヤモンドカップ優勝戦。
たどりついたのは午後3時前後で、優勝戦前の2個レースほどを楽しみ、2500円ほどかっぱがれてあえなくお帰り(泣)。
夜勤明けで結構疲れていて、帰りは大森駅へ出ないで、平和島から京急で羽田空港へ出てリムジンバスで帰ろうか。
護送バスで平和島駅へ出てみれば、ホームには発車間際の浦賀行き普通が800形で停車中。
おお、こりゃ運がいい。
京急800形も余命はいくばくもないという噂が流れており、乗るなら今のうちかしら。

京急蒲田では、すぐ後に羽田空港行き快特が続いているというので待っていたら…。
姿を見て思わず、あっ!!と声をあげちゃった(´・ω・`)

\(^O^)/
そう。
京成では先月末で、京成成田駅での罵声大会が伝えられたうちに46年の歴史に幕を降ろした京成3300形の仲間で、今月22日のさよなら運転で引退することが決まっている、北総7260形がやってきたのであります\(^O^)/
いやこらもうびっくりですわ。
もう会えることもないと思っていた北総7260形、いや京成3300形に、なんの前触れもなく偶然にもう一度出会えたことは、こりゃもう奇跡と言ってもいいくらい。
北総7260形は、京成3300形が北総鉄道にリースされて形式が変わったクルマなので、外装と車号板だけは北総線仕様に取り替えられているけれど、内装その他は京成3300形時代となんら変わるものではないのがまた懐かしい。
懐かしいねえ。
7268。もと京成3316。
1990年春に、クロスシート試作車として京成に颯爽と改造デビューしたときは、各駅に運転ダイヤのチラシが置かれるほどだったのだけれど、当時の混雑状況にクロスシートがマッチングせず、5年ほど走った後、今度は各種座席の試作改造に供されるように。
そうして幾年月がすぎて、今度は北総鉄道にリースされることになり、走っている姿を見ることはあっても、おそらく乗ったことはほとんどなく、リースされてから実際に乗ったのは1度あるくらいではなかったか。
もともと京成沿線に住んでいると、京成押上線でも都営浅草線でも、まず都営線方面に行くのは特急で青砥乗り換え、逆なら10分20分待って直通の快速か青砥止まりに乗って特急乗り換えだから、北総線方面行きの列車に乗ること自体がほとんどないのである。
なもんで、北総7260が動いているところを、別の列車から時折見ることはあっても、まあ乗ることはないだろうな…と思っていたのであります。
その上でのこの偶然過ぎる再会、いや一発ツモだから、いやこらあびっくりしましたわ。
懐かしいねえ。
高校時代の先輩と京成上野で偶然帰り道に会い、クロスシートだったことをいいことに、大和田行きの各駅停車だったのに延々これで八千代台までくっちゃべっていった思い出がありますですわ。
看護師になったK先輩といえば、高校時代のつながりの読者の皆様はお分かりかな。
あれはもう20年も前の話か(・・;)
お前さんにはよう揺られたなあ。

クロスシート改造の名残で、3300形なのに車内に座席から伸びるつかみ棒がない編成。
バケットシート改造の際につけられた、独特の袖仕切り。

その名残で、座席の端にひじ掛けがあるのも特徴的。

赤電先頭車同士の連結部も、あと少しで昔語りになりますな。

行き先表示幕。
塗装はひび割れていて、くすんだ印象は否めません。

急行灯も誇らしげに、おれっちはまだまだ走るよ。


銘板。
「昭和43年」と見えますかね?(・・;)

何もかも、みな懐かしい。
昔はよう世話になった。
最後まで達者で走ってくれよ。
さらば友よ。
旅立ちの刻。






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