Crónica de los mudos

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ラインハルト・クライスト『カストロ』

2019-04-13 | グラフィックノベル

 日本にはカストロ本(スカトロ本じゃなくて)という分野があり、どうも一定の購買層がいる模様。いわゆる左翼リベラルでキューバ革命など第三世界の動向にささやかなシンパシーを感じている高齢の年金読者層、そういう人々からお金を巻き上げるという発想に与するのは、まがりなりにも文学者として堕落だとは思いつつも、たったの千部すら売れない詩の翻訳なんかするより、カストロ本で小銭を稼いでヨーロッパ旅行のたしにしたい……と思ってこの本を買ったことは正直に告白しておきたい。

 作者は1970年生まれのドイツ人。1994年に初めてのグラフィックノベル『ラブクラフト』を刊行、これが話題になり数々の賞を受賞した。それ以来、伝記ものを中心にコンスタントに作品を発表していて、ジョニー・キャッシュ、エルヴィス、ニック・ケイヴなどミュージシャンを扱った作品も。2011年にはポーランド系ユダヤ人ボクサー、ハリー・ハフトの生涯を描いた作品『ボクサー』を出しているが、これぞまさにポーランドのボクサー。また37歳にしてスペイン語を学びキューバに渡航、その際の経験をもとに『ハバナ』というグラフィックノベルを出している(ただいま取り寄せ中)。その次に出したのが本書。

 もとはドイツ語版で、その英訳が私が読んだ本書ということになる。スペイン語訳は出ていないようだ。

 作者の分身と思しきドイツ人、カール・ケルテンスを語り部とする、ドキュメンタリータッチの構成。報道カメラマンのカールは、2010年(もっとも新しい時間)のハバナで老後を送るドイツ人だ。彼の回想から物語は始まる。革命前のキューバへ渡ったカールは、シエラマドレでゲリラ戦を展開していたカストロにインタビューを試みる。ここでフアンという元文学青年の profesor に出会い、彼から若き日のフィデルについて色々聞くという、巧みな構成。外枠の設定の仕方を見ていると、クライストは小説など現代文学を読みなれている模様だ。

 フィデルと父との確執、少年時代に目の当たりにした貧富の差、イエズス会士の高校で教師から「キューバもフランコ体制を見習うべき、この島で共産主義は無理」と諭された経験、大学での学生運動と暴力革命への接近、オルトドクソ党のエドゥアルド・チバスがラジオの生放送中に自殺したのに立ち会った経験など、なんとなく従来のカストロ本で知っていた「情報」に絵がつくとこれだけ新鮮なのですね。やはりグラフィックノベルはフィクションより伝記に向いているのかも。

 物語としても非常に充実したもので、語り手をドイツ人ジャーナリストにして、しかも彼が革命政府と対立するメディア(カルロス・フランキの『ボエミア』)に入り、彼自身は革命政府寄りになっていくという絶妙の設定。キューバ革命の裏も表も含めてすべてが凝縮されている。

 事件としてはまず革命のプロセスそのものをシエラマドレでのゲリラ戦から描く。革命成功後は各種の政策、フィデルらの米国訪問、カミロ・シエンフエゴスの失踪事件、ソ連への接近をめぐるチェとフィデルの確執、大土地所有制が消えたことで「人間になった」農民たちの存在、資本家や密告者の粛清(キューバ革命直後の処刑をめぐるイメージはいまだ米国では強固で、映画『ダークナイト・ライジング』のように今なお消費され続けている)、ピッグ(コチノス)湾事件、反革命の取り締まり、革命防衛委員会、カルロス・フランキの亡命、チェの死、教育と医療の無償化、革命後に生まれた子供たち、新しい人間、グランサフラと配給の強化、CIAエージェントの暗躍、喜劇的なフィデルの暗殺計画など、本当に上手に様々なトピックをちりばめている。歴史は私に無罪を宣告するだろう、祖国か死か、このワインは酸っぱいが我々のワインだ(byマルティ)、などなど有名なフレーズもきちんと押さえてある。

 カールはシエラマドレで知り合った元ゲリラのララと結婚するが、ハバナでの配給暮らしにララは不満で、かつてゲリラ戦を戦った仲間ではなくバティスタ寄りの会社にいた地元町民の革命防衛委員の女から監視されるのに腹を立てている。また、カールをゲリラと引き合わせた「プロフェソール」ことフアンは、度重なる反革命的行動からついに逮捕されUMAP(生産支援軍事キャンプ、通称「ホモ矯正施設」)に送られてしまう。作家でもあるフアンは同性愛者だったのだ。そしてパディージャ事件が起きる。

このページがこの作家の典型的な組み立て方。詩人パディージャの連行、尋問と自白、そして開かれた作家協会での自己批判。話せば長くなることを1ページでまとめられるのがグラフィックノベルの強みだろう。

 こういうことがあっても、フィデルとキューバが達成したことに心酔するカールは政府への信頼を揺るがせない。いっぽう、妻ララは我慢の限界に達する。そして1981年がやってくる。そう、ララとフアンは、マリエル港から去っていったキューバ人なのだ。2010年現在から過去を回想するカールにとってもっともつらい思い出が、このマリエル港での別れだった、というクライマックス。よくできた話ですよね。あとチェを英雄化していないところもいい。

 もうお分かりの方もいるだろうが、フアンはレイナルド・アレナスがモデルになっているようだ。ニューヨークで作家活動を続けたフアンの行方は知れない(アレナスは自殺している)。ララはマイアミで働き、ハバナで再婚したカールに今でもドルを送ってくるが、彼らは二度と会っていない。マレコン通りからマイアミ方面を見つめるカール。娘は観光開放路線にかじを切った新しいキューバを代表するようなドライな世代だ。彼らは革命を達成した世代を「ビエホス(老人たち)」と呼び、信頼はすれども「愛しはしない」世代なのである。

 そして最後はエピローグ、病床のフィデル。その枕元には『ドン・キホーテ』が。私は世界を変えらえれると考えたが、それは幻だった、だがたとえ生まれ変わってもまた革命を志すだろう、とフィデルが窓辺でつぶやくところで終わる。

 これはキューバを好きな人にも、この国を知らない人にも是非読んでもらいたい優れた伝記であり、優れた実録であり、非常にユニークな人生譚でもある。字はあい変わらず細かいですけど。

Reinhard Kleist, Castro. Translated from the German edition by Mechael Waaler, 2011, Self Made Hero, pp. 282.

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