Crónica de los mudos

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ボーダーカントス

2020-07-17 | 
 リチャード・ミズラック、ギジェルモ・ガリンドの『ボーダーカントス』、先日NHKのBSで特集されていたのでご存じの方もおられると思うが、実際の本も素敵である。ミズラックは米国の写真家、過去20年以上におよぶこのプロジェクトでメキシコとのボーダーに残された人間の痕跡を撮り続けてきた。ミズラックのこのいわば「作品」が前半3分の2をしめ、残りの3分の1はメキシコの前衛音楽家ガリンドによる Sonic Border / Frontera Sonora と題された楽器の写真と楽譜と彼自身の文章を収めたパート。ガリンドはボーダーに遺棄された様々な品を工作して誰も見たことがない楽器をつくり、それを用いて演奏を続けてきた。写真、音、詩、文章、これらの総合的な表現をひとつのテーマ、すなわち砂漠のかなたで息絶えた人々の記憶の断片、というものに収れんさせていく。題のカントスはパウンドの影響による。個人的宿命を集団による叙事詩的物語に昇華する。アメリカ大陸の表現者に流れるひとつの血脈がここにも見える。
 ミズラックは様々なプロジェクトを同時進行させている。
 とりわけ50代からこのプロジェクトに本腰を入れ、若いころのファッション界の華やかな写真家としての姿とは真逆の路線に移行していったという。
 50代にいくつかの仕事の柱を並行させ、それを具体的にまとめていくというのは私自身が今の自分に課しているタスクでもあるが、こういう人たちの仕事ぶりを見ていて気付くのはとにかくマメなこと、その継続性、持続力、一種のシツコサである。
 この3~4か月でいくつかのルーティンが狂ってしまい、代わりに別のルーティンがふたつほどできてしまって、おかげで新しい小説が読めずにいる。今年の終わりに「2020年のラテンアメリカ文学を振り返る」仕事とかもらっても、たぶん対応できないのではないだろうか。でも、今年でそういう継続仕事を放棄してしまえば、10年規模の作業工程がすべて無駄になる。それは少し惜しい気も。
 30代には公私ともになにか継続してきたことを断ち切るなんて平気だった。40代はそんなことを考える余裕もなくただ仕事の水に浮かんでいた。いまは自分にシツコサが欲しくなっている。本を前に眼鏡をはずすようになったのと同じく、これもまた歳相応という現象、要するに老いたのだろう。
 ちなみに『ボーダーカントス』はキャプション等の文章部はすべて英語とスペイン語が併用されている。バレリア・ルイセリ『ロスト・チルドレン・アーカイヴ(スペイン語版の題は Desierto sonoro)』と重ねて読むといっそう味わい深いと思うので、いずれ改めて紹介してみたい。

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