Crónica de los mudos

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ボーダーランズ(1)

2024-06-25 | 北中米・カリブ
パンデミックの2020年にこのアンサルドゥーアの本をゼミで読むことになって、最初は遠隔でズームも何も知らなかったからすべてを文字に起こしてお届けしていた(第二外国語スペイン語初級の授業でこれをしていたら「無理です」とのクレームが学生からきて、それで本格的にズームを導入したのだった、というよりそういうものがあるという知らせが大学から伝わりだんだんと広がっていった)。近いうちにこの作家についてお話を聞く機会があるのと、いま私自身が翻訳している英語の小説がこの本とちょっと関係しているのと、なによりも書き留めていたファイル(の入ったハード)をこのまま捨てる可能性が高い人間であることを自分自身がよく知っているので、本業とは関係ないが敢えて残しておこうと。相変わらず細かいことしか書いてなくてなんの知的深みもありませんが。ゼミ生諸君にはもう少しくだけた感じの「ですます調」で書いていて、そこだけ改めている。

 グロリア・アンサルドゥーア(Gloria Anzaldúa)は1942年に米国テキサスで生まれた作家だ。国籍上は米国文学に、言語としては英語文学に分類されるが、彼女自身がチカーナを自称していたことや、主著『ボーダーランズ』がそうであるように、英語にスペイン語を混在させる文体から、スペイン語圏の文学者のあいだでもよく知られている。
 アンサルドゥーアという名はバスク系だ。グロリアという名はスペイン語に多く、氏名がすでに彼女のヒスパニックとしてのアイデンティティを示している。写真を見るとメキシコによくいる典型的なメスティサであることがわかる。
 米国におけるメキシコ系ヒスパニック、すなわちチカーノ・チカーナの近代史については本書の1章に詳しいが、大きく分けるとだいたい3期になる。
1) 19世紀初頭まで:スペイン人入植者による開拓(白人+混血)
2) 19世紀中ごろまで:独立国家メキシコの領土(メキシコ人)
3) 19世紀後半:米国の領土に(メキシコ系)
4) 20世紀以降:米国南西部に定着し独自の文化を保持(チカーノ)
 1~2はメキシコや米国の歴史と切り離して考えることはできない。彼らの生息地は米国南西部4州。ここは19世紀中ごろまでメキシコの国土だったが、メキシコ・アメリカ戦争の結果結ばれたグアダルーペ・イダルゴ条約によって現在の国境線が決まった。メキシコ人にとっては屈辱の不平等条約だ。これ以降、この南西部4州に残された元メキシコ人たちがメキシコ系米国人としての歴史を歩みだす。
 米国のモンロー主義とは19世紀にヨーロッパによるラテンアメリカや現在の米国南西部への介入をけん制する目的で生み出された不干渉主義のイデオロギーだが、メキシコなどのラテンアメリカ諸国から見た場合、この政策が米国による覇権主義に見えてしまうことを忘れてはいけない。
 昔、パンアメリカン航空という、飛行機会社があった。米国のパンアメリカ主義という20世紀初頭の外交政策をそのまま社名にしたもので、実際、創業当時から革命前のキューバやメキシコや南米への便が豊富にあるのを売りにしていた。米国は20世紀を通してラテンアメリカ諸国を自国の裏庭(バックヤード)と考え、ビジネスの寡占や資源搾取をはじめとする様々な介入を続けてきたわけだが、そのきっかけになったのが19世紀のメキシコ・アメリカ戦争における一方的勝利であった。
 19世紀末、北西部の広大な領土を失ったメキシコは、ポルフィリオ・ディアスという大統領の実質上の独裁下、米国をはじめとする海外資本に従属する「南の貧しい国」と化してゆくが、20世紀初頭にこうした停滞を打破すべくメキシコ革命が起きる。革命は一定の秩序をメキシコ全土にもたらし、石油資源の発掘も手伝ってメキシコは準先進国の仲間入りを果たす寸前まで行くが、植民地時代から続く極端な階層社会といった根深い問題を解決できず、また自国産業の育成もじゅうぶんに果たせず、結果的に多くの貧しいメキシコ人たちがかつての領土であった米国の南西部へ移住していった。
 アンサルドゥーアが生まれたころに多かった移住者をブラセロという。これは米国南西部のコーンベルトにおける季節農労働に従事するメキシコ人を指し、一時は米国政府が主導してブラセロを大量に受け入れていた。しかし、一時滞在のはずが不法に残留する移住者が増えるなど、ブラセロの存在そのものが危険視されるようになると、今度は大々的な取り締まりが始まる。
 アンサルドゥーアは米国生まれの米国人。
 彼女は英語を母語とするが、スペイン語もある程度できる。こういういわば3世、4世のメキシコ系チカーノとしてハイブリッドなアイデンティティをもつ人々に加えて、20世紀後半になってはじめて移住してきたブラセロなどの新メキシコ系、これらが複雑に混在しているのが米国南西部の大きな特徴であった。
 話は変わるが、アンサルドゥーアが8歳の子どもだった1950年に、メキシコである重要な本が発表された。のちにノーベル文学賞を受賞することになる詩人オクタビオ・パスによる古典的メキシコ人論『孤独の迷宮』である。『孤独の迷宮』はメキシコ人のルーツともいえる征服者エルナン・コルテスとその通訳マリンチェにまで遡り、メキシコ人のメンタリティを精神分析の手法で解き明かした名著なのだが、実は、この本の冒頭には、 当時のロサンゼルスに住んでいたチカーノの話題が出てくる。パスは当時のチカーノを極めて否定的に評価している。米国人でもメキシコ人でもない「誰でもない人々」として。
 これはブラセロ計画が破綻したあとの1940年代後半の米国におけるチカーノの分析としては的外れではない。ブラセロのままカリフォルニアに留まったメキシコ人青年はろくに英語も話せず、かといってもうメキシコにも戻れず、その中途半端さからズートスーツという奇妙な服装で独自の音楽などを発信するというパフォーマンスに走っていた。
 しかしながら、当時にあっても、すでに数世代にわたるチカーノの築いてきた特殊な文化は存在している。その後については言うまでもなく、米国にはチカーノ文学という立派な文学ジャンルもある。多くのすぐれた作家が英語やスペイン語で執筆をしてきたし、映画や音楽、料理をはじめ、様々な分野でチカーノは米国文化としての市民権を得てきたと言える。
 いっぽう、アンサルドゥーアが本書で展開しているのは、パスのような「本家メキシコから見たマージナルとしてのチカーノ」に関する議論でもなければ、米国のなかで必死で存在感を築き上げてきた、いわば「立派なチカーノ」に関する議論でもない。
 アンサルドゥーアが本書で展開する議論が新鮮だったのは、ひとつの固定的なアイデンティティではなく、複数のアイデンティティを受け入れ、超領域的な生き方をする人々の文化にはじめて光を当てたことにある。アンサルドゥーアはボーダーランズに生きるチカーノを「誰でもない人々」として否定的に見るのではなく、いわば「誰にでもなり得る新しい人間」としてみようと試みている。
 私たちは生まれ持っての性別があるが、ひとが意識という時間軸のなかで架橋している資質には生物学的定義とは異なるものが混じってくる場合もある。私たちが性的マイノリティでなくとも、たとえばそうした人に接したとき、私たちは否応なくその人物のなかにある時間を超えて継続する資質に向き合わざるを得なくなるが、かつては多くの「私たち」がそういう人々の資質を否定する言辞を繰り返してきた。自らも同性愛者を公言していたアンサルドゥーアは、そのようにして社会のなかでアイデンティティを拒絶されがちな人々に寄り添い、時には戦闘的な議論にも積極的に参加するという、今日でいうところのクイア理論を我がこととして引き受けていた作家だ。
 20ページに書かれているように、アンサルドゥーアにとってのボーダンランズ(=境界地)とは米国とメキシコという地理上の広がりのみならず、英語とスペイン語という言語の境、そしてセックスやジェンダーの境をも意味している。
 一見すると難解な議論に見えるが、英語は極めて平易で、読み進めるうちにアンサルドゥーアの文体になれてくるはずだ。いまではスペイン語訳も読めるようになった。平易とはいえ、文学的な解釈を要求する箇所も多々あるので、その辺を共有しながら読み進めていくことにしよう。
(注:ここに序章の詩の翻訳ものせていた。)
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