黒いひし形
2020-06-05 | 詩

そしてそのとき私はトイレに戻った、それがなんとも妙なことにトイレどころか元の個室に、つまり前に座ったのと同じ個室に戻り、そしてその便座に再び腰かけて、要するにまたもやスカートを「まくりあげて」パンツをずりおろし、といっても、もよおしていたというわけじゃない(まさにこういう時こそお腹のなかのものが出たがるというけれど、私はそうはならなかった) 、ペドロ・ガルフィアスの本を開いて、読書をしたくはなかったけれど読み始めた、最初はゆっくり、一語一語、一行一行、でもすぐにペースが速くなって、最後は猛スピードになり、詩の一行一行がものすごいスピードで飛び去って行くのでそこになにかを読み取ることすらできなくなって、言葉が隣の言葉にくっついちゃって、そうね、自由落下式の読書っていうのかしら、いっぽうでペドロ・ガルフィアスの詩はそんな読み方にほとんど耐え切れなくなってゆき(どんな読み方にも耐え得る詩人や詩もあるけれど、大多数はダメ)、まさにその瞬間ふと廊下から音が聞こえた、ブーツの音? 軍靴の音? でも、チェー、と私は自分に言い聞かせた、それはちと出来過ぎよ、そうじゃない? 軍靴の音ですって! でも、チェー、と私は自分に言い聞かせた、いまにも冷たい空気が入ってきてベレー帽が上から襲ってくる、するとそのとき誰かの声が「了解しました軍曹」とか、なにか違うことかもしれないけれど、そんなことを言うのが聞こえてきて、その五秒後に誰かが、たぶんさっきの声の主と同じ奴がトイレのドアを開けてなかに入ってきた。
そして、なんとも哀れなことに、風が造花のあいまを下ったり流れたりするときにならす音、風と水の花が咲く音が聞こえて、ルノワールのバレリーナのように、まるで子どもを産むかのように(実際のところ、どういうわけか、なにかが産まれそうな、自分が産み出されそうな気がした)両足を(そっと)床から上げて、そのとき履いていた黄色のらくちんなモカシンシューズにひっかかったパンツがこのか細いくるぶしをまさに足かせにし、兵士が個室をひとつずつチェックするのを待つあいだ、そのときがきたら、この哀れなウルグアイ出身の、でもメキシコをなによりも愛する詩人がドアを開けさせず、メキシコ国立「自治」 大学に残された「自治」の最後の砦を死守すべく身も心もしゃきっとさせているあいだ、 要するに待っていたあいだ、ある特別な静けさがうまれたのだ、それは音楽辞典にも哲学辞典にも記載されていない、まるで時間が千々に砕けて、単なる言葉ではなく身振りや行為につながれもしない純粋な時となって、同時に四方へと流れてゆくかのような、そんな静けさがうまれて、そしてそのとき自分の姿が見えて、さらに、うっとりと鏡を見つめる兵士の姿が、つまり黒いひし形にはめ込まれるか湖に沈みこんでいる二人の人間の姿が見えて、ああなんと、心の底からぞっとしたのだ、なぜならつかのま自分が数学の法則によって守られていることがわかったから、自分が詩の法則とは相反する酷薄な大宇宙の法則によって守られていること、そして、兵士がこれから鏡をうっとりと見つめること、そして、個室という特異点にいて同じくうっとりとなった私に彼の息が聞こえてくる、彼の姿が脳裏に思い浮かぶ、その瞬間から私たち二人の特異点が死という残忍なコインの裏表になることがわかったからだ。
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Roberto Bolaño, Amuleto. 1999, Anagrama, pp.31-34.