Crónica de los mudos

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トレーンに関するメモ書き(1)

2020-11-07 | コノスール
 ゼミで「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」の現代的意義というものを考えたとき、予想通り、少数者の発信したフェイクが多くの人間の主観内で事実認定されていく現在の世界の(非常に嘆かわしい)状況が話題になった。人間の感覚がとらえたイメージが現実世界のあり方そのものに影響を及ぼす様は、実は小説の冒頭から鏡という小道具を借りて描き込まれている。
 <その鏡は、ラモス・メヒーアのガオナ通りにある別荘で、ある廊下の奥を悩ませていた。(15)>
 El espejo inquietaba el fondo de un corredor とあって動詞の inquietar が解釈しにくいのは、ふつうは目的語に人間をとる動詞が廊下の奥という「空間」を目的語にしているからだ。鏡が現実の空間を「ざわつかせている」というようなニュアンスだろうか。じわじわ現実を侵食している。揺るぎないはずの現実を不安にさせている。不安定化させている。同じ段落に
 <廊下のはるか奥から鏡が我々を見張っていた。私たちは(深夜にその種の発見は避けがたい)鏡になにか怪物的なものがあることを発見した。(15-16)>
 とあって、ここでは鏡はほとんど生き物ように語り手たちを acechar し、いっぽうの語り手たちはそんな鏡のことを monstruoso だと考える。現実世界を映し出しているに過ぎない鏡が、映している(というより人がそこに知覚する)のは実態を伴わない虚像、純粋な観念であるにもかかわらず、語り手たちを不安にさせる。この鏡はハーバート・アッシュの話のなかにも現れ、小説全体を見通すひとつの手がかりとして機能しているようだ。
 物語の発端はビオイ・カサーレスが見つけてきた怪しげな『アングロアメリカ百科事典』なる本の第26巻に見つけたウクバールという地名である。トレーンとはそのウクバールで書かれた幻想文学に現れる架空の地域(regiones imaginarias)のひとつである。あとでオルビス・テルティウスは書物であることがわかるので、この短編の題はいまのところ<謎の地名・そこで生まれた架空の地名・それらを記した書物の名>という構造になっているように思える。
 第二部は、ハーバート・アッシュという1937年にアルゼンチンで死んだ英国人が残した1001ページの英語本、すなわち『第一トレーン百科事典』の11巻を紹介するという形になっている。
 <南部鉄道の技師ハーバート・アッシュの限られた目減りする記憶のどれかは、アドロゲーのホテルで、生い茂るスイカズラや、鏡が並ぶ現実味に乏しい奥の間に居続けている。(21)>
 ここの el fondo ilusorio de los espejos も解釈しづらいところで、fondo とは冒頭の別荘と同様にホテルの「廊下の奥」を指すのだろうか。鏡という単語は espejos と複数形になっていて、訳文にはちょっと言葉を補わないといけないだろう。形容詞の ilusorio もボルヘスらしいチョイスだが、ここはこの「ホテルの奥」という空間を修飾していて、ilusorio のもつ「現実性がなくて不確定要素が強すぎる」というニュアンスが利用されているように思われる。西和中辞典の例語では una promesa ilusoria「いい加減な約束」、あるいは esperanza ilusoria「むなしい期待」など。イルソリオな奥。やはり冒頭の鏡の描写とシンクロしているように思われる。
 アッシュは語り手の父と親交があった。
 彼が残したのはトレーン百科事典の1巻。そこで語られていたのは未知の惑星(un planeta desconocido (23))トレーンの驚異に満ちた実態だった。
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