田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

大善寺玉垂宮の鬼夜

2019年01月07日 | 日々の出来事

 今日は久留米市大善寺町にある大善寺玉垂宮の追儺祭「鬼夜」神事が行われます。準備の様子を見に行って来ました。

 玉垂宮の前を流れる広川にかかる歩道橋です。車の往来が激しいので数年前に架けられました。大鳥居の向こうに惣門があります。

  本殿は楼門の向こうです。玉垂宮は大きな神社ではありませんが、古い歴史をもっています。鬼夜神事は古伝によれば1600年以上前、人々を苦しめていた桜桃沈輪(ゆすらちんりん)を玉垂命が松明を照らして探し出し、討ち取ったことが始まりだといわれます。

 鐘楼の向こうに大松明が見えています。大善寺玉垂宮は名前から分かるように神仏習合の神社でした。明治の廃仏毀釈で寺は無くなりましたが、鐘楼など当時の建物が残されて町名にもなっています。

 境内に6本の大松明が並べられていました。鬼夜の準備は大晦日からはじまります。境内には仮設の桟敷スタンドが設けられています。

  松明の頭は枯れた杉の葉です。松明は長さ13メートル、頭部の直径1メートル、重さは1.2トンにもなります。松明は氏子である各町内から出されます。

  松明は「カリマタ」と呼ばれる樫の棒で支え、持ち上げられます。

 松明の材料は竹です。芯は3本の大きな孟宗竹で、中と周りに笹竹と真竹を使います。尾は竹が抜けださないように、かずらでしっかりと結び付けられます。

 市の観光コンベンション協会のフォトギャラリーから写真を引用しました。神事は昼から始ります。神社前の川でお汐井汲みのあと、大松明に点火されるのは夜も9時を過ぎた頃です。

 大松明が燃え盛る中、赤と青の面を被った天狗の鉾面神事が行われ、やがて6本の大松明は時計回りに神殿の周りを回り始めます。最後は一番松明が惣門を潜ったあと各松明も火を消し、祭りは終わります。

 私が鬼夜を見たのはもう20年以上前になります。神社近くの氏子の家で同僚らと正月料理をご馳走になった後、9時近くになって出かけました。松明の火の粉を浴びるとその一年は無病息災でいられるそうです。

 裸の若衆も火の粉を浴びますが、その時は熱さを感じないそうです。祭りのあと家に帰り、風呂に入った時に分かると言っていました。鬼夜は国の重要無形文化財になっています。

 

 

 

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
見たいですね (tyako)
2019-01-07 20:47:47
こんばんは。
勇壮な火祭りなんですね。

写真の大松明を見ただけで、どれほどの祭りなのか想像できます。
見てみたいですね。
重さは1.2トン (tango)
2019-01-08 08:28:38
かずらで強く上手く頑丈に作られていますね
凄い祭りが続いているのですね!
国の重要文化財は地元の皆様に守られてありがたいことです(^_-)-☆
NO2 (tango)
2019-01-08 08:57:13
ネットで写真入りでアップされていますね!
勇壮な姿!!驚きます
tyako様 (九州より)
2019-01-08 10:34:36
おはようございます。
鬼夜は勇壮な火祭りで迫力があります。
天気が良かったので久し振りに見物に行こうかと思いましたが、
夜遅くなるのであきらめました。
昔から伝わる伝統行事です。
tango様 (九州より)
2019-01-08 10:39:10
おはようございます。
この祭りは、氏子である各町内の人々で守られています。
伝統行事を伝えるのは大変だと思いますが、地元の方々の誇りになっているのでしょう。
YOUTUBEでは動画も見られます。

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