goo blog サービス終了のお知らせ 

川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

最高裁の国籍法違憲判決に思う

2008-06-06 17:32:45 | 政治・社会
 最高裁判所が珍しく違憲立法審査権を発動し、二審判決を覆して子どもたちの人権の確立につながる判決を行いました。関係者の長きに亘る苦しみを思うと遅きに失した感はありますが、嬉しいことです。中日新聞の社説を紹介します。


【社説】国籍法違憲 時代読んだ画期的判決 
                  中日新聞 2008年6月5日

 「父は日本人なのに、日本国籍が取れないのは憲法違反」。そんなフィリピン人母の子の訴えを最高裁が認めた。「不合理な差別を生んでいる」との重い判決だ。国は是正に早急に乗り出すべきだ。
 原告の子どもたちは、国籍法の壁に阻まれた境遇にある。父親が日本人でも、両親が結婚しておらず、出生後に認知された子には、日本国籍を認めない。同法にそう定められているからだ。
 最高裁大法廷は、この規定を「法の下の平等」を定めた憲法一四条に反するという画期的な判断を下した。その理由として、「家族生活や親子関係の意識変化や多様化」などを挙げたうえで、婚姻を国籍取得の条件としていることは「今日では実態に適合するとはいえない」とした。子の救済へと強く導く結論だった。
 さらに「日本国籍は基本的人権の保障を受けるうえで重要な意味を持つ。差別的な取り扱いで、子のこうむる不利益は看過し難い」とも言及した。
 確かに日本国籍がないと、将来、就職にも影響が予想され、成人になって選挙権もない。在留資格のままでは、一定期間ごとに更新手続きをして、許可を得なければならない。不安定な暮らしが続くのだ。子どもの立場を考えた判決といえ、高く評価したい。
 国際化や少子高齢化という時代変化をとらえても、意義深いといえよう。厚生労働省の統計でも、国際結婚の割合は一九六五年の0・4%から、二〇〇六年の6・1%になった。外国人妻の場合、フィリピン人との婚姻が増加の一途で、〇六年には約一万二千件にのぼり、各国女性の中で最多だ。
 両親が結婚をしないで生まれた子どもは、日本人母の場合は2・1%。外国人母で10・7%と約五倍になる。原告のような、認知を受けつつ、日本国籍のない子どもは、約二万人とも推計される。いずれ成人し、出産することも考えれば、今回の判決が与える影響は、決して小さくはない。
 日本が批准した条約でも、出生による差別を禁じた趣旨の規定がある。諸外国でも広く国籍取得を認める方向にある。「憲法の番人」による「違憲判断」の重みを受け止めて、政府や国会は早期に是正に取り組んでほしい。
 少子高齢化が進めば、外国人の受け入れの課題も避けては通れないはずだ。社会の変化が激しい時代だ。外国人の国籍取得の緩和にも踏み込んで考えるときだ。 (2008.6.5 中日新聞)


 ぼくはこの社説に全面的に賛成です。日本に住む日本生まれの子には親が何国人であれ無条件に国籍を付与してもよい(生地主義)とまで考えています。国籍は市民権と不可分一体です。参政権も公務就任権も認められない人生などあってはなりません。ですから国会が一日も早く、最高裁の判決をふまえて国籍法を改正してほしいと思います。

 自民党の国籍問題PTの座長である河野太郎議員のHPを開いてみるとこうあります。

     最高裁で、国籍法の規定が違憲の判決。
     早速、国籍PTを来週開き、法改正へ。
     それにあわせて重国籍問題に関する法改正も。

 来週には自民党のproject team を開催して法改正に取り組むそうです。あわせて「重国籍問題」に取り組むとあります。二重国籍者は22歳になるまでにどちらかを選択しなければならないという規定にどんな変更を加えるつもりなのでしょう?

 ぼくはこの際、在日コリアンに届け出によって日本国籍を認める特例法の制定にも踏み切ってほしいと思います。在日コリアンの場合は子どもたちの多くはもはや4世です。「韓国」「朝鮮」という何の実態もない国籍を生まれつき貼り付けられているため、この社会で市民としての権利を認められていないのです。こんな不条理なことがあっていいでしょうか。
 ぼくは同志達と共にこの10年、このことを訴えて来ました。河野さんたちは課題として取り上げてくれましたが、いっこうに前進しません。
 在日コリアンの青年達に呼びかけます。君たちが声を挙げなければ無権利状態は解決できません。フィリッピンからきた女性達の闘いに学び、公民権獲得の声を挙げてください。

今日は昼前から晴れてきたので、自転車で川越公園の河川敷の森に行って散歩してきました。抗ガン剤治療の第3クールのお呼び出しは掛からず、この週末は家で英気を養えそうです。明日は菖蒲を見に行こうかと思っています。

「私には夢がある」 オバマさんの勝利に想う

2008-06-05 12:14:35 | 政治・社会
 オバマさんが民主党の大統領候補に決まったようです。ぼくは米国のことは何も知らないのですが、何となくよかったなーと感じています。60年代の公民権運動から40年余、アフリカ系の人が初めて大統領になるかも知れないのです。「読売」の記事を紹介します。
  

 異彩を放つ経歴のオバマ氏、最大の弱みは経験不足     
              
 「父さんは黒人で、母さんは白人。半分インドネシア人の妹もいる。世界中の人を集めたような家族なんだ」。オバマ氏は、選挙集会で自分の出自をこんな風に紹介すると、決まって次のように続けた。「だから、肌の色や先入観で人を判断することは、決してない」

 全員が白人の歴代42人の大統領と比べ、際だって異彩を放つ経歴のオバマ氏が大統領になれば、米政府が世界と自国民に向き合う姿勢は大きく変わることになりそうだ。

 「白や黒、褐色のアメリカなどない。あるのは、ひとつになったアメリカ合衆国だけ」。人種や党派を超えた融和を唱え、「分断」が代名詞となったブッシュ政治からの決別を主張する。米政治権力の基盤であるロビー団体と企業献金に背を向け、「ワシントン政治の変革」を訴える。

 コロンビア大学とハーバード大法科大学院で学んだ。イリノイ州上院議員から連邦上院議員に転身し、1期目途中で大統領に挑戦するチャンスをつかんだ。貧困も経験し、20代の時にはシカゴの黒人街で社会活動に汗を流した。変化に富んだ経歴が、高学歴の白人と、黒人層の両方から支持を受ける理由だ。

 演説の名手だが、討論にはまだ不慣れでヒラリー・クリントン上院議員にやり込められる場面もあった。政治経験不足は、最大の弱みとなりそうだ。

 11月の本選挙まで5か月。ベトナム戦争の英雄である共和党候補のジョン・マケイン上院議員との対決では、政治信条を政策として肉付けし、米大統領としての信任を国民から勝ち取れるかが課題となる。(セントポール、貞広貴志)
                   (2008年6月4日14時31分 読売新聞)

 
 この記者が書いているようにオバマ大統領が誕生すれば「米政府の世界と自国民と向き合う姿勢」が大きく変わるかどうかは解りませんが、そうあってほしいと心のどこかで応援しています。

 オバマさんは父がケニヤからやってきた人で「奴隷の子孫」ではありませんが、どうしてもキング牧師の言葉を思い出します。声に出して読んでみたいと思います。


 Rev. Martin Luther King, Jr. 1929-1968

      「私には夢がある」I Have a Dream
 
   1963年8月28日にワシントンDCのリンカーン記念公園で行われた
   「ワシントン大行進」でのスピーチ


私は同胞達に伝えたい。今日の、そして明日の困難に直面してはいても、私にはなお夢がある。それはアメリカン・ドリームに深く根ざした夢なのだ。つまり将来、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等である」というこの国の信条を真実にする日が来るという夢なのだ。私には夢がある。ジョージアの赤色の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷を所有した者の子孫が同胞として同じテーブルにつく日が来るという夢が。
 私には夢がある。今、差別と抑圧の熱がうずまくミシシッピー州でさえ、自由と正義のオアシスに生まれ変わり得る日が来るという夢が。私には夢がある。私の四人の小さい子ども達が、肌の色ではなく内なる人格で評価される国に住める日がいつか来るという夢が。

 私には今夢がある!

人種差別主義者や州知事が連邦政府の干渉排除主義を唱え、連邦法の実施を拒否しているアラバマ州にさえ、将来いつか、幼い黒人の子ども達が幼い白人の子ども達と手に手を取って兄弟姉妹となり得る日が来る夢が。

 私には今夢がある!

いつの日にかすべての谷は隆起し、丘や山は低地となる。荒地は平らになり、歪んだ地もまっすぐになる日が来ると。「そして神の栄光が現れ、すべての人々が共にその栄光を見るだろう。」

 これが私達の希望なのだ。この信仰をもって私は南部へ戻って行く。この信仰をもってこそ絶望の山からも希望の石を切り出すことが出来るのだ。この信仰をもってこそ私達は祖国にうずまく不協和音を人類愛のすばらしい交響曲に昇華することが出来るのだ。この信仰をもってこそ、自由がいつか来るのだということを信じながら、私達は共に働き、共に祈り、共に苦しみ、共に投獄され、共に自由のために立ちあがることが出来るのだ。そしてその日が来れば、その日が来れば神の民はみなおしなべて、新しい意味をこめて歌えるのだ。「我が祖国よ、美しい自由の国をたたえ私は歌う。父が骨を埋めた国、開拓者の誇りとする国。すべての山々から、自由よ鳴り響け」と。真にアメリカが偉大な国となるためには、これが実現しなければならない。

 ニューハンプシャーの山々の偉大ないただきから自由の鐘を鳴らそう。ニューヨークの悠々しき山々からも、ペンシルヴァニアにそそり立つアレゲニーの山からも、自由の鐘を鳴らそう。雪を頂くコロラドのロッキー山脈からも、カリフォルニアのなだらかな山々からも、自由を鳴り響かせるのだ。それだけではない。ジョージアのストーンマウンテンからも、テネシーのルックアウトマウンテンからも、ミシシッピーのすべての丘やほんの小さな塚からも、「すべての山々から、自由の鐘を鳴らす」のだ。

 そうすれば、私達が自由を鳴り響かせば、すべての村、すべての集落から、すべての州、すべての町から、自由の鐘を鳴らせば、すべての神の民が、黒人も白人も、ユダヤ人も、非ユダヤ人も、プロテスタントもカトリックも、すべての人々が手に手を取ってあの古い黒人霊歌を共に歌える日がより早くやって来るのだ。「やっと、やっと自由になれた。全能の神に感謝しよう。やっと自由になれたことを」と歌える日が。

    出典 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/2431/mlk.html
 

 

 キング牧師の肉声を聞きながら全文を読むには
http://longtailworld.blogspot.com/2006/02/i-have-dream-speech.html

大崎さんからの挨拶状

2008-06-04 11:25:18 | ふるさと 土佐・室戸
 30日に封書が届きました。差出人が大崎博澄とあり、びっくりするやら嬉しいやら。高知県の教育長を長く勤められ、3月末に退職されたかたです。
 退職の挨拶状ですが末尾に「三月には思いがけない温かいお便りをありがとうございました。これからも、子どもたちの健やかな成長を願って活動を続けます。お見守りください。」とあります。
 大崎さんのことは昨年夏、高知県教委のHPで知り、「川越だより」でも紹介させて貰いました。

 「自分を語る勇気」     
 http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/e4c751aca26a56fc7880d761d805ef91

 「大崎博澄さん」 
http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20080325

 こんな教育長の下で仕事が出来たら教師冥利に尽きるだろうと思いました。退職と知り、未知のかたですが、県庁宛感謝のハガキを投函したのです。このはがきを読んで、返事(?)をくれたのです。予期しないことでびっくりしました。
 
 挨拶状の後半部分を紹介します。
 
 これからは少し肩の重荷を減らして、第二の人生に旅立ちたいと思っています。
 家庭の事情でしばらくは家計を助ける労働をつづけますが、
  
 障がい者の皆さんの働く場を作るNPO法人「希望の空へ」の建設のお手伝い
 悩みを抱えた子どもたちや保護者、教職員の皆さんを支え、励ます市民のネット ワーク「たんぽぽ教育相談所」の設立

 また、自分のためには、荒れ果てた山の畑の整備、ぼくの体力に見合う山歩きや 自然観察の再開、決定版の詩集一冊、エッセイ集一冊、自分史一冊の執筆と出版
 
などをぼつぼつやろうと思っています。
 これからも変わらぬご厚情をいただければ幸いです。
 街で見かけましたらお声をかけさせてくださいね。もう歳ですので、気がつかなかったらかけてくださいね。

 
 こんなメッセージを貰ったら旧知の人なら誰でも「大崎さーん」と声をかけたくなるでしょう。ぼくのようにお会いしたことのない人間でも高知に帰ったらおたずねしてもいいのかなと思ってしまいます。
 山の村の厳しい階層秩序の中で育ち、世の冷たさを体験しながら、人間に対する熱いまなざしをみずから獲得してきた人です。自分史一冊、いつか是非、読ませていただきたいものです。

「U2とアフリカ アフリカに注がれるボノのまなざし」

2008-06-03 20:37:53 | 父・家族・自分
5月31日(土) 雨の中、横浜の関内ホールというところを訪ね、娘の発表「U2とアフリカ アフリカに注がれるボノのまなざし」を観る。80年代のエチオピアでのある少年との出会いをきっかけにして、人類の構造的な犯罪というべき飢餓やエイズの克服という課題に向き合い続けてきたボノの歩みを淡々と紹介する。熱烈なファンが一定の距離を置いて説明しているのだが、この人への尊敬と愛情がにじみ出ている。
 ぼくは我が娘が何故、長きに渡ってボノの追っかけをやっているのか、少し解ったように思う。「ボノという人は人間が大きいなあ」。「こういう人に惚れてしまったら、大変だなあ。」
 アイルランドを旅したり、ファンクラブ(?)を運営したりの他にどういうことをやっているかよくは知らないけれど、娘がこの人に注ぐエネルギーは並大抵ではない。体質的なものかとあきらめていたダイエットがみるみる進行したのには驚いた。「恋い焦がれる」というが、凄い力だ。
 ぼくは80年代の後半から「we are the world の心」という授業をしてきた。80年代のエチオピアの飢餓救援に立ち上がったアフリカ系アメリカ人歌手達のレコード「we are the world」の制作過程のドキュメントVTRを観たり、歌詞の意味を考えたりした上で、意見交流をした。知らんぷりを続けることは「心の死」を招くというビック歌手達のメッセージは生徒だけではなく、ぼくの心をも揺さぶりアフリカへの関心を持たせた。しかし、授業で紹介し続けたほかにはなにをしたわけでもない。
 ボノという人は音楽活動を通して世界のひとびとにメッセージを届けるだけでなく、その影響力を活用して有力な権力者をも動かしている。それには様々な批判もあるというが、その持続する志と行動力にぼくは敬服する。
 その志の源泉に迫ろうとする試みが今回の発表だった訳だが、近くその内容がHPで観られるらしい。
 酔月亭 http://blogs.yahoo.co.jp/suigetz_tei/archive/2008/6/1

 6月1日(日) 前日夕刻、伊豆高原の保養所着。この日は快晴になったので、海辺の散歩道を歩く。大島のよく見える、「ばったり」という断崖の上で昼食。大島の面々を思い起こす。早めに帰って休養。

 2日(月) レンタカーで下田へ。紫陽花の2分咲きという下田城あとを歩く。雨になったので伊豆高原の旧知の画廊兼喫茶店による。

 3日(火)小田急ロマンスカーの展望車にのって、3時過ぎには帰越。
千葉に住む美緒子さんから宅急便が届く。あけてみると家庭菜園で作ったさまざまな野菜たち。今年はニンニクのできがよいという。思いがけないプレゼントに感謝。美緒子さんは「頼もしい歩み」で紹介した池袋商業高校卒業生の一人です。都心で成育したひとです。 
 
  http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20080415