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川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

「私は家であいさつをしません」

2008-04-09 18:04:34 | こどもたち 学校 教育
 日曜日にSさんが僕の様子を見に川越に来てくれました。駅前のお好み焼き店とケーキ屋さんをはしごして語り合いました。Sさんのお孫さんが山村留学をしているという話から、僕が教育のあり方について論じてしまいました。Sさんは有力な政治家に知人も居られるのです。

 たとえばこんな生徒がいます。僕が抗ガン剤治療あけに学校に復帰した06年5月の最初の授業のあとMさんが自分のノートに書いた文章です。
 
 私は感想を書くのが苦手なので、大変そうだなあと思いました。自分の意見をうまくまとめることができません。感想やなにかをまとめる時はいつも途中であきらめてしまいます。この授業を通じて少しでも自分の意見をまとめられるようにしたいです。
 私は家であいさつをしません。ほとんどしゃべりません。私の家は母子家庭で、母は夜はスナックで働いています。なので、一人でいることが多く、あまりしゃべりません。小学校4年生くらいの時に、「ただいま」とか、「行って来ます」とか、あいさつをいうのをやめました。(誰もいないから意味ないので)
 声を出してあいさつをするというのはとても大切なことだと思います。あいさつをするように心がけたいと思います。


 小学校の時代から、「ただいま」といっても「おやすみなさい」といっても答えのないひとりぼっちの夜の日々です。僕にはこのこどもの心を想像することさえできません。尾崎豊を授業のテーマにしたとき、Mさんはこう書いています。

 尾崎豊の歌詞の「自分の存在が何なのかさえ解らず震えていた」という部分で、私は昔、よく夜、家で一人でいるとボォーッとして、上も下も、どこに地に足をつけているのかわからなくなって、死にそうになってたりしてました。
 尾崎豊の歌は思春期の不安定な気持ちを歌っていて共感できました。自分と尾崎豊とではなにもかも違うのに不思議です。尾崎豊はもう何年も前に亡くなっているのに、歌を通して尾崎豊のメッセージが伝わってきました。
  
 よくも頑張って、高校生になったものです。授業の初めに僕は「おはよう」とか「こんにちは」といいます。山吹高校の生徒はあいさつを返してくれる人が少ないのです。僕の提案にMさんが応えようとしてくれたことは本当に嬉しいことです。挨拶からはじまって少しずつでも自己を表現する意欲と力を獲得していってほしいものです。
 Mさんは例外的な存在でしょうか。事情は違ってもありのままの自分を表現することができなくて苦しんでいる高校生が多いように思います。教育に責任を持つ人たちが今しなければならないのは、いまを生きようとする子どもたちの苦しみの根源を明らかにし、解決の道を提示することです。僕は先人達が児童憲章というものを制定し、「児童はよい環境の中で育てられる」とあったのを思い出します。いま、家庭も地域も崩壊し、自然からの隔離も進んでいます。「環境」の再構築なしに教育の再生はできないと思われます。Sさんのお孫さんがみずから選んだという「山村留学」は大切なヒントを与えてくれます。