goo blog サービス終了のお知らせ 

川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

[戦争の責任は名もない一般の人たちにもある]

2009-01-11 06:58:17 | こどもたち 学校 教育
「戦争の責任」にかかわるアンネの考えに対してこれを読んでくださった皆さんからの意見は残念ながら届いていません。
 「川越だより」を覗いてくださる方は一日に百数十人はおられます。短い感想でも結構です。よせてくだされば張り合いがあります。
 
 かつてぼくの生徒だった人たちの意見を紹介します。受講者にはプリントして配布し意見交換の資料としたものの一部です。

 Aくん 
 北朝鮮や昔の日本のように国民に全く政治・外交に関して何も出来ない状況の国、時代もあるので、一般の人たちにも責任があるというのはどうかと思います。たとえばヒトラーのように社会情勢を利用し、国民の関心をユダヤ人迫害・世界大戦へ向けていったのだって、仕方がないと思います。個人個人で固い意識を持ち、他人や世間に流されない、というのは発達した脳を持つ人間にとって大変に難しいことだと思うからです。
 自分の意見としては 全人類が心を入れ替えるのではなく、すべての人が戦争に対しての知識を持ち、過去の反省を学び、国家を戦争をしないようなつくりにしていき、絶対、国民の手により政治をしていけば、戦争がなくなるような気がします。

 Bさん
 70%は共感出来ました。でも納得できないこともあります。
 戦争の責任はもちろん私たち一般人にもあると思うし、自分たちでも政治家が下す結果をただ待つだけではなく何か行動を起こすべきだと思う。でも、政治家と私たちとの責任の重さは違うと思う。上の人たちにはそれなりの責任と、国の代表という立場での正しい結論を出す「義務」がある。
 人間にはもともと破壊本能や殺戮本能があるということにも反論はしません。私にはすべての人間にあてはまる本質なんてものは難しくてわからないので。しかし、人間には死への恐怖というものがたいていの人にあるだろうし、自分が死ぬかもという考え以上に殺戮本能などというものは強いものだとは思いません。ただ一つ、私が思うのは、戦争はこどもを除く全てのひとびとと世界の政治家の責任で、戦争に正しいものはないということです。


 Cさん
 私も、戦争の責任が政治家たちだけにあるとは思わない。しかし、アンネは一般の人たちがどのようにかかわっていると考えたのか。
 戦争を正当化するような政治家を選んでしまったこと?
 戦争を事前に止めるような動きがたりなかったこと?
 戦争が始まってしまったら助長するような人のこと?

どれも考えられる。確かに、武器をつくっているのは一般の人たちだし、戦場で実際戦う兵士も元は一般の人であった。これらの人たちが一斉に動きを止めれば戦争はおわるのだろうか。やはり、アンネの言うとおり、世界中の人たちが戦争の無意味さを理解し、気づかなければ戦争を地球上から消すことなど出来ないのだろうか。


 Dさん
 確かに全ての人に責任があるのだろうと思います。ですが、誰もが戦争をしたくて仕方がなかったわけではありません。でも、心の中で反対と思っていたり、安全な場所で戦争反対と叫んでいるだけでは何にもならないのです。しかし、目に見えた行動をすれば命が危険になります。そんなとき、いったいどうすればいいのでしょうか?
 安全な立場に逃げ込み、騒動が収まるのをまてばいいのか、それとも、戦争に反対し、政府に反対し、殺されればいいのか?
 私はある本で、「誇りは命より重い」という文を読んだことがあります。これは犬死にしろ、ということではありません。全ての人が命よりも誇りを尊重するようになれば、戦争は無くなるかも知れません。戦争に反対する人の方が、賛成する人よりも多いはずなのに、戦争がなくならないのはどうしてか。それは全てに人に保身の心があるからではないかと思います。戦争に賛成していなくとも、命に危険が及ぶとなると、強い側に廻ってしまうという人間の行動にこそ、原因があるのではないでしょうか。(略)
 しかし、自分の意見を言えば殺されるとわかっていて、それでも誇りを守るというのは並大抵の勇気でできるものではありません。たとえば、私には、そんなこと出来るだろうか?自分から痛い目に向かっていくようなことが?せめて闘っているのは自分だけではないという救いがほしくなります。
 しかし、誇りをなくしていく痛みのほうが、命をなくす痛みよりも大きいのかも知れません。実際に痛んだりはしませんが、心の中の明かりが一つずつ消えていくような、そんな悲しいものかもしれないと私は思います。(略)


 Eさん
 私もアンネが語るように、破壊本能とまでは言いませんが、相手を支配したい、うち負かしたい、誰よりも優位に立ちたいという気持ちを人間は誰でも少なからず、持っていると思います。同時に、誰かに頼って生きたい、状況に流されていたいという気持ちも、人間にはあると思います。どちらも人間として当たり前なような気がします。でも、だから仕方がないじゃないかと思うことは次の戦争を生むことになると思います。
 自分の弱さに目を向けて生きることは、もしかしたら、、自分を守ることと、人を守ることにつながるのではないでしょうか。
 

一歩を踏み出す

2008-12-09 12:56:19 | こどもたち 学校 教育
 8日(月)
 Aさんが訪ねてくれるというので早めに水くみと温泉に行きました。ふるさとの湯で久しぶりに読んだ『朝日新聞』に石牟礼道子さんの対談記事が出ています。水俣を訪ねるというので『熊日』に連載されている石牟礼さんの「私を語る」を毎日読んでいます。
http://kumanichi.com/feature/kataru/ishimure/20081208001.shtml

 朝日の記事は短いけれどぼくが川本さんたち水俣病患者さんたちの中に見た「やさしさ」の秘密にふれているように思いました。不知火海周辺の人々が身につけていた自然観・人間観に根ざすもののようです。『朝日』がお手元にある方はごらんになってください。

 『苦海浄土』以来の石牟礼さんの仕事に対する真摯な批評があることを知りました。

 

  早すぎた傑作ルポタージュ, 2006/11/24
              By なつ

 今年は水俣病の「公式確認」50年ということで、雑誌やテレビなどで幾つかの特集がやっていた。それらの特集で「現在の課題」として語られていたのが、「患者は補償金では救われない、社会参加と福祉をもっと考えていかねば」ということだった。私はそれを見て当惑してしまった。正直、「今さらそんなことが課題なの?」と途方に暮れてしまった。

なぜなら、「患者は補償金では救われない、社会参加と福祉をもっと考えていかねば」なんてことは、患者たちと著者が「下下戦記」(初出1980年)で既に繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し主張していたことだったからだ。

「下下戦記」は”異色”の水俣病ルポタージュとされている。その異色さは、「患者たちの生活を赤裸裸」に描いた点にあるとしばしば表現される。しかし私が表現するならば、「下下戦記」は患者たちを「聖なるもの」として描かず「俗なるもの(=わたしたちと余り変わらないもの)」として描いたという点にその”異色”さがある。そして、「俗なるもの」として描いた故に「患者は保証金では救われない、社会参加と福祉をもっと考えていかねば」という「当事者の叫び」が聴こえてくるのだ。

患者たちを「聖なるもの」として描かず「俗なるもの(=わたしたちと余り変わらないもの)」として描いたこの「下下戦記」のスタンスは、水俣病の必読文献として頻繁に挙げられる「苦海浄土」のスタンスとは正反対と言えるかもしれない。私は「苦海浄土」は水俣病を「文学化」することには成功していると思うけれども、患者たちを「聖なるもの」とみなすことにより「当事者の声」を美化し封じ込めた罪もまたあると思っている。

「下下戦記」は「水俣病患者の性」についても語られているためか、水俣病の必読文献として挙げられることは余りない。それは「性」を語ることがタブーであった1980-90年代では無理もないことだったかもしれないが、(例えば「障害者の性」の問題がタブーではなく実は本質的な問題であることが認識されつつある)2006年の現在であるならば、「下下戦記」ももっと”まっとう”に評価されうると思うし、評価されてしかるべきだと思う。是非一読をおすすめしたい。

 出典 http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8B%E4%B8%8B%E6%88%A6%E8%A8%98-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%90%89%E7%94%B0-%E5%8F%B8/dp/4167341026


 Aさんは約束の時間よりだいぶ遅れて到着しました。高校を卒業してもう2年になろうとしていますが10月まで長く「とじこもり」になっていました。先に一度訪ねたことがあり、家族もみんな知っているといっても緊張して体がなかなか動かないのです。
 我が家の娘もこの日は休みで4人で夕食会です。あちこちの友人たちが届けてくれた食材で妻が心づくしの料理をつくってくれました。小学生の時に父を喪い、母は台湾で入院中のAさんには長い間、家族の団らんはありません。こうして何人かで食卓を囲むのも久しぶりです。
 この間の厳しかった生活の様子が語られ、様々な不安にとりつかれていることがわかります。娘は北海道の大学を中退して川越に帰ってきてから今の仕事に就くまでのかなり長期にわたって「とじこもり」を体験しています。現状からどうやって一歩を踏み出すか、二人の交流は遅くまで続きました。妻とぼくは聞き役です。ときどき質問したり、うなずいたり。
 小学校でいじめに遭い、不登校になって以来、Aさんのこども時代・青春期は苦難の連続です。独り身の叔父さんが住まいを使わせてくれている僥倖はありますが天涯孤独といっても過言ではありません。高校時代にぼくの授業を受けた縁で今こうして交流しているのですが、「よくもしっかり生きてきたものだ」と思わないわけには行きません。
 日本に生まれて21年になるのに『定住者』という在留資格を3年ごとに更新しなければなりません。様々な事情からパスポートを取得することが出来ず、病の重いお母さんの見舞いにもいけません。今は何とか健康を回復して日々元気に働けるようにするのが課題です。
 ぼくにできることは在留資格の安定の道を調査研究することなど限られていますが家族3人がそれぞれの方法でAさんを応援したいと思っています。川越は近いとはいえませんが気が向いたら気楽に訪ねてくれるように願っています。
 昼寝して備えたつもりだったのに10時を過ぎるとぼくはリタイアー。娘が駅まで見送ったのは11時を廻っていたそうです。

暴力事件と退学処分(下)

2008-12-07 07:19:26 | こどもたち 学校 教育
 前回、ぼくが教員生活の中で体験した二つの退学処分について報告しました。いずれの場合も職員会議が決定した処分を校長(教頭)が拒否し、結果として生徒は自宅謹慎指導を受けたのち、卒業することが出来ました。
 これらの事件を通してぼくはこどもたちの生み出す「暴力」の土壌・生活土台について考えるようになりました。「学力」を金科玉条とする学校のあり方や地域や家庭の諸問題の解決を抜きにこどもの成育を考えることは出来ません。
 また、学校に親を呼びつけるのではなく、自ら家庭訪問をして生徒の生活の場で成育の歴史を知り、言い分を聞くことの大切さを学んだように思います。
 こんな事は当たり前といえば当たり前のことです。しかし、ぼくがそれまで受けてきた教育の中では身に付いていない流儀でした。人にはそれぞれのっぴきならない事情というものがあるのです。それを無視して「教育」が成り立つはずはありません。

 退学処分はその子の事情と向き合うことを拒絶する事を意味します。教師としての仕事を自ら放棄することです。池商などのように後期中等教育の差別的秩序(偏差値輪切り体制)の底辺に位置づけられた学校に学ぶ子にとっては「死刑」を意味するかも知れません。どこにも行くところがないのですから。

 学校の最高責任者が「退学処分だけはしない」という決意を以て学校を運営していくことは絶対に重要なことです。
 
 坊城校長の拒否権発動以来、池商では退学処分はなかったと思います。喫煙などで短い自宅謹慎処分をする場合でも担任団や生徒部の教員が家庭訪問をするのがならいとなっていました。
 78年入学のNくんをぼくは3年間担任しました。暴走族の頭をやっていて、「悪魔」というあだ名が付いていたといいます。学校でも何回か事件を引き起こしました。しかし、退学という「解決」は絶対にしないというぼくの決意に担任団も協力してくれたようにおもいます。
 家庭訪問でNくんの家を訪ねると、まだ一年生の一学期だというのにあちこちの学校を退学になった子どもたちが遊びに来ていました。「Nはいいなあ」と口々にいいました。この子たちは自分のことを心から心配してくれる教師と出会わなかったのです。さびしいこどもたちです。

 Kさんは卒業後人生の節目節目にOさんに世話になったといいます。池商の先輩同僚が忘れずにサポートしてきたのです。職員会議の「退学処分」が発効していればこのような関係は生まれなかったと思われます。
 Nくんは今ある中堅企業の経営者です。なぜ、「悪魔」といわれるようになったのか?ぼくはまだ本人の口からきいていません。今ならいつでも何でも話します、といわれています。近くそんな機会をつくりたいと思っているところです。

 念のためにいっておきます。Nくんから何らかの「被害」を受けたかも知れない同級生から卒業後もぼくが批判を受けたことはありません。「先生はぼくを大事にするのと同じようにNを大事にした」といってくれる卒業生がいます。ぼくの気持ちとしてはその通りです。しかし、卒業以来27年が経っても両君が話をする場面を見たことはありません。そんな日が来るといいなあと思っています。

 日本橋高校の再入学拒否事件にかかわって昔のことを書きました。ぼくは最近の学校の事情に疎くなりました。この高校の管理職が二人の生徒をなぜかくも毛嫌いするのか「自主退学」処分にした事情を先ず知りたいと思います。
  

  暴力事件と退学処分(上)

2008-12-05 11:34:29 | こどもたち 学校 教育
 10月の還暦祭で会った善一くんが高校の卒業文集『ふぇろう』(1967年3月10日刊)に書いた文章です。

  三年間の想い出

 一年生 帽子をかぶって真面目に入学
 入ったとたんに殴られて 鼻の下が長くなり
 目尻が少し傾いて 頭に来たので 三日間
 学校さぼったら 先生になんで休んだと叱られて
 学校来るのがいやになり ときどき授業をさぼったら
 テストが出来なく 赤丸を四つも貰って悔しいと
 今度こそは頑張ると 心に誓っているうちに
 
 どうやら二年になったので
 一生懸命勉強し 欠点二つに減少し
 これはいいぞと調子に乗って たばこを吸って見つかって
 三日間の休日を 強制的につくられて
 頭に来たので 一年を殴って 停学二回目に
 学校来るのがいやになり 毎日授業をさぼったら 欠点七つに増強し
 これでは大学に入れないと 思ったときは二年も終わりに近づいた

 そのうち三年に進級したけれど 授業が何もわからない 
 だんだん学校来るのがいやになり ときどきさぼっているうちに
 休んだ数が五十日
 そのうち俺にも彼女が出来て 彼女に会うのが楽しみで
 毎日真面目に勉強し 欠点一つに減ったので
 これで大学受かると思い 真面目に勉強したけれど
 あまりに夢が大きすぎ 夢も希望もなくなった
 
 そのうち彼女にも逃げられた
 ぼくはこの時 
 
  女は本当に薄情だなー と思ったよ。

 君たちも女には気をつけた方がいいよ
 あとでどんな目にあうか わからないからね

 何事にも真面目にやることだよ

 『なにごとにも全力をつくせ』 ヨシカズ


 「農林科ブルース」とでも名付けたくなる18歳の青年の心象風景が浮かび上がってくる名文です。
 学校の構造的な矛盾のただ中に置かれ、うっぷんを下級生に対する暴力で晴らす高校生の日常生活があったことがわかります。

 善一くんの一年下の学年の生徒(多分、新卒着任の年)が引き起こした暴力事件を廻って連日職員会議がありました。
 「この生徒さえ居なければ何とかなる」。信頼する同僚がそういいます。当該学年の担任です。暴力を容認する土壌を何とかして断ちたかったのでしょう。ぼくもそうかと思って退学処分に賛成しました。しかし職員会議が決めた退学処分は校長・教頭の手で握りつぶされ実行に移されることはありません。僕たちはそれに抗議して職員会議に出ない日々が続きました。
 この学校の実力者である弘教頭がなぜ退学処分を執行しなかったのか、ちゃんとした説明はなかったのではないかと思います。しかし、後になって、ぼくは生徒の退学処分を支持した自分の誤りを心に深く刻むことになります。

 池袋商業高校に移った2年目の連休明けの頃、自宅研修しているぼくに呼び出しの電報がありました。川越の借家には電話がなかったのです。3年生同志(女子)の暴力事件があり、臨時職員会議はあっという間にKさんの退学処分を決めてしまいました。
 何かの事情でKさんのHR担任もいません。ぼくはKさんたちの授業をもったばかりです。担当する450人の一人です。この人について何も知りません。慎重審議を主張して処分の決定に反対しました。が多勢に無勢でした。
 事件の概要の説明を受けるとぼくにとっても初めて聞く衝撃的な暴力です。許せないと思うのは当然です。しかし、いきなり「退学!」は納得できません。
 坊城俊民校長が退学処分の決定を撤回し再審議するよう繰り返し職員に呼びかけました。苦悩のうちにも校長としての強い決意があったと思います。
 ぼくは同僚のYさんを誘って(多分)、Kさんなど事件にかかわった生徒の家庭訪問をしました。生徒部の一員でしたが非公式な行動です。それぞれの生徒の成育の歴史が少しずつわかってきます。被害者のIさんのお母さんは自分の娘にも反省すべき点が多いのだから退学処分は困ると主張されます。
 ある家庭で「校長先生が来てくれました」と聞きました。校長も孤独な家庭訪問をしていたのです。
 坊城校長の再三の要請に応える形で職員会議で再審議が行われました。Kさんは自宅謹慎(無期)となりましたがその後みんなと一緒に卒業しました。
  
 去年の11月にKさんに会いました。36年ぶりです。川越だよりに短く報告しました。今はYさんです。(つづく)

http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/m/200711
 

日本橋高校の入学拒否事件

2008-12-02 07:23:08 | こどもたち 学校 教育
 【川越だより】のアクセス


  過去1週間の閲覧数・訪問者数(日別)


 日付       閲覧数   訪問者数
2008.12.01(月) 351 PV    148 IP
2008.11.30(日) 350 PV    143 IP -
2008.11.29(土) 464 PV    118 IP -
2008.11.28(金) 496 PV    124 IP -
2008.11.27(木) 380 PV    130 IP -
2008.11.26(水) 269 PV    100 IP -
2008.11.25(火) 476 PV    131 IP -

  過去3週間の閲覧数・訪問者数(週別)
  

 日付             閲覧数      訪問者数
2008.11.23 ~ 2008.11.29   2697 PV     853 IP -
2008.11.16 ~ 2008.11.22   2638 PV     942 IP -
2008.11.09 ~ 2008.11.15   2206 PV     773 IP -



 都立高校の現場で働く友人から日本橋高校事件についてメールで意見を聞かれました。この友人は職場は違いますが入試データ改竄の「犯人」とされている副校長の人柄を知っている人です。

 「他の生徒を守るために判断した改ざんだったと思います。日本橋での職員の総意だったと思います。教務の入選担当に累を及ぼさないよう、副校長が実際の書き換えをおこなったとありますが、そんなことはまず副がやりません。担当者がやります。」

 「改ざんですから、非はあきらかです。けれども、再受験防止にたいして何の手だても打ってこなかった都教委の責任はなぜ問題にされないのでしょうか。
保護者の側から見れば、暴力行為で退学させた生徒がまた入学するなんて考えられないことです。」

 ぼくはこの種の事件についてだいぶ疎くなっています。ネット上の記事を読んで、あれこれと考えているところです。校長や副校長を更迭し、場合によっては刑事告発をすると都教委はいっているそうです。このような事だけで問題解決が出来ないことは明らかです。皆さんはどう考えますか。よろしかったらコメントをお願いします。

 参考までに『読売』と『毎日』の記事を紹介します。

  

「オール1」扱い合格阻止
  2人の調査書自己PRも0点に


 都立日本橋高校(中央区)で入学試験結果が改ざんされ、2人が不合格になった問題は、情報提供が寄せられた今月まで約2年半、発覚しなかった。都教委はチェック機能が働かなかったとして再発防止策の検討を始め、不正に関与した当時の校長と副校長を処分する方針。ただ、識者からは「問題のある生徒への指導は、学校だけでは限界がある」という指摘も出ている。(山崎純之介、石川剛)

 都教委によると、2人は2005年4月、同校に入学後、校内で暴力を振るったり、校外で補導されたりし、同年12月に自主退学した。06年2月に同校を再受験し、2人は受験した男子62人中、34位と59位で、上位60人の合格圏内だった。

 不正操作は手が込んでいた。2人の自己PR書類の評価(100点満点)を0点にし、出身中学が作成した調査書の評価(400点満点)を、通知表レベルで最低の「オール1」相当の78点に下げた。2人より成績が下だった受験生の評価もかさ上げし、2人は61位と62位で不合格となった。

 現役の中3が受験した場合、総合成績の「得点表」が高校側から中学に送付されるため、中学側が作成した調査書が入試結果に反映されているかどうかチェックできるが、2人はすでに中学を卒業していたため、チェック機能が働かなかった。都教委は、来年2月の入試から、現役生以外の受験生には本人に得点表を送付するなど、再発防止策を検討する。都教委の調査に対し、当時の校長らは「暴力行為を起こした生徒が、再び入学すると、また問題が起きる恐れがあるため、改ざんしてしまった。とんでもないことをしてしまった」と話しているという。

 教育評論家の尾木直樹氏は、「2人の態度や内面を把握した上で判断したのだろうが、同じ学校に戻っても、うまくいかないことは明らか。別の高校の受験を薦めるなどの対応は取れなかったのだろうか」とする。教育評論家の小宮山博仁氏は、「各校の判断で入試に面接を実施できるようにするなど、ルールを設ける必要がある。問題行動を繰り返す生徒の指導を学校だけに任せるのに、限界があるのも事実だ」と指摘した。(2008年11月29日 読売新聞)

  都立日本橋高の入試得点改ざん:減点処理、執ように 受け入れに難しさ
 
◇課題抱えた受験生拒絶
 都立日本橋高校(中央区、生徒数422人)が06年度入試で合否判定資料を改ざんし元生徒の男子2人を不合格にした問題は、当時の校長の指示で副校長が2人を不合格にするために執ような減点処理を繰り返していた。暴力事件を起こすなど生活指導上の課題を抱えた受験生を拒絶した校長らの過敏な態度とともに、受け入れの難しさを浮き彫りにした。

 都教委によると、不合格になったのは、現在20歳と18歳の元生徒。男子の一般入試は計62人が受験した。学力検査に調査書と自己PRカードの得点を加えた総合成績順に並べ替えると、20歳の元生徒は34位、18歳の元生徒は59位だった。

 当時の苗村深校長(60)=現福生高校長=は武田富雄副校長(58)=現足立西高副校長=に2人を不合格にするよう指示した。武田副校長は3段階にわたって調査書や自己PRカードの得点を増減させ、2人だけが合格ラインの60位から外れるようにした。

 同校の中退者は、05年度28人、06年度39人、07年度12人で推移。来年4月から墨田区八広へ移転する予定で、生活指導にも力を入れている最中だった。同校の関係者は今回の問題について「中退者が出るため、クラスの人数が学年を追うごとに少なくなる。おとなしい生徒が多い中で、暴力行為は目に余って指導に困るが、入試資料の改ざんまでするのはひどい」と話す。

 問題の発覚を受け、同校3年の男子生徒は「昔の話で、いまさらという感じがする」と淡々と語った。別の1年の女子生徒は「問題を起こした生徒に差別があったと思うけれど、当時のことはよく分からない」と戸惑いの表情を見せた。

 高校入試を巡っては、神奈川県立神田高校でも服装や態度を理由に合格基準に達していた受験生を不合格にする問題が発覚した。都教委の大原正行教育長は28日の会見で「都の件は点数そのものを改ざんしているわけだから、神奈川のケースとはかなり異質と思っている」と話した。

 一方、石原慎太郎知事は28日の定例会見で「まことにフェアじゃないし、教師としてあるまじきことだ。面倒くさいから見えないところで採点工面して切り落とすなんて言語道断だ」と厳しく批判した。【木村健二、江畑佳明】

               毎日新聞 2008年11月29日 地方版



 

三鷹高校・土肥校長の話(映像と声)

2008-10-01 12:28:31 | こどもたち 学校 教育
 9・27集会の三鷹高校・土肥校長の映像付きの声が聞けるブログがあります。土肥さんの声も表情も明るく、民主主義と人権のために堂々と闘っていることがわかります。日頃から生徒や教員・保護者の信頼があるからでしょう。

   http://jp.youtube.com/watch?v=bnj3eAyAi2E

 土肥さんが都教委の法令違反行為を内部告発した文書も公開されました。土肥さんがこうやって彼らのやりたい放題を明るみに出したのですから、教職員はもちろん生徒や保護者、私たち市民が自分の考えを表明していくことが重要です。

 

 東京都中部学校経営支援センター所長殿


      公益通報の処理に関する要綱に基づく内部告発

 私は平成18年度、19年度の教育職員に対する業績評価の実施において、教育庁人事部が東京都立学校教育職員の業績評価実施要領に基づかない指導をしたことについて、明らかに地方公務員法第32条の法令遵守義務違反であると考え、内部告発を致します。

 平成18年度より、評価の方法が従来の5段階評価から4段階評価に変更になり、最初の説明会(代々木青少年センターでの説明会だったと記憶しています)の場で、人事部がC・D評価についてその割合が20%位になるようにとの旨の発言をしました。その時、私は要領では1次評価者は校長で絶対評価にも関わらず、相対評価の指導を行っていることについて非常に疑問を感じました。


 その後の校長連絡会においても、人事部や中部学校経営支援センターより、20%以上が望ましいという発言がありました。私は絶対評価なのに、C・Dの割合を指導するのは要領に反する指導であり、問題であることをたびたび発言しました。このことについては多くの校長も同じような質問を行っています。
 18年度にはそのような人事部の指導にもかかわらず、教育職員のC・Dの割合が約6%と、人事部の指導した20%以上を大きく下回りました。(業績評価は教育職員だけでなく、全ての東京都の職員に対し同一の基準で業績評価は行われており、教育職員以外の行政職員のC・Dの割合も6%位であり、特に教育職員の割合が低いわけではなかったと思います)
 そのため、19年度の人事部の業績評価のC・Dの割合を20%以上にという指導は、より強いものとなりました。ある校長会では、私が絶対評価なのに、何故相対評価の指導を行うのか説明して欲しいと質問したところ、副参事は「答えられない。」という返事でした。人事部等の都教委は、常に校長に対し全ての事について説明責任が取れるようにと指導しているにもかかわらず、自分達のことに対しては全く説明責任を取っておらず絶対に許せません。また私は、もし20%以上という指導をするなら、教育職員の業績評価を相対評価にして欲しいとの要望も出しました。しかしその要望には全く対応してくれませんでした。
 最後には管理主事を通して、全ての校長に対しC・Dを20%以上にするように指導するとともに、校長会においても20%以上でない場合には、再度考えてもらうため出された書類を受け取らないという強い指導をしたのです。事実、私もC・D評価が20%を下回ったため、最初は受け取ってもらえませんでした。
 このような法令(業績評価実施要領)違反の指導を行った結果、19年度の教育職員のC・D評価の割合は約18%と前年度に比べると激増したのです。他の東京都の行政職員のC・D評価の割合はほぼ前年度と変わらず、しかも20%以下の場合も教育職員のように書類を受け取らないことは無かったそうです。C・Dの割合が教育職員だけ激増しているのは、明らかに都教委の法令違反の指導を行った結果だと思います。

 以上の事実から、人事部が業績評価実施要領に基づかない指導を行ったことは明白であり、そのことは地方公務員法第32条の法令遵守義務違反であり、是非調査をしてその事実を確認し、服務事故として取り扱っていただきたいと思います。
 なお、この内部告発に対する対応と経過及び結果については、文書で回答していただきたくお瀬い申し上げます。

                  平成20年9月19日
                    東京都立三鷹高等学校長
                           土肥信雄

 

入場出来なかった三鷹高校長支援集会

2008-09-30 17:44:39 | こどもたち 学校 教育
 28日(日)から急激な気温変化に身体がついていけず、寝てばかりでした。こういうときは呼吸が少し苦しくなり、なれるのに数日を要することは去年経験済みです。心配をかけてごめんなさい。
 土曜日(27日)は横須賀での室戸岬会に出たあと、幼い頃遊んだ記憶のあるNさんたちと喫茶店で交流。吉祥寺の武蔵野公会堂についたのは6時半頃でした。旧知の豊川さんが居られたので様子を聞くと「満員御礼」で入場が出来ないとのこと。そのうちにカツヨシさんと精さんもやってきました。やむを得ず、妻を含む4人で独自の交流会をすることに。川越にたどり着いたのは11時過ぎでした。

 janjanに集会の様子が出ています。とりあえず紹介します。

 

  学校に言論の自由を! 都立三鷹高校校長が都教委の実態を語る
                        佐藤恵2008/09/30


 石原都政の下、東京都教育委員会は職員会議で挙手などによる採決を禁じた通達を06年4月に出した。これによって教員は自由な討論ができず、学校の活性化も失われると批判した都立三鷹高校の土肥信雄・校長を支援する集会が27日夜、都内で開かれた。 

 会場となった吉祥寺の武蔵野公会堂では、350人の参加者が通路まで埋めつくし、ホールに入りきれない400人の人々が場外で待機した(主催者発表)。土肥校長を支援する多くの人々が開場前から長蛇の列をつくり、メディアも多数取材に訪れた。 

 「学校に言論の自由を求めて!」と呼びかけたのは、教育問題にかかわる学者、評論家、知識人ら17人。「保護者&市民の会」が主催した。

 教育評論家の尾木直樹さんは「(一連の事件は)常識の問題で、まったく恥ずかしい。『言論の自由』というレベルの話ではない。信じられないとんでもないことが今、教育現場で起きている。表現の自由と民主主義を守るために、みなさんと一緒に考えたい」とアピール。

 同高校を卒業した大学生は、「土肥先生は学校のトップでありながら、しょっちゅう現場に出向き、生徒と触れ合った。現場のことをよく知っていた。僕の名前もすぐに覚えて、100m先から手を振って大声で呼んでくれた」と、うれしそうに高校時代を振り返った。 

 土肥校長が舞台に登場。土肥さんが厳しく批判してきたのは、 

1.06年4月に都教委が出した通達=都立校の職員会議における挙手、採決等による決定の禁止 

2.同氏への言論弾圧=匿名者の内部告発により、土肥氏が06年「東京地裁9・21判決」を喜んだことや、都教委委員の米長氏を批判したこと 

3.文化祭における生徒掲示物問題=事実に反することや差別的な表現について校長会の席上、同氏に対し教育庁が「指導」した問題 

4.教育研究会における教員原稿の差し替え問題=執筆教員による他誌掲載の論文が「リベラル」であるとして、教育庁によって当人の無関係の文書まで差し替えられた問題 

5.業績評価への介入問題=本来校長の権限による「絶対評価」であるはずの教員の業績評価について、都教委が「C、D評価を何%以上に」と「相対評価」を強要した問題。



 土肥校長は昨年11月の校長会で前述の「挙手禁止」撤回を求め、今年7月、都教委に対し公開討論を申し入れた。9月には「業績相対評価」について、実施要綱に基づかない指導であると内部告発を行なった。 

 土肥校長はとにかく明るく快活な人柄だ。「私は日本が大好き。ただし平和な日本ですよ」。「運動には処分や異動というリスクはあります。でも大丈夫。こんなに仲間がいるんですから。いまは勇気百倍です」。ユーモアとウイットに富んだ闘いの経過報告で、都教委・教育庁の矛盾だらけの対応を糾弾した。 

 岡本厚さん(「世界」編集長)の司会でシンポジウムが始まった。漫画家の石坂啓さんは「正義の味方(土肥さん)がいて、悪役(都教委)がいる。面白い漫画が描けそうだ」と前置きし、大きく様変わりした卒業・入学式の光景を紹介。いかに不起立で君が代斉唱を拒否するかを連想した。 

 西原博史さん(早稲田大学教授・憲法学)は、「強化される管理統制教育で、教育現場が劇的に変わっている。だが生徒も親たちも、この変化の理由がわからない。それを誰に相談していいかもわからない。それが説明されないことがおかしい、と思うことすらままならない」と、教育問題の難しさ、事態の深刻さを指摘。そのうえで「都教委の横暴を許しているのはわれわれ都民なのだ。都教委にはきちんと説明責任を果たしてもらうべきだ」と強調した。 

 藤田英典さん(国際基督教大学教授)は、「論評のしようがない。東京の教育の非常識が全国に垂れ流されている。教育に業績評価はなじまない」と述べた。
 
 尾木さんは、「戦前ではない。これが首都・東京の現代の話なのか。私たちが気を許していると、こういうことがどこでも起きる。教委の一人一人はいい人で本来優秀な人材も多いはず。だが、組織として特別な集団になってしまう」。「主人公はあくまで都民である。一連のできごとを都民に知らせ、教員や校長が都教委を監視・評価していく行動、運動をやっていく」と力を込めた。 

 土肥校長は「過去の歴史を見ても、言論の自由のない組織や社会、国家は崩壊する。言論の自由がすべて。特に子どもたちにとってはなおさらだ」と断言。
 
 司会の岡本さんは、「土肥さんの主張を広げていこう。絶対に孤立させてはならない」と締めくくった。

  出典 http://www.news.janjan.jp/government/0809/0809288304/1.php

三鷹高校長・土肥信雄さん

2008-09-15 15:09:52 | こどもたち 学校 教育
 こんな新聞記事があることを知りました。励ましを受ける思いです。
 

  日刊スポーツ '08人物体験記
 ● 校長先生たった1人の"反乱"
  「言論の自由を守れ!」

 東京・三鷹に気骨のある校長がいる。2年前、東京都教育委員会は、都立学校の職員会議で先生の挙手、採決を禁止した。都立三鷹高校の土肥信雄校長(59)は「現場の言論の自由が奪われている」と抗鐵の声を上げて今も戦いを続けている。現職校長が、都教委に公然と異議を申し立てるのは異例のこと。なぜ校長は立ち上がったか。背景には確固たる信念があった。

●都教委「職員会議での挙手禁止」に異議

 1人ぼっちの「反乱」だった。都教委は06年、職員会議で挙手や採決によって教職員の意向をはかることを「不適切であり、行わないこと」と通知を出した。同年11月の校長会で土肥校長は都教委に「子ともたちに民主主義を教える教職員の言論の自由を奪うのは大きな矛盾。何より生徒と直後触れ合っている教職員の声が反映されないと活性化につながらない」と撤回を求めた。
 人事権を握る都教委に現職校長が反旗を翻すのは極めて異例。降格や異動を恐れたのか、約200人が出席した校長会で賛同した校長は1人もいなかった。都政委の意向は強く、翌07年には通知が守られていないとして4校の校長が厳重注意を受けた。
 今年4月の校長会で土肥校長は撤回を再度求めたがまた1人ぼっち。「通知は校長の権限強化のためというが、本音は校長を言いなりにして、かつて多数決によって職員会議の決定権を握った教職員を完全に管理したいだけ」という。8月には「意見を述べ合い、都民にどちらが正しいか判断してもらう」と公開討論を要求したが、却下された。


●東大・大手商社

 中学・高校時代、サッカーや野球に打ち込むスポーツ少年だった。畜産に興味を覚え、東大農学部に進んだが大字紛争の真っただ中。入学から約1年後には安田講堂事件が起きた。権力構造を批判するクラス討論には参加したが「思想には共慰したが暴力的なことは嫌いだった」。権力構造のトップに立つエリートも養成する東大にいることに矛盾を感じ、中退して紛争にのめり込んでいく学生たち。畜産の夢が捨てきれず、卒業して大手商社に入社したが「思想に共感しながら中退というリスクを負わす、企業に入った後ろめたさを強く感じていました」。
 輸入制限商品だつた牛肉を取り扱ったが、談合の実態に直面。「社会的地位も高い会社がなぜこんなことをしなければいけないのか」と上司に訴えると「利潤の追求のためなら仕方がない。みんなやっていること」と黙殺された。「言いたいことが言えて筋が通る職場にいたかった。自分の居揚所ではないと思った」。2年で退職した。
 30歳で都立高校の教師にになった。「平等や民主主義を考えながら、思想の伝達をしたかった。自由にものを言える場所だとも思った」。教員免許を取得し、小字校勤務を経て、高校の教壇に立った。組合の闘士でもあったが「主張が自分たちの権利獲得ばかりになり生徒のために汗をかかなくなった。中には楽をしたいという思惑まであった。何のために教師になったのか」。自問自答の上、管理職になることを決意した。

●リスクを負う

 2つの信念がある。「リスクを負う」「言論の自由を守る」。東大と会社時代に身をもって得た人生のこだわり。現職校長でありながら、都教委に立ち向かろ姿は、その信念を体現している。
 毎朝昇降口に立ち、生徒に声を掛ける。全国大会出場のサッカー部をはじめ各部活動の合宿先にも顔を出す。多くの生徒の名と顔が一致する。保護者や生徒から信頼も厚く、今回の「反旗」も支持され、市民団体も署名活動を始めた。
 来年3月に定年を迎えるが「もちろん戦い続けます」。嘱託の採用試験を受け現場に立ちながら都教委と向かい合っていくつもり。「(試験は)落とされるかも。妻から『都教委に逆らわなければ嘱託ものんびり続けられたのに』と嘆かれました。それでもいい。落とされたら都教委を問いただすだけ。リスクを負って言論の自由を守り、生徒たちの未来を守る。それでいいんです」。 【松田秀彦】

『日刊スポーツ』(2008/9/8)の原典は見つかりません。

 出典 http://wind.ap.teacup.com/people/2645.html

 この記事だけではなぜ管理職の道を選んだのかはわかりません。しかし、「自己に忠実に生きようとしている人だなあ。」「こういう人は信頼できる」というのがぼくの感想です。
 1960年代末の東大闘争をはじめとする全共闘の運動の基底にあった思想に触発されたからこそ、ぼくの人間として、教員としての生き方に大きな変化が生まれ、70年代以後の自分なりの歩みがありました。
 闘いの渦中にあった人たち自身はその後どんな生き方をしてきたのか、ぼくにはよく見えません。とくに「公教育解体」などのスローガンを叫んでいたと思われる人々がすすんで我が子を「有名」私学に通わせるなどということは僕には理解できないことです。
 先日亡くなったぼくの後輩のお連れ合いは当時、あるセクトの活動家だったそうですが、今は東大教授で政府のどの分野かの相談役(?)です。その後輩については卒業以来出会うことが一度もなかったのでどういう生き方をしてきたのか皆目見当がつきません。葬式には元大臣などが来て弔辞を述べたそうです。「畏れ多くも」天皇からの「おことば」もあったといいます。ぼくからは遠い世界の人になっていたのです。

 人生ですから変化はつきものです。ただ、かつて親しく交流したことがあるものとしてはどこかでその人の人生にふれ、聞いておきたいことがあったなあと思わないわけではありません。

 若い頃の自分のあり方をずうっと心に留めて、今、自分に出来る闘いに生きようとする土肥さんの話を読んで、ぼくはこういう人の友達でありたいと思うことしきりです。

 27日には横須賀で故郷の「室戸岬会」があります。終わったら土肥さんの話を聞きに行こうと思っています。

http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/9bd9900614c3472901a478b1cba8a545 集会案内
 

三鷹高校長への弾圧を許してはならない

2008-09-08 04:58:03 | こどもたち 学校 教育
 公開討論を求める三鷹高校の土肥校長に対し、都教委は卑怯にも別件で難癖をつけ、弾圧を始めたようです。


    都教委:三鷹高校長から聴取、守秘義務違反を理由に
                        9月5日毎日新聞


 都教育委員会は4日、職員会議で教職員の意向を確認する挙手・採決を禁止した通知の撤回を求めている都立三鷹高校の土肥信雄校長(59)から事情聴取を行った。都教委は「個人情報に当たる」として内容を明らかにしていないが、土肥校長によると都教委側は、土肥校長が教職員の業績評価に関する内部情報を公表したことが、地方公務員法上の守秘義務違反の疑いがある点を聴取の理由にしたという。
 土肥校長は8月4日に、都教委に対し公開討論の開催を求める要請書を提出したが断られたため、同22日に自身の見解を示した文書を報道各社に配った。この中に都教委が同19日に公開討論を断った口頭の回答を載せ、業績評価について都教委が各校長に「C・Dを合わせて少なくとも3割程度はいるはずである」と指導したとする内容を記した。
 都教委は00年度から業績評価を伴う人事考課制度を導入。教職員の自己申告を踏まえ、校長らが4段階(A~D)で評価している。
 聴取後に取材に応じた土肥校長は「都教委は業績評価の実施要領で『絶対評価』をするよう明記しながら、『相対評価』を前提としたような指導をわれわれ校長に強要した。この不正を国民に知らせることが国民の知る権利を保障することだ」と主張した。
 さらに土肥校長は「連帯を求めて孤立を恐れず」という言葉を引き、「私は確かに校長会、都教委の1人としては孤立している。しかし、それ以上に多くの方が支援してくださったのに感謝している」と述べた。
 一方、都教委の担当者は一般論として「業績評価の分布は公表しておらず、外部に漏らすのは不適切だ。評価が上位に偏るのが課題という意識は持っているが、画一的な指導はしていない」と話している。【木村健二】



 なんということだろう。今度は内部告発に対する報復である。

 「都教委は業績評価の実施要領で『絶対評価』をするよう明記しながら、『相対評価』を前提としたような指導をわれわれ校長に強要した。この不正を国民に知らせることが国民の知る権利を保障することだ。」

 内部告発は憲法や法律で定められた公務員の義務であり権利ではないのか。自分たちで定めた「実施要領」を自ら破り、本当は相対評価を校長に命じているとすれば事情聴取を受けなければならないのは教育長である。民主主義のイロハもわからない連中が都教委を占拠しているのか。

土肥校長の公開討論提案については教育委員(もと副知事)からの動きがあると報道されていました。

  8月29日 都教委:「意見聞いて」教育委員が注文 採決禁止問題
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080829k0000m040160000c.html 


「連帯を求めて孤立を怖れず」。 懐かしい言葉である。しかし、土肥校長は決して孤立などしていない。孤立してなりふり構わなくなっているのは都教委の役人たちではないか。

 学校が荒廃している。どうしたらいいのか。職員会議のあり方、教員評価、どれも大事。それを公開で議論しようというどこが悪いのか。
 日本の権力を握り続けてきた自民党の総裁選挙という公開討論がはじまりそうだ。その次には総選挙という公開討論がある。世界も日本も壊れてしまいそうな昨今である。こういうときだからこそ民主主義の根本に帰って衆知を寄せ集め、何とかして羅針盤を整えなければ。
 学校も教育行政も同じではないのか。

 こんな集会があることを知りました。ぼくは今日、癌研有明病院で検査を受けます。抗ガン剤治療を終結するという結論になったら、土肥校長の応援に行きたいと思います。こういう人を大切にしなければなりません。私たちの社会を成り立たせるための貴重な存在です。

 
 ◎ 学校に言論の自由を求めて!
 ~都立三鷹高校の土肥校長が、東京都教育委員会の実態を語る

■日時:2008年9月27日(土)
     午後6時10分<開場> 6時40分<開演>
■会場:武蔵野公会堂ホール<℡・0422-46-5121>
     井の頭線・JR吉祥寺駅公園□徒歩2分
■「今までの経過と都教委の実態」
     土肥信雄さん(都立三鷹高校校長)
■パネルディスカッション:「都の教育の現在を考える」
  パネラー:土肥信雄さん(都立三鷹高校校長)/藤田英典さん(国際基督教大学教授)/尾木直樹さん(教育評論家)/西原博史さん(早稲田大学教授)/石坂啓さん(漫画家)(順不同)
  コーディネーター:岡本 厚(雑誌「世界」編集長)
資料代●500円

 二〇〇六年四月、東京都教育委員会(都教委と略す)は職員会議での挙手や採決で教職員の意向をはかるのを禁止する通知を出しました。
 これに対し都立三鷹高校の土肥校長が「この通知によって、教員の間に何を言っても無意味という空気が広がり、自由な討論がなされず、学校の活性化にもつながっていない。」と通知の撤回をもとめました。
 そして、子どもたちや学校のために、自分か都教委かどちらが正しいのか、人びとの前で意見を交換しようと都教委に対して、公開討論を要求しました。


 しかし都教委は応じようとしません。それならばと、土肥校長は「自分の意見を広く一般に表明し、今まで都教委がしてきたことを全て話そう」と決意されました。それがこの集会です。
 先生たちの言論の自由を奪うことは、子どもたちの活発な活動や、自由な意見を抑えることにつながります。
 とにかく都の教育がどのような実態にあるか、知ることが必要です。みなさん!ぜひご参加くださり、土肥校長のお話しを聞いてくたさい。

■主催:「土肥校長と共に学校に言論の自由を求める」保護者&市民の会

呼びかけ人:
 藤田英典(国際基督教大学教授)・尾木直樹(教育評論家)・勝野正章(東京大学准教授)・石坂啓(漫画家)・広田照幸(日本大学教授)・喜多明人(早稲田大学教授)・西原博史(早稲田大学教授)・池田香代子(翻訳家)・醍醐聰(東京大学教授)・奥地圭子(東京シューレ)・小森陽一(東京大学教授)・毛利子来(小児科医)・暉峻淑子(埼玉大学名誉教授)(敬称略・順不同)

「瞳」

2008-08-23 14:09:55 | こどもたち 学校 教育
 「きいちご多文化共生基金」では10月4日(土)から一泊2日で栃木県足尾への「第8回移動教室」を行います。足尾鉱山跡を見学したり、鉱毒のため砂漠のようになった山に緑を取り戻そうとする人々の営みを学び、参加者の交流を深めます。参加費は5000円(中学生以下は3000円)です。定員までまだ余裕があります。関心がある方はぼくまで問い合わせてください。

 NHKの朝のドラマ「瞳」が終わりに近づいたようです。こんなニュースがありました。

 
“朝ドラヒロイン”榮倉奈々、涙のクランクアップ
                (8月22日18時15分配信 オリコン)

 女優・榮倉奈々主演のNHK朝の連続テレビ小説『瞳』が22日(金)にクランクアップを迎え、東京・渋谷の同局で榮倉奈々、西田敏行ら出演者とともに花束贈呈式とくす玉割が行われた。9か月という長期間で過酷な撮影スケジュールを乗り越えた榮倉は「山あり谷ありの日々でしたが、周囲も相談に乗ってくれたり助けてくれた。今後、女優として精神的なエネルギー(の源)になりました!」と時折涙ぐみながら感想を語った。

 挨拶の場面で榮倉から「世界で一番尊敬する俳優さんです」と告白され、照れを隠し切れなかった西田は「待ちに待った大器。等身大の女の子を演じるのは役者にとって難しい。彼女なりに悩みながらも演じていく姿を見て、こちらも刺激になった」と主役を演じた彼女を絶賛。クランクアップ3日前から「緊張し浅い眠りでした」と話した榮倉は西田との思い出について「一緒にカラオケへ行くと『いい夢みろよ』を歌ってくれてカッコよかった!」と笑顔だった。


この春から毎朝、栄倉奈々演ずる瞳さんを見てきました。かつてであった高校生にもこのような素敵な娘がいるような気がしてあれこれと思い出しながら楽しんできました。舞台になっている月島のもんじゃ屋さんの息子の元生徒もおり、何とはなしに身近な思いをさせてもくれます。

 このドラマは東京都の里親制度(養育家庭制度)のPRでもあります。ぼくの知り合いにも長く里親をやっている人がいますが、ぼくは里親制度にもその実態についても無知そのものです。番組のHPから紹介します。


 養育家庭制度   子どもは本来、家庭のぬくもりの中で育てられることが必要です。しかしながら、親の離婚や病気、失そう、虐待などさまざまな事情で、親と一緒に暮らせない子どもたちがいます。そして、そのほとんどが、乳児院や児童養護施設で生活しています。こうした子どもを、児童福祉法に基づいて、一般の家庭に迎え、温かい雰囲気の中で家族とともに生活してもらうのが里親制度です。今回ドラマでとりあげる東京都の養育家庭制度(愛称「ほっとファミリー」)は、養子縁組を目的としないで子どもを養育する家庭のことをいいます。
 現在、東京都では親と一緒に生活できない子どもたちが約3,900人。そのうち約1割が「養育家庭」のもとで暮らしています。


  次にこのドラマの制作者(尾崎充信さん)の言葉です。
 
 平成20年度前期の連続テレビ小説『瞳』は「家族」を正面から見据えます。

 東京都の「養育家庭制度」には里親になる条件の一つに、配偶者がいない場合には「起居を共にし、主たる養育者を補助できる 20歳以上の家族がいること」というのがあります。われわれはこの一条に注目し、物語を立ち上げました。老夫婦の養育家庭で妻が亡くなり、そこで暮らしていた里子たちはその家を去らなければならない可能性が高まります。
 しかし、ひょんなことから20歳の孫娘が同居し、祖母の代わりに里親になることを決意します。自らも夢を追うイマドキのヒロインが、若い「里親」として、弟や妹のような「里子」たちと向き合い、傷つけ合ったり支えあったりしながら、生活していきます。そして、この「家族」を見守るのが、人情あふれる、佃・月島界隈の人たちです。
 今回の連続テレビ小説はこの魅力的な地域に見守られて「瞳」が子どもたちと共に成長していく姿を、笑いと涙に満ち溢れたハートウォーミングな物語としてお届けします。日本中の子どもの「瞳」が輝いていることを願いながら・・・。
  
   出典http://www3.nhk.or.jp/asadora/midokoro/index.html

 ぼくは瞳のような娘さんが好きです。身近な人々の悲しみや苦しみにに気づき、自分に出来ることを精一杯やろうとします。「道徳」の教科書の期待される人間像のようで「うざったい」という若者もいますが、ぼくはそんなふうには思いません。こんな人がいればいいなあ、と心から応援します。
 灰谷健次郎の『太陽の子』の主人公・ふうちゃんは小学生ですが、やはり大好きです。こんな子はいないよと言う人がいました。そうかも知れません。でも、そうでないかも知れません。後生畏るべし。
 子供の可能性を信じ、優れたリーダーを育てて行くことができなければ未来はありません。
 灰谷健次郎はふうちゃんに「肝苦ぐりさ」の思想を身につけていく願いを託しました。
  
 http://lumokurago.exblog.jp/7049512/ 

 このドラマの制作者・尾崎さんは瞳さんに同じような願いを懸けているのでしょう。

 大人たちが若者にこびることなく願いをもって生きることが問われています。
その願いの核にあるべきものが「肝苦りさ」の思想、別の言葉で言えば「優しさ」です。

 栄倉さんは優れた素質を持つ娘さんのように見えます。瞳を演じたのを滋養にして味のある、ヴァイタリティあふれる役者に成長していってほしいものです。

 

浦添商・山城捕手

2008-08-17 05:10:33 | こどもたち 学校 教育
夕方から何度か驟雨に見舞われ、咋夜は心地よく眠ることができました。

 『中国の核実験』の著者・高田純さんからコメントをいただきました。皆さんもどうか、参考になさってください。


 文献のご紹介ありがとうございます。
中国の核実験災害について、次のサイト作っていますのでごらんください。

http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/NEDonSilkRoadJap1.html
 
 世界中の人々の目がロブノルに注がれ、中国政府が研究者や調査団の受け入れを認めるようになることを願わずにはおられません。これらの事実を覆い隠し、人々の受難を黙殺して進むオリンピックを見る気にならないのはぼくにも人間の心のかけらが残っているからでしょう。


 甲子園はきょう、準決勝です。沖縄の浦添商業が常葉菊川(静岡)と対戦します。次に紹介する新聞記事を読み、山城くんがぐっと身近になりました。明日の決勝にはおじいちゃんも甲子園に駆けつけてくださると書いてあります。「肝苦りさ」の心を学ぶ青年は野球はもちろんひとりの人間として有為なリーダーに成長していくことでしょう。がんばれ、浦添。がんばれ、山城。

 肝苦りさ(ちむぐりさ)①  http://lumokurago.exblog.jp/7049512/
 
 ②
 http://blog.umikaji.parasite.jp/?eid=149016 
 

 桐生一高の監督が辞任したそうですが、問われているのは高野連のリーダーであり朝日新聞社です。高校野球を食い物にする利権集団を解体除名しないかぎり、「
文武両道」の人間は育ちません。

 
  「野球できる平和に感謝」激戦地伊江島出身、浦添商・山城捕手
 
    ◇頂点まであと2勝、祖父母の思い心に
 

 夏の甲子園で準決勝に進出した浦添商(沖縄)の山城一樹捕手(3年)は、沖縄本島から約9キロ北西にある離島、伊江島(沖縄県伊江村)の出身だ。伊江島は第二次大戦沖縄戦の激戦地の一つ。山城選手も、戦争を体験した祖父から「おまえたちは戦争がなくて幸せだよ」と言われて育ってきた。悲願の頂点まであと勝利二つ。山城選手は「野球ができる平和に感謝したい」と話している。

 沖縄戦で米軍は1945年4月16日、伊江島に上陸。島を占領するまでの6日間で村民約4000人のうち約1500人が死亡したとされる。狭い島に逃げ場はなく、爆弾を抱えて米軍陣地に突進したり、集団自決に追い込まれる住民もいたことから、伊江島での戦闘は「沖縄戦の縮図」とも言われる。

 そんな伊江島に育った山城捕手は、祖父母らから平和の大切さを聞かされてきた。だが、具体的な沖縄戦の様子について祖父母の口は堅かった。小学生のころ、宿題で戦争体験を聞いたことがあったが、祖父義雄さん(88)は「銃剣を持たされて壕(ごう)の中にいた」とだけ話すと、涙を流して口を閉ざした。祖母ミドリさん(86)はただ涙を流すだけだった。

 山城捕手は「おじいが今でも泣くほど、戦争は残酷だったのだと思う。おじいからは『おまえたちは戦争がなくて幸せだよ』と言われるが、本当にそうだと思う」と話す。義雄さんからは「決勝には行くから」と励まされた。山城選手は「島のみんなに支えられて最高の舞台で試合ができ、幸せです」と笑顔で語った。【三森輝久、伊藤奈々恵】

           毎日新聞 2008年8月16日 西部夕刊

都立文京高校・残念

2008-07-20 06:17:43 | こどもたち 学校 教育
玄関脇の百合が咲き誇っています。夏本番です。
昨日、神宮球場に着いたのは11時10分頃です。どういうわけか、1回の裏の文京の攻撃中です。前の試合がコールドゲームになり、30分以上早くはじまったようです。
 無死満塁から長打が出て一挙に5点の先取です。文京の誇る吹奏楽部の演奏に乗って応援も快調です。今日は行けるかな、と思ったのですが相手はやはりシード校です。


4回戦        合計
修徳  0 0 0 4 1 1 3 1 2 12
都文京 5 0 0 1 0 3 0 0 0 9
【投手】修徳:森谷→曽我→武内
都文京:大久保→藤村→大久保→小林 【本塁打】修徳:遠藤

 いったん同点に追いつかれますがまた3点のリードと頑張ります。しかし、終盤に守備力と打力の差が出た感じです。ベスト16進出はかないません。グラウンドで泣き崩れる選手がいました。精一杯頑張ったのです。照りつける太陽の下、ぼくも快い声援を送り楽しい思いをさせて貰いました。ありがとう。

 三人の卒業生が声をかけてくれました。二人は見覚えのある顔です。97年入学の吉田くんたちでした。入学したばかりのこの人達の「倫理」を担当しました。陳くんの名前が出てきます。そういえば彼らはみんな野球部だったのです。
 姜さん、王先生…懐かしいひとびとの名前が出てきました。ゆっくり近況を聞けばよかったのですが、久闊を叙しただけで帰途につきました。誰にも会えないのかなあとあきらめていただけに嬉しい出会いでした。ASIAN同好会で仲良しになった人が多い学年です。みんなどうしているのかなあ。

 今日はこれから群馬県に出かけます。カツヨシさんが一緒です。上州武尊(ほたか)の周辺のブナ林を歩きます。

 武尊牧場 http://www.vill.katashina.gunma.jp/kankoujouhou/sonei/hotakabokujou/

 奥利根水源の森 http://www.kanto.kokuyurin.go.jp/invitation/suigennomori/index.html

健投 大島高校永野くん

2008-07-16 07:22:21 | こどもたち 学校 教育
 副都心線で行ってみようなどと思ったため、神宮第2球場に着いたときには2回表の世田谷学園の攻撃中。外野へのフライを落球し、大島1点を献上。(今日はついてないな)。
 スタンドを見渡しても知り合いの姿は見あたリません。大島側の応援は年輩のOBの方がときどきラッパで校歌を吹奏してくれ、私たちはそれに和して手拍子を打つだけです。学生のリーダーもいません。これは例年どおりですがこの日は20人程度の男子高校生が数名の野球部の選手と一緒に声援を送っています。
 対する世田谷学園の応援ぶりにはぼくは違和感を覚えました。数十人の野球部の選手と同数程度の保護者が同じような格好をして統制の取れた賑やかな応援を展開します。同じ学校の生徒達の姿は見えません。
 ぼくの記憶にある応援には野球部の選手もその親も登場しません。応援部のリーダーのもとブラスバンド部の協力を得て、多くの生徒が声援を送り応援歌を歌いました。先日の市立川越高校も同じようにやっていました。
 高校野球と言うからには少年野球とは違うはずです。何故こうなっているのでしょうか。野球部の夏の大会も学校や生徒とは関係なく、子と親の異様な合体の私的行為になってきたのでしょうか。
 1時間ほどたってからO君が駆けつけてきました。仕事のやりくりをして、職場からバイクできたといいます。69年の卒業生です。今年は2回目の応援だそうです。
 Oくんが来た頃、長打で1点を追加されました。大島は敵失で1点を返すのがやっとで残念ながら、3回戦で敗退となりました。
 この試合で印象に残ったことが一つあります。何回だったか、相手打者に死球を与えてしまった時の大島高校の永野投手の振る舞いです。一塁に駆け込んだ打者に帽子を取って頭を下げたのですが、相手に通じなかったと見て、相手の顔をきちんと見てやり直したのです。相手の選手も手を挙げて「気にしてないよ」と応えているように見えました。
 永野投手がとっさのうちに示した行動にぼくは嬉しい思いをしました。 死球ではあっても相手にかすり傷一つ附けたわけでもありません。(この選手は直後に二塁への盗塁を決めています)。でも、「悪かったなあ、ごめん」という気持ちを伝えたかったのです。そういうことが自然に出来る永野くんが好きです。
 
  試合には負けたけれど大島高校の選手諸君の健闘をたたえます。

 
 ふだんは100人前後の方がこのブログを覗いてくれますが昨日は176人にのぼりました。感謝。

高校野球応援

2008-07-15 06:29:56 | こどもたち 学校 教育
 13日(日)前日、長野に帰る新聞会の先輩を囲む交流が遅くまであり、ゆっくり起床。2時過ぎに川越初雁球場へ。家からは新河岸川沿いに自転車で下ること10分ほどのところ。市立川越高校の応援。朝霞高校との前日の試合が延長15回、引き分け再試合ということになり、観戦の機会が訪れた。
 前の試合が川越初雁と川越東(私立)ということもあったのか外野の芝生席まで満員に近い。やっと席を確保して隣のおじさんから昨日の試合の様子を聞いていると座席移動を命令される。チアガールの活動のためあけてほしいということのようだが、応援に駆けつけた市民に対し、きちんと説明し協力をお願いするということが出来ない川高の教師と生徒である。
 入場料を払い、前の試合から観戦している市民はそれでも応援頑張ってやと生徒に声をかけてどこかへ移動するがありがとうの一言もない。ぼくもいくらか感情を害したが、外野寄りに空席を見つける。
 試合は8回裏、川越が長打2本で1点をとり、そのまま逃げ切った。しかし、ぼくの見るところ、朝霞高校の選手達の方が攻守にきびきびとしていた。市立川越はもとの川商でただ一つの市立高校。春の県大会で優勝したそうだ。試合も応援も市民の共感を得られるようにぴしっとしてほしいものだ。


 14日(月)蒸し暑い一日。教育大新聞会の大先輩から電話をいただきびっくりする。先日の同窓会でぼくが近況報告がてら配布した「きいちご」などを読まれて、闘病激励をしていただいた。面識があるともいえない年の離れた後輩に対してである。戦後新制教育大になった頃、新聞会の活動を支えてくれた先生にかかわるお話もあった。ありがたく感謝するばかりである。

 15日(火) 癌研からのお呼びが掛からないので今朝は都立大島の応援に行こうかと思案中。昨夜の内に大島OG4人に声をかけてみたが、都合のつくひとはゼロ。どなたかと会えるかな。


三鷹高校長の行動を支持する

2008-05-03 21:22:29 | こどもたち 学校 教育
 東京ビッグサイト(国際展示場)東館の海に面した広場が傘で埋まっています。ピンクやブルーが目立ち紫陽花(あじさい)の花を連想させます。3時間以上も雨の中で立ち続けたひとびとが先ほどから入館し始めました。朝の6時台からこの広場に向かう行列は10時過ぎた今もとぎれることはありません。  
 『SUPER COMIC CITY 17 』という「オールジャンル同人誌即売会 」が今日と明日、ジャンルを変えて行われるようです。好きなことのためには雨中に立ちつくすこともいとわない若者達の姿です。
コミックや小説などという形で自由に自己表現出来ることは人生の宝です。それを人にも読んでもらい、自分も他人のものを読むために集まるのですから良いことに違いありません。高校生の時代、我が家の娘もよくやっていました。
 95年に文京高校で一年生の「倫理」を担当するようになって、子どもたちが自己表現に臆病になっていることに気づきました。義務教育9年間の体験を通して正直に発言すると「いじめ」などろくなことがなかったのです。「周りに合わせる」生き方が無難であることを身につけたといいます。
 こういう教育を奴隷教育といいます。民主主義の実現を高らかに謳う教育基本法のもとで実際にやってきたことは『奴隷』になれということだったのです。こどもの時身につけた生き方は簡単には変えられません。日本の民主主義はその根底が危ういといわなければなりません。
 ぼくの授業はこうした生き方を生んだ現実をどううち破って自己確立をはかるかが一貫したテーマでした。
 
 夜中に目覚めたのでTVを見ました。三鷹高校の土肥信雄校長がたびたび都教委に呼びつけられているというのです。職員会議をないがしろにする都教委の通達に反対する言動をしたからです。私たちの目からすれば当たり前のことですが、今時腹の据わった校長です。
 三鷹高校のHPをのぞいてみました。

  学 校 長 挨 拶      土肥校長

「社会的リーダーを目指すもの 来たれ三鷹高校へ!」


 皆さん、こんにちは。校長の土肥信雄です。
 三鷹高校を一言で言えば、とても活気のある学校です。部活動が盛んで、毎日放課後になると、グランド、体育館、弓道場、音楽室等、学校全体が生徒たちの声で満ち溢れています。それ以上に凄いのが合唱祭、鷹高祭( 体育祭、文化祭 )等の学校行事です。特に合唱祭では、「府中の森芸術劇場」という素晴らしい舞台で、生徒たちが趣向を凝らした衣装で素晴らしいハーモニーを聞かせてくれ、私に感動を与えてくれました。
 一方、授業に対する姿勢も素晴らしいものがあります。私は生徒の様子を見るため、よく校内を巡回しています。家庭での予習、復習もきちんと行い、授業中は真剣な眼差しで学習に取り組んでいます。
 勉強にも学校行事・部活動にも限界まで挑戦(チャレンジ)する。三鷹高校は、まさに文武両道の言葉がぴったりの学校です。
 この素晴らしい生徒たちに、私は基本的人権を尊重し、平和で人間性豊かな社会を構築する社会的リーダーになってほしいと思っています。単なる知識だけではリーダーにはなれないのです。社会的弱者も含めた他者に対する思いやり、つまり豊かな人間性がリーダーには絶対に必要なのです。三鷹高校では、リーダーの資質としての高い見識は授業で学び、豊かな人間性は学校行事や部活動を通して育成されているのです。
 日本の平和は、日本が世界に対して最も誇れることです。この平和な日本をいつまでも持続するため「社会的リーダーになろう」と思っている人は、是非三鷹高校に来てください。


 数年前まではどこの学校の教育目標にもこんなことが書いてありました。ごくごく当たり前のことです。しかし、今の都立高校ではいいにくい雰囲気があるのではないかと思います。生徒と共に時代の課題を担おうとする教育者の姿勢がうかがえます。
 このような校長だからこそ、おかしいことにおかしいといえるのでしょう。教職員の自由な発言と討論が学校から消えてしまうことは、子どもたちの自己表現の自由がいっそう抑圧されることにつながります。
 都立高校の教職員の方々がこの校長と同じように、身を生徒の側(そば)に置き、生徒と共に時代の困難に立ち向かってほしいと思います。
 石原都政がいかに盤石に見えるとも、こどもと共に生きる者の確信にはかてません。ほころびはもうあちこちに露見しています。
 土肥校長の行動を支持支援し、心ある教職員のいっそうの奮闘に期待します。